「自由の満喫方法もまた自由である」

以前、地元の繁華街の裏通りを歩いていたら、
ある店で飛び入り参加可能なパーティーのようなものが催されていた。

私は所謂パーティーピープルとは真逆の人間なので、
そこに参加することは高い確率で「アウェイ感」を感じることは分かっていたが、これは逆に言うと、低い確率で「ホーム感」を感じる可能性もあるということだ。

そして、仮に参加してみてアウェイ感を感じた場合でも、出入りは自由なので、いつでも好きな時にそこから退店することもできる。

つまり、苦手な場に参加することも、低い確率でワイワイと楽しさを感じる可能性に賭けることも、そして、嫌な状態からいつでも好きな時に脱出することも、自分の思いのままに実行できるのだ。

そう考えたら、「このパーティーに参加することで得られる自由と可能性は計り知れない!」と思え参加費500円(安い!)を払い参加してみたのだ。

実際、会場に入ると雰囲気は出来上がっていて、そのほとんどが仲間内同士のようなグループばかりである。

私の目的は、その人達と知り合いになることではなく、苦手な状況からいつでも自分を解放する自由、はたまた敢えてそこにとどまり続けて場の観察をする自由など、ともかく様々な自由を味わう事である。

グループの輪に入りづらいという人間関係の観点のみで言えば、アウェイではあるが、アウェイの状況下で選択できる行動の多さで言えば非常に自由な「ホーム」とも言える状況である。

「アウェイだけどホーム」
この何ともいえない状況を15分ほど一人で味わっていたら、
女性二人組が「一人なんですか?」と不思議そうに声をかけてきた。

この人達も思い切って参加したはいいが、アウェイ感を味わっていたそうだ。

なので私は、「このアウェイ感が堪らなく面白いですね」と言ったら、
この二人は「そういう感じ方があったのか!」と言わんばかりに驚くやら呆れるような反応をされていた。

アウェイ感を感じるお仲間同士ではあったが、この二人にとっては私の感覚は想定外だったようで、それ以上会話は続かず、この二人もまたどこかに行った。

時計を見ると入店してから30分ほど経っていた。
この短時間で実に様々な感覚と自由を味わうことができたので、
私はすっかり満足して店を出た。

通りに出ると、いつもどおりの景色が拡がっていたが、
わずか30分間での日常→非日常→日常という変化がとても面白く、
小さな冒険ができたようで嬉しかった。

よく、「気になる店はあるが、一人だと入りづらい」と言う人がいるが、
これは本当にもったいないと思う。

何故なら、入りづらいという気まずさ自体も非日常であり、
冒険の入り口だからである。

冒険というと、
「命の危険を伴うリスクの高い行動」というイメージがあるが、

非日常への扉に向き合うという事自体もまた立派な冒険だと思う。

脱出自由な保険をかけれる状態で敢えてアウェイに飛び込むことは、
とても割のいい冒険であることを学んだので、

これからも機会を見つけてはやってみたい。

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