『真剣師 小池重明』の想い出
「将棋がスキ」。。。今回こちらの募集テーマが告知されたのを知り、
この場をお借りして少々書かせていただきます。
ただし「将棋がスキ」だったのは私ではなく、私の父でした。
ご存じの方も多いと思いますが、父は官能小説家である領域とは全く別に、
将棋の愛好家であり、
そして将棋界で生きていく人々をこよなく愛しました。
いやもうそれは愛したというレベルではなく、
才ある棋士たちのいわゆるパトロンのような真似ごともし、
最終的には「将棋ジャーナル」という老舗専門誌を買い取り、
立ち行かなくなって「老後の楽しみを、老後の苦しみにしてしまった」、、
とのちに述懐しておるくらい、
まさにスキが高じて将棋で身を滅ぼした人間、
と言っても過言ではないでしょう。
ただ将棋に対して投資する代わりに著作もいろいろ出しておりまして、
多少は資金回収もできたのかと思うのですが、
その中で『真剣師 小池重明』という作品があります。
アマチュア将棋界の異端の競合といわれていた小池重明は平成四年五月一日の午前四時二十分、茨城県石岡市の医師病院において死亡した。肝不全による死亡だが、生命源のパイプ管を自分で引きちぎったというから自殺したことになるかもしれない。享年四十四歳であった。
という書き出しで始まります。
将棋好きの方は、ご存じだと思いますが、
「真剣師」とはいわゆるプロ棋士とは違って1局いくらといった形で、
賭け将棋で生計を立てる人で、時には棋士が馬となり、
それぞれに乗り手(出資者)がついて勝負する将棋指しのことをいいます。
令和の今ではもう存在しない(少なくとも公には)人種だと思います。
プロ顔負けの棋力を持つものの、
多くはその日暮らしの生活が懸かっていることもあり、
すさまじい執念と駆け引きが生じるわけであります。
作品中、こんな解説があります。
真剣師ちゅうのはお客にこいつなら俺かて勝てると思わせるのがコツですね。わざと最初の一番か二番、負けてやって、あとはずっと勝ち続ける。僕もそれをずっとやったもんです。こいつにはとても勝てないと思わせたらもうお客は逃げてしまうものです。
つまりあまり強いと思わせすぎてもいけない。
通常の棋士と違って適当に負ける、塩梅が必要な職業という事ですね。
話は少し逸れますが、
ある将棋好きの作家さんとお話をさせてもらったとき、
こんなことを語ってくれました。
「あのね、努力ってね、結局無駄なんですよ」と。
その方がおっしゃるのは、つまり「天才」というものは厳然として存在し、
普通人はいくら努力しても決して及ばない領域というものがあるのだ、
と言うのです。
将棋はまさにそれを痛感させられる世界なのだと。
奨励会を経てプロになれるかどうかというのは、
その線引きを明確にするようなもので、
将棋を志す人は多くがそこで自分を悟ることになるのだそうです。
その難関を突破し、いまタイトルを争っている棋士の方々などは、
いわゆる神々の世界で戦っているわけで、
AI並みのCPUを生まれつき備えたスーパー人類なのだというのです。
努力は、無駄。
なんと無慈悲かつ明快な言葉でしょう。
話をもとに戻せば、小池重明は実力だけでいえば、
この神々の領域の住人になれたかもしれない人だった。
ただ、その性格破綻のゆえに場末の将棋道場を根城にする真剣師として
活躍せざるを得なかった将棋指しです。
鬼六はそんな彼の生き方や棋風に大変な魅力を感じていました。
そして庇護もしていた。
とにかく将棋を打たせれば、めっぽう強い。
真剣師同士のの頂上決戦に大方の予想を覆し勝利。
名だたるアマの強豪を撃破し、2期連続アマ王者につくも
賞金が出なくてモチベーションが上がらず。
対局の前夜には必ず徹夜で飲んだくれて会場に現れ、
ついにはプロのトップ棋士たちもいとも簡単にやっつけてしまう。
そんな破天荒な勝負師ぶりがなんとも爽快であります。
本気で望めばプロになることもできただろうし、
実際特例のルートを認めて、その道筋が見えることもあった。
が、最後の最後で何かをやらかしてしまう彼の破滅性。
目の前の光の道から逸脱し、友人の温情を裏切り、
人妻と幾度となく駆け落ちし、
なぜか必ず人生の裏街道へと転落してしまう。
そういったいわくつきの人間を
将棋連盟は棋士として認めないし、
決して混ざり合うことはできないのです。
しかし、痛快なのは
プロ棋士にしても、アマ強豪にしても、
勝負師の性と言うのでしょうか、
そんな組織の思惑を超えて本当に強い将棋指しと勝負をしたい、
という思いが勝り、最終的には果たし合いが実現するわけです。
スーパー人類たちと、どこまでも人間臭い真剣師の最終決戦。
どちらが勝つのか。ゴジラ対コング。
『真剣師 小池重明』は父が書いた小説の中でも老若男女問わず、
そう将棋のことは全く分からない人でも
(かくいう私も将棋は駒の動かし方くらいしかわかりません)
楽しめる生粋の娯楽小説だと思います。
棋士たちとの壮絶な死闘あり、
人間小池の破綻した人生描写あり。
この小説の影響を受けてこの後書かれた将棋小説もあるようで、
昨今の将棋ブームを興味を持って眺められている方がいたら
ぜひご一読をお勧めいたします。
かつて一度だけ、
横浜の私の実家がまだ抵当に出されず健在だった頃(笑)、
実際の小池さんにお目にかかったことがあります。
今から30年ほど昔でしょうか。
出先から家に帰ってくると
門前で何やら掃き掃除をしてくれている大柄な男性がいました。
造園業者の人かなあと、やや不審に感じつつも
「こんにちは」と声をかけると朴訥な笑顔で
「あ、こんにちは」と返してくれました。
まったく「新宿の殺し屋」と異名をとった男とは思えない
如才のない感じの方でした。
あの当時我が家には、
門外漢の私がここでお名前を口にするのも憚られるくらい、
本当にトップ棋士の方々が頻繁にご訪問くださっていました。
みなさん、きちんとした身なりで、礼儀正しく、色白く、
少年のように純粋な眼差しをもった方々でした。
その中でやはり小池さんは
ちょっと異質な人間臭い空気感を持っていらした気がします。
私は決して将棋好きとは言えないけれど、
将棋盤を真ん中に、
なんだか治外法権のように様々な人が出入りする熱気に満ちた我が家を、
今も懐かしく思い出します。
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