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『第1弾』“21世紀の不平等” アンソニー・B・アトキンソン著を読んで

過去の記事を投稿します。

第一弾として、自分がコロナに感染して1週間ばかり療養ホテルに滞在していた間読んだトマ・ピケティの師と言われるアンソニー・B・アトキンソンの著作 “21世紀の不平等”について論じてみたい。(ちなみにピケティ氏の有名作は読んでいない。いきなり師匠から読んでしまった笑)

できれば、今後月2回のペースで投稿できればと思っているけど、いかんせん政治活動しながら本を読む時間を確保しないといけないし、僕は致命的に本を読むスピードが遅い!なので、目標として自分にタスクを課してみることにする。(文量は、ワード半分くらいのイメージで!すでに半分の量にきているが・・)

と、前置きが長くなったけど、アトキンソン氏の“21世紀の不平等”についてまとめてみたいと思う。370ページに及ぶ本著作にて、著者は、巻末で15の提案をしている。すべてを述べることはできないが、理念としてアトキンソンが述べていることは、不平等は政策決定において是正することができるという確信である。


「不平等は流れに身を任せる以上のことを要求しないので簡単だが、平等は流れに逆らうことなのでむずかしい。」と参照している点である。


僕もあえて与党でなく、野党に身を置いてるので、現行の流れに逆らっているが、地域を歩いているとなかなか厳しい。すごく実感できるフレーズだった。その点を踏まえて、15の提案の中から提案6を焦点に当てたい。


提案6「成人時点で全員に資本給付(最低限相続)を支払うべきである」というのがアトキンソンの提案だ。
これは、資本主義の社会において、何かを成そうとするとき、まず資本がないと何も始まらないということに帰結する。ビジネスを始めようと思っても、商品を仕入れたり、開発する元手がいる。それなしに商売は始まらない。

しかし、相続できる人はそれを元手にビジネスを始めることができる。だから、会社の創業者の二代目は、ビジネス基盤をそのまま相続し、商いを続けることができるし、政治家も世襲であれば、地盤というものを継承して選挙で受かり続けることができる。持たざる者は、それこそ自身の努力でキャッチアップするしかない。スタート地点が違うのだ。

ようは、相続自体が悪ではないが、相続が非常に不平等であると言っている。もし皆が相続する額が同じなら、競争の場は「平等」ということになる。

だから、ある一定額、これはベーシックインカムに近い考え方かもしれないが、自分に投資できる額が皆に資本給付されれば、スタート地点が一緒とは言えないが、限りなく近いところまでもっていける。0と1では、全く違う。「1から2」への努力より「0から1」の努力の方がずっと大変だからだ。(最初の一歩!)

総じて、アトキンソンは、第二次大戦後の数十年間に、全般的不平等が戦争前より縮小したとデータで示している。この結果は、急速に拡大した政府移転である。ニューディール政策に代表されるような保険制度の充実を含む給付金の増大は、世帯所得の不平等を軽減した。(だから僕は今、グリーンニューディール政策を訴えている!)そして、最低賃金が大幅に上げられたことも、格差縮小政策に貢献したと示されている。

つい先日、世帯収入1,200万円以上の児童手当が削減される報道があった。アトキンソンは、児童手当を課税対象にすれば所得が上がるにつれて手当の手取りも減るとこちらのやり方を支持している。国民間で壁を設けるのは良くないと私も思う。政府は徴税権を持っているのだから。

アトキンソンの“21世紀の不平等”を読んだ感想は、政策でこの格差社会を変えることが可能だと希望が見えた点だ。実際に、1950年代から70年代は、政府移転が増大したことにより中間層の拡大につながった。その過去の事例から見てわかる通り、2000年代から始まった市場中心主義での行き詰まりは、政府移転で是正できる。(失われた中間層の復権?!)
と、長くなるのでここまで。詳しく知りたい方は、ぜひ本作を読んだください!次回投稿にむけて今から本を読み漁ります!



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