一心一心、刺繍に魂を込めて。霧島連山のふもとから広がるペナントリボン|刺繍工房いこま屋 國生眞由美
縫いものの魅力はなんだろうかと考えたとき、それは糸が描き出す無限の表情ではないか。最初に針が通されたときには何が出来上がるのかはわからない。ただ、時間をおいて少しずつ生地の上に文字や絵柄が浮かび上がる様は圧巻だ。平面の生地に刻まれた独特の起伏や凹凸、光が当たったときの光沢、そして指で触れたときの繊細な肌触り。平面と立体のあわいを行き来する美学がそこにはある。
刺繍には魂がこもっている。誰かを想って糸を通す。その想いが誰かに渡っていく。その想いがまた誰かへと受け渡される。その連鎖の原点が宮崎県小林市の片隅からはじまっているとしたら、なんてロマンのあることだろうか。
生駒高原に近い小さな刺繍工房は全国制覇を目指す
宮崎県小林市の中心部を離れ、霧島連山めがけて車を走らせる。高度はどんどん上がっていき、高千穂峰が仁王立ちしているかのように目の前に迫ってくる。天気が良かろうと悪かろうとその迫力はため息ものだ。
霧島連山のふもとに位置する生駒地域は四季を通じて訪れる者を魅了する。農畜産の営まれる牧歌的な雰囲気の漂うエリア。観光スポットとして著名な生駒高原では4月にはポピー、5月にネモフィラ、そして10月には約100万本のコスモスが咲き誇る。週末や大型連休中にはひっきりなしに人がやってくる。都市の喧騒を離れ、いつまでもその田園の中に埋もれていたくなるような気分になる。
生駒高原へ行く道中、かわいいだるまのロゴがひょいと顔を出す。周辺の景色に馴染むグリーンの壁には大きく「IKOMAYA」の文字が。
「いこま屋」はセレクトショップと刺繍工房を兼ねた店舗だ。セレクトショップでは地元の特産品のほか軽食や飲料を販売している。生駒地区で暮らす人々が気軽に寄ってはさっと買い物をしていき、ときたま世間話に花を咲かせる。
もう一つの顔である刺繍工房では優勝旗やトロフィーを彩る刺繍入りペナントリボンを中心に、ワッペンや命名額といったオリジナル商品を製作している。2023年6月からはホームページやネットショップによる販売を展開することで県外からも受注を獲得。2024年5月現在、全国36都道府県から注文を受けてきた。
「目指すは47都道府県を制覇すること。いかにホームページで魅力を伝えられるか、誘客できるかは常に考えています」
いこま屋を切り盛りする國生眞由美さんはそう話す。小林市やその周辺地域、宮崎県内だけでは少子高齢化による人口減少もあり商圏が限られてしまう。また、いこま屋は小林市の中心部からも離れており、とくに遠方のお客が来店して打ち合わせをすることが難しいという地理的なハンデもある。そうした事情から眞由美さんは地域外を意識した販路展開を行っていった。
ホームページは無料の作成ツールを使い、いちから自作。YouTubeの解説動画を参考にしながら少しずつ作成しては改良を繰り返していった。検索エンジンでヒットするよう自らSEO対策にも取り組み、開設から2ヶ月ほどで検索1位へ浮上した。
「流入はまだまだ弱い」と話すが、一度接点を持ったお客の心をつかむのは上手いようだ。
「お問い合わせをいただいたお客様のうち95%は成約いただいています。お電話だと100%は確実に。一緒に働く女性スタッフの力も大きいですね。たとえば、彼女のメールの文面にはお客様の心に寄り添うような、そんな情緒がある。それが受注やリピートにつながっているのは間違いないですね。うちのコミュニケーション能力の高さは自信を持って誇れる部分だと思います」(眞由美さん)
商売への勘が鋭そうな眞由美さんだが、刺繍を事業としてはじめたのは実は最近になってからだった。
経営は七転び八起きの精神で
眞由美さんが「いこま屋」を創業したのは2019年のこと。それまではコンビニエンスストアの経営をしていた。
眞由美さんの家は祖父母の代から70年間ずっと商売をしてきた。父の代になり、現在のいこま屋のある場所で酒屋とガソリンスタンドを開き、酒屋はその後コンビニへと業態転換した。小林市内の数店舗を家族で営むかたわらで、眞由美さんは日本舞踊を長く嗜んでいた。刺繍をはじめる原点はここにあった。
「着物が好きなので帯をつくりたいと思ったのがきっかけです。100年ものの帯をリメイクする際に、帯の芯を覆うカバーへ刺繍を施すところからはじまって。着物以外にもネーム刺繍をやってみたりと、ほとんど売上はないなかで細々とやっていましたね」(眞由美さん)
刺繍は本業ではなかったが、紆余曲折を経て現いこま屋のある店舗を引き継ぐことになり、2019年から刺繍工房を名乗るようになる。店舗のロゴにだるまを使うようになったのもそのころから。
「七転び八起き。何があっても立ち上がってくるぞ、負けないぞっていう意思表示」(眞由美さん)
その不屈の精神は創業間もなく発揮されることになる。いこま屋の創業からすぐの2020年にはじまったコロナ禍。感染への不安、外出自粛から大打撃を受けた小売業界。いこま屋も例外ではなく、セレクトショップの売上は赤字となった。
「お店がやばい。刺繍事業に力を入れなきゃ」とマスクに刺繍を施し販売して回った。とにかく刺繍を広めなければと市役所や企業へ寄付したこともあった。
とはいえ、いこま屋の経営が明るくなる兆しは見えなかった。
「私は何をやっているんだと。それまでは危機感があまりにもなさ過ぎて。これは目標を定めないとダメだと思いました。それで、刺繍で日本一になろうと決心しましたね」(眞由美さん)
それからは先に見た通り、受注先を日本全国へ広げリピート客もつくようになってきた。販売圏域の広がりに「すっごいことがはじまりそう。できることがいっぱいある」とワクワクする様子が滲み出る。
扱う商材が優勝旗ペナントやワッペンといった、誰かの栄誉を讃える想いのこもったものである以上、手抜きはできない。また、依頼者は贈ることを前提にしているため“より良いもの”を求める。
「私も息子がサッカーをする姿を応援してきたので気持ちがわかります。だから自然とご依頼の一つ一つに心がこもっていきますね。気合いが入りますよ。やっているうちに、お客様が喜ぶ商品を届けようってワクワクしてきます」(眞由美さん)
刺繍のように地域をつなぐ。生駒高原活性化プロジェクト発足
これまでスタッフと二人三脚で刺繍事業に邁進してきた眞由美さん。現状にはまだまだ満足していない。
「まずはいかにミスなく効率良く2人でやりきれるかを追求していく。ただ、もう一段階上のところをやっていく時期に差し掛かったなと。設備投資をして、私もスタッフもバージョンアップされていく状況をつくらないといけないのかなと思っています。利益をしっかり上げて、スタッフにも恩返しできるようになりたいですから」(眞由美さん)
刺繍で日本一になることで、いこま屋も、周辺地域も経済を良くしていきたい。また、女性が働くモデルケースとなり、同時にそうした場所もつくり雇用も増やしたい。そうした未来につながる構想も湧いてきた。
「以前は経営が上手くいっていない私の言葉なんて誰も聞く耳を持たないし響かないだろうと思っていました。ですので、一つ一つ着実に目標を達成することができたら自分にも自信がついてくるのだろうなと。まずは全国47都道府県を制覇すること、顧客満足度の高い仕事をすることですね」(眞由美さん)
そんな眞由美さんは現在、地元の活性化を目指した「生駒高原活性化プロジェクト」の発起人としても活動している。2023年11月には団体を設立。所属するのは生駒地域の事業者15組。地域の魅力向上や発信のほか、事業者それぞれの課題をメンバー間で連携しながら解決することを目指している。観光・ふるさと納税・発信の大きく3つのプロジェクトチームに分かれ、眞由美さんはふるさと納税を担当するという。
「活性化プロジェクトの意味は生駒をブランド化させて、地域で利益を上げ、経済を回していくことにあります。立ち上げて終わりではなく、プロジェクトによって売上が10%上がるような生駒の未来につながる動きをしたい。
生駒は花もあり水もおいしく星も綺麗。良い材料がいっぱいある。自分たちはここに居過ぎて『良い』と思えていなかった。もう一度掘り起こしをして、見直して、生駒の良さを発信していきたいですね」(眞由美さん)
想いをこめながら生地に糸を通し、それがかたちになっていくように、地域をつないでいく眞由美さん。夢を大きく描きながら、眞由美さんは今日も地道に刺繍機械で名を刻んでいる。
(取材・撮影・執筆|半田孝輔)
(写真提供:刺繍工房 いこま屋)
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