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#6:片づけは「手段」である。

実家の片づけを始めようという方に、
片付け教への入信をお勧めしてる
遠距離で実家を片付けているムスメです。

片付け教の教えは3つ。
1.勝手に捨てない
2.勝手に期待しない
3.勝手に見捨てない

今日は、片付け教の教えを少し置いといて、
何のために片づけるかについて考えようというお話。
少し前にも同じようなことを書いてますが、
大切なことは何度でも言う派です。

さてさて、実家を片付けようとされている皆さんに質問です。
「なんで実家を片付けるの?」

この答え、自分の中にあります?
え?考えたことなかったわという方、考えてみてください。
はいはい!って答えられる方、素晴らしい。
では、もう一つ質問。

「なんで片づけようとしてるか、それ、親に話しました?」

これ、ギクッとした人多いのではないでしょうか。
なんで実家を片付けるか、については自分の中に答えはあるけど、
この答えをきちんと親と共有してる人、
意外と少ないのではないでしょうか。
ついでに片付けの提案に乗っかった理由、親から聞き出せてます?

なんで実家を片付けるか、の「目的」が達成できれば、
その手段は「片付け」じゃなくてもいいんですよ。
例えば目的が「暮らしやすさのため」だった場合には、「片付け」ではなく、「手すり」や「スロープ」の方が必要なこともあるんです。
暮らしにくさをどこに感じているかを分析したら片付けって手段じゃないかも、ってこともある。
あなたから見たらぐちゃぐちゃでも、そこに暮らしにくさを感じてないことだってあるかもしれない。

片付けはあくまで手段の一つで、
なんのためにそれをしようとしているか、がとても大事。
そして、この「なんのため(目的)」には、
共通認識として共有すべき情報です。

あなたは実家の片づけ、なんのためにやりますか?
目的と手段を間違えないように、考えて欲しいです。

<この記事が実家の片づけをしている人の心に寄り添えれば嬉しいです。>


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