見出し画像

鬼六・痛快娯楽小説の原点『大穴』

SM小説家として名の知られた鬼六ですが、この人、

実は生粋の娯楽小説家なのではないかと思ったことが何度かあります。

その代表として挙げられる作品の一つは『真剣師・小池重明』でしょうし、

もう一つ知られざる佳作としてこの『大穴』があるのではないでしょうか。

題材はずばり「相場」です。

いやもう、この相場という言葉を聞いただけで親族である私としては

暗澹たる気持ちになりまして、

まあどれだけこの相場で父はおのれの資産を

目減りさせてきたことでしょう。

ただその相場への異様なまでの執着と憧憬が、この作品を産んだ。

そしてその思いは鬼六の青年期からの変わらぬ系譜なのだということに、

改めて思い知らされるのです。


主人公は大崎恭太郎という相場で一旗揚げようとしている一癖ある大学生。

そしてそこに絡んでくるさまざまな個性際立つ人物が彼とともに、

株の罫線のごとく人生を浮き沈みさせていく、

いわば群像劇といった作風となっています。

背景は昭和30年前後の大阪です。

関西弁のやり取りがなんとも漫才を観ているように軽妙で面白いのと、

その時代を反映させた株式市場がとてもアナログで逆に新鮮に感じられる。

いまならネットでチャチャッ、とやれば済むところを、

有象無象の相場師が取引所に大金を持って売り買いしに来たり、

後生大事に株券を持ち歩いたり、

昭和の活気と喧騒が底流音として響く中、物語は進行する。

我々世代にとってはえも言われぬ懐かしさがこみ上げてきます。

相場以外にもパチンコやら、丁半博打やら、

勝負事のオンパレードでして、物語自体も最後には誰が笑うのか、

そして勝利の先にあるものは何なのか。。

そんなエンタメ小説の王道の「次のページをめくる楽しさ」があります。

ちなみにこの小説を書いたのは鬼六26歳の時ということで、

まだ団鬼六のペンネームすら持っていない頃でした。

当時は小説家などになりたいとはつゆとも思っておらず、

夢は相場師になることだったそう。

それを当時の出版社から題材は好きなこと何でもよいから

もう一度書いてみろと説得され、

お茶の水の山の上ホテルに4日間缶詰めになって書いたのが

この『大穴』だったようです。

そしてこれがまさに大穴となり、

販売も好調、松竹で映画化、テレビドラマ化もされ、

印税や原作使用料などでしこたまお金が入ったそうです。

ところが『大穴』で描かれる登場人物同様に

鬼六はそれを相場に全て費やし、煙のように蒸発させ、

逃れるように三浦半島の突端の街の中学校教員として

身をやつすこととなった。

息子たる私としては『大穴』を読んでいると出てくる人物が

作者自身の投影だと気づいたり、

本当の相場師だった鬼六の父(私の祖父)をモデルにしていると

感づいたり、思わず吹き出してしまうところがたくさんあります。

作品の中にこんなセリフがあります。

「大穴なんてもんは、しょっちゅうあるもんやなし、大抵の人は大穴を狙おうと思うて墓の穴をほってますのや。相場ちゅうもんで儲けはる人は、何千人の一人、それも儲けるだけ儲けたらスパッとやめるのが肝心やとわては思うてまんねん。」

父よ、自分でようわかっとるやんけ。なんでそうしとかなかったん?

画像1

「億り人」など、

現代においてもまた株式がいろんな意味で注目を浴びている昨今、

こんな相場小説が改めてドラマ化されても面白いかもしれない、

と思うのですがいかがでしょうか。

官能小説家として有名になった鬼六ですが、

ぜひこういった娯楽小説、ストーリーテラーとしての異才にも

改めて注目いただければ、これ以上の喜びはございません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?