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娘のフォロワー

「イベント、また中止になっちゃった」

「仕方がないわよ、この状況だもの」

娘と妻の会話が聞こえてくる。

娘の仕事がまたキャンセルとなったらしい。

モデル稼業がようやく軌道に乗り始めた矢先にコロナ禍が直撃し、

コンパニオンとして起用が決定していた大型イベントが全て中止となった。

小遣い稼ぎをしていた個人撮影のモデルも声がかかる本数が減り、

あれほど活動的に外で動き回っていた娘が、

日中家にいることが多くなった。

もともと押しの強い娘ではない。

この状況を打開するために積極的に自分を売り込むようなこともできず、

いつの間にか仕事よりも家に軸足を置き始めたのだろうか、

「おせんべ、こぼさずに食べてよ、うざい」

「酒飲みすぎだって、もう寝なよ」

家の中でもう一人、

口うるさい女房が存在するような構図が出来上がり始めた。

いっぽうこういった小言以外の日々の出来事は娘は父親には話さず、

全て母親と共有する。

付き合っていた彼氏とも別れたということも事後に家内から聞かされた。

なんでもこの時期にモデルのような安定しない職業を続けることに

意見をされたそうで、反発した娘は口論の挙句、

彼とのラインをブロックしたとのこと。

それ以来ひと言も口をきいていないそうである。

父親の私も退職して家にいることが多くなり、

自然と娘と否が応にも顔を突き合わす時間が増える。

とはいえ会話は弾みようもない。

仕事の話などをするとそれこそ説教くさく思われ、

ラインでなくともリアルに会話を「ブロック」されかねない。

ここは逆に一つこちらから教えを乞うことにしてみた。

「な、ツイッターとか、インスタグラムってどうやってやるの?」

内容は知っているが、実際に自分で上手に運用するにはどうすべきなのか

という意味で尋ねたのだが、

娘は一瞬怪訝な顔をしたものの、意外に素直に語り始めた。

「いいね」やら「好き」やらの増やし方のコツや、

SNS上でのイベントの実施の仕方、

複数アカウントを使って発信する内容を変化させるのもよい、など、

聞きもしないことまでとうとうと話し出すのである。

確かにモデルの立場で自分で何やら定期的に投稿もしていたようで、

それなりのフォロワーもいたようである。

半分くらいちんぷんかんぷんだったけれど、

本気でフォロワーを増やすにはそれなりの労力が必要なのだなと感心もした。

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そんなある日、家内から報告があった。

「あの子がね、モデル事務所辞めるって」

「え、でどうするの?」

思いもよらぬ展開に戸惑ったが、

本人は20代半ばを迎え自分としてのモデルやコンパニオンの将来に

見切りをつけたそうである。

彼氏に啖呵を切った経緯もあるのでそれでいいのか、と言いかけたが、

「まあ、あの子もいろいろ悩んだみたいだから」

の妻のひと言に黙すしかなかった。



娘はその後ペットシッターになりたいという意思を表明し、

スクールに通い始め資格試験にもなんとか合格したようだ。

が、資格を取ったからと言ってすぐに勤め先が見つかるわけではない。

求人サイトから数十件と応募をして面接に行くのだが、

経験不足を指摘され不採用となる。

ようやく最終面談まで行って実施見学を許された動物病院があったが、

体を痛めた動物たちの手術の光景を初めて目の当たりにし、

過酷なその環境に2週間と持たず、音をあげてしまった。

「だいたい考えが甘いんじゃないか」

つい私も口をついて出てしまう。

娘は一瞬すさまじい形相で睨み返したが、そのまま部屋に戻っていった。

しばらくして何年も聞いていなかった娘の嗚咽が階下に響いてきた。

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ハッシュタグをつけて気になるモノゴトを検索する。

基本中の基本のツイッターの使い方だが

娘に教わるまで試したことがなかった。

お気に入りのプロ野球チーム名を入れて同志を探す。

あるある。あまたの人々のチームに対する一喜一憂が時系列に展示される。

何十件とスクロールしていくうち、

ふとその中で気になるアカウントがあった。

投稿者のアイコンに見覚えがあったのである。

何年も昔、家族で野球観戦をした時、

球場から見上げた夕焼けがあまりにきれいだったので撮った写真。

その後私が家族内で共有したものだった。

投稿の内容も直接チームにかかわるものというより、

球場周辺の写真と共に投稿者の心情をつぶやいたようなものだった。

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(懐かしい球場の近くで一人今後の私のことを考える。そろそろ次に進もう)

恐る恐るアカウントのアイコンを押し、投稿者の世界へ分け入る。

間違いなかった。

そこには私が見たことのない娘の心の導線がつぶさに掲載されていた。

(せっかく上手く行ってたのにコロナのバカ)、

(犬と猫以外の動物のケアを勉強した)、

(今日、自分の限界を知る)、

ひとつひとつの言葉は一見脈絡はないのだが、

これらはこの仮想空間でしか発散することのできない素直なつぶやき、

いや心の叫びであった。

きっと私には見せたくないものなのだろう。

が、罪悪感にとらわれながらも、目はツイートを追い続けてしまう。

(早く一人前のシッターになりたい)、

(親に心配かけたくない)、、、

すべての記事に「いいね」を押そうとしてはっと手を止めた。

「いいね」をたどって私だとわかってしまうかもしれない。

フォローボタンも押さずに、そのままそっと退出する。

(俺と母さんは生涯のお前のフォロワーなんだから、まあ気長にやれ)、、

とつぶやきながら。


#2000字のドラマ


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