時間価値創造家

「人類アーティスト化計画」を目論む元公務員。 「時間価値創造」という「自分のOSの最適…

時間価値創造家

「人類アーティスト化計画」を目論む元公務員。 「時間価値創造」という「自分のOSの最適化技術(価値観のデザインなど)」を駆使して、日常の中で冒険を展開していく。 「学びを愉しむ」事と「1石5鳥」がモットー。 餌をやらずに野良猫と友達になれる特技を持つ。

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「奴の力」を借りる

努力のコツとは「自分だけで頑張ろうとしないこと」だという。 何故なら、努力の「努」を分解すると、 「奴の力」と読めるからである。 「奴」とは誰のことか? それは自分以外の誰か・何かのことである。 「努力」というと今まで私は、 自分の力だけで完結させるものだと思っていたが、 この話を聴き、随分と楽になった気がした。 そういえば、私は100均にある2冊組のB5サイズのノートに その日のやることを書いて持ち運んでいるが、 このお陰で安心して忘れることができるし、 別のこ

    • 復路時代に突入したからこそ、リソースを三位一体で循環させていきたい。

      人生100年時代と言われるが、 だとすれば、私は丁度その折り返し地点を過ぎたことになる。 人生の往路と復路とでは、それまでの景色の見え方や体験することも 変わってくるものかもしれない。 1月に父が亡くなり、身近な人間の死を経験することで、 人間には寿命があることをよりリアルに感じ、自分ももう復路に 入ってしまったんだなと感じるようになった。 ただ、父の死については、 晩年に私なりに寄り添うことができたこと、 年齢的

      • 1次感情に向き合う自己対話力はAIに代替されない必須スキルだと思う。

        ある人が、 「自分の1次感情を素直に伝える」ということを意識したおかげで、感情処理の負荷が減らせ、物事がスムーズにいくようになったという話しをしてくれた。 この方曰く、人の感情は2段階で構成されるらしい。 まず最初に1次感情というものが起こり、 それを踏まえて2次感情が発露するのだ。 例えば、役所の窓口で大声で怒鳴っている住民は、 一見怒っているようで実は2次感情の表明であることが多い。 そもそも、その人が窓口相談に至るまでには不安や救いを求める心理が蓄積されているわ

        • マウンティング+絶交体験から実感した「課題の分離」の威力

          先日、知人とオンライン飲み会をしたのだが、 途中でその人が唐突に私の言葉尻を捉えて説教を始めた。 そこで私は、 「この人は酒と自分に酔っている。しかもこの内容はマウンティングだ。他の方にも迷惑だろう。」 と判断し、「その話しはもう結構です。話題を変えましょう」と言ったところ、 「あなたとは分かり合えない!」と激昂され、ミーティングから強制退室 させられてしまった。 おまけにLINEグループからはその人の名前が消えていた。 これは一方的に絶交されたようだ。 この直後は大

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        • トレードOS
          1本

        記事

          「自由研究とは「愉しい頭の使い方」を知る手段では」

          私がどうも学校での勉強に真剣に取り組めなかったのは、 「勉強=頭を使うこと=面倒くさく我慢を要すること」 という刷り込みがあったからではないか。 世間一般では、「頭を使う=面倒くさいこと」という認識が強く、 それが勉強を苦行に仕立て上げているように思える。 確かに、組織で働く際には、面倒くさい頭の使い方をすることが多いかもしれないし、面倒くささに慣れることは、忍耐力を養うことにも繋がるかもしれず、社会適応する上で必要なことかもしれない。 しかし、趣味などの「自由研

          「自由研究とは「愉しい頭の使い方」を知る手段では」

          施設スタッフの方から感じた本当の強さ

          認知症の父をグループホームに入所させて2か月以上が経過したが、 入所準備のために生活用具一式を搬入しに母と当該施設を訪れた時に印象深いことがあった。 生活用具の搬入を終えた帰り際、施設スタッフの方達と話しをしたが、その中で母が、 「夫は男性職員の方には人当りがきつく、「バカ」と言ってしまうので申し訳ありませんがよろしくお願いします。」 と申したことに対し、 一人の男性スタッフの方が笑顔で、 「それは自分に関しては当たっていることなので大丈夫ですよ!」 と明るく応え

          施設スタッフの方から感じた本当の強さ

          我慢よりも勇気にエネルギーを使いたい

          「嫌なことを止めて恐いことをする」 この一文に出会って以降、同じ氣力を使うならば、我慢することよりも、勇気を出した方が自分にとっては遥かにお得だと思えるようになった。 深刻に生きている人の大半は、本来自分がやりたいことを諦め、嫌な事を我慢してやっているようにも見える。 嫌な事を我慢してやることは、時には必要なことかもしれないが、我慢する先には希望が必要だと思う。 同じ我慢するにしても、希望がなければ深刻になり、希望があれば真剣になってくる。 真剣と深刻は一見似ている

          我慢よりも勇気にエネルギーを使いたい

          運とルビンの壺

          もしかしたら、運は努力に勝るものかもしれないと思う今日この頃。 ただ、運というのは不確かなものではなく、合理的に高められるものであり、 そこには、多少の違和感を伴う情報処理を行う必要があり、人によってはその違和感を乗り越えて新たな情報処理回路を自分の中に組み込むことに多大なコストを感じるかもしれない。 しかし、そのコストを払い続けることで、予想もしない報酬が待っているのだと思う。 ところで私は、随分前に職場の上司から、「あなたは本当に運がいい」としみじみと言われたこと

          運とルビンの壺

          利用・活用・応用

          言葉にはうまく表現出来ないが、何となく感じる違和感というのは無視できないし、その違和感を深堀りすることは自分の行動基準に繋がるのではないかと思っている。 例えば、 友好的で優し気な言動だけど何故か親しく付き合おうとは思えない人。 掲げる理念に共感はできても何故か違和感を感じてしまう人。 これまで、そんな人達に警戒心を抱いてしまう理由が今一つ分からなかったが、 ふと、その要因として「利用の意図」を感じていたからだということに気付いた。 そもそも、「利用」とはどういう

          利用・活用・応用

          視点の次元という格差の最大要因

          ある方が、 「理性を用いて感情や思考を一旦自分から切り離すことで、主観から客観へ視点をシフトできるが、こうした、主観から客観の視点のシフトは視点の次元を高めることだと言える。 視点の次元が違えば見える世界が変わって結果も違ってくる。 世の中の格差って、こういう”次元の差”が起点となっているのではないか。」 と仰っているのを聴いて、強く納得している。 「格差」というと、経済力や能力といった社会の中で評価され易い基準ばかりが注目されがちだが、 「視点の次元の差」こそが

          視点の次元という格差の最大要因

          「当たり前の有難さ」の実感は、微分係数のプラス化のコツでは。

          25年前、大野勝彦さんの詩画集と出会ったが、 未だに印象に残り、益々その存在を大きくしている一文がある。 それは、 「もし、私の両腕が元に戻ったら私は嬉しさのあまり発狂してしまうだろう」というものだ。 この方は、農作業中の事故で両肘から先を失い、不屈の精神でリハビリを行い、今では義手であらゆることを行えるようになり、 とても義手で描いたとは思えない見事な書画作品を製作しておられるのだが、 そんな方でも失った両腕への憧れはこれほどまでにも強烈なものかと思い知らされる

          「当たり前の有難さ」の実感は、微分係数のプラス化のコツでは。

          素晴らしい店舗で体感できた「空気の影響」

          私が時々行くモスバーガー店はチェーン店でありながらも、その他店舗と比べて明らかに抜きんでているように感じる。 店内の内装が洒落ていて落ち着きのある雰囲気と何よりスタッフの方達の接客が素晴らしい。兎も角、元気で愉しそうに接客しているので店内の空気が良く、僅か数秒のやり取りでも気分が良くなってしまう。 大きな道路に面する住宅地であるため、近隣の常連客が多いようで、客は客で店員との血の通ったコミュニケーションを楽しんでいる様子だ。 今まで私は全国チェーンのファーストフード店で

          素晴らしい店舗で体感できた「空気の影響」

          生存戦略としての「諦めること」

          戦略とは「戦いを略すこと」であり、「諦めること」とは大事な戦略の一つだと思う。 諦めることは、「道を閉ざす」ことではなく、「別の視点で活路を切り拓く」ことだと実感している。 そして、別の視点で活路を切り拓く上で大事なこととは、 「正解を探す」のではなく、「今の自分にとって解くべき問題を見極めること」なのだと思う。 更に、解くべき問題に取り組む中で目指すものは「唯一の正解」ではなく、「自分にとっての納得解」なのだと思う。 私の周囲には、「唯一の正解を求めて彷徨っている人

          生存戦略としての「諦めること」

          100冊の本をダウンロードするよりも1冊の本をインストールしたい。

          当たり前のことかもしれないが、ダウンロードとインストールは違うことなのだということを最近気付いた。 何かのソフトをPCにダウンロードしても、それをインストールしなければ、そのPCの機能は何も変わらない。 単にHDの容量を使うだけ、である。 ダウンロードした後、そのファイルをクリックするとインストール手順に移行し、インストールを完了して初めて、そのソフトが使えるようになる。 PCに何かをダウンロードするということは、そのソフトやデータを使いたいからなので、それをインスト

          100冊の本をダウンロードするよりも1冊の本をインストールしたい。

          「諦めるべきもの」と「諦めるべきでないもの」を判別する

          ある人が、 「「諦める」とは、自然の摂理に適ったことに対して行うことが大事だし、そうやって諦めていくことで、本来諦めるべきでないことに本来行える努力や工夫が行えるようになる。」 と言っていたが、最近このことに納得している。 例えば、生き物は必ず死を迎えるが、これは自然の摂理に適ったことなので、不老不死は諦めるべきことであろう。 程度の差こそあれ、加齢による身体的現象は自然の摂理であり、 例えば50を迎える人間が、10代の見た目を取り戻そうともがくのは摂理に反するので

          「諦めるべきもの」と「諦めるべきでないもの」を判別する

          「待つ時間」を再定義して愉快に生きる

          前回書いた、「愉快に生きたければ、愉快に生きればいい」ということのチャレンジ報告。 隣町にある人気うどん店に食事に行ったが、混雑を避けて13時半に行っても超満員。 何とか席についたが、私より前に席に案内された人達の料理もまだ来ていないことから、「こりゃかなり待ちそうだ」と推察し、 そういう事もあろうかと想定して持ってきた本を読む。 この本は、図書館から借りたもので明日が返却期限なので、自分の中では期限の迫った課題としてプレッシャーになっていたが、 この店での想像以上

          「待つ時間」を再定義して愉快に生きる