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僕が飼ってた猫のこと。②  ~ji-jyo~

前回のお話はこちら

https://note.com/jijyo8/n/n6a9996794cd8


僕たち家族は2年半くらいして日本に帰国することになった。もちろん新しく家族の一員になったメルも一緒にだ。

生まれたであろうスペインの地から連れ出してしまうことになるけれど、もう今更メルと離れ離れになることは考えられなかった。

日本に戻ってきたときの家は前に住んでた父親の会社の社宅だった。
その時も本当はペットは飼ってはいけないはずだったけど、内緒で飼っている人たちも数人いてある程度は暗黙の了解的な感じで僕たちもそのままメルと暮らした。

メルは両手のひらに乗るくらいの子猫の時と比べると、だいぶ大きくなり毛の色もだいぶ変わっていた。
子猫の頃は白い毛の面積の方が明らかに多かったけど、成長していくにつれ黒い毛の面積が増えていた。顏はほとんど黒い毛に覆われて体も白が少なく薄っすら茶色が混じっているような毛色になっていた。
それでも相変わらず青い瞳が印象的でとても可愛かった。

ある日僕の家に友達が遊びに来たとき、友達はメルを見るなり、

『タヌキかってるの!?』と目を丸くしながら本気で聞かれたときはメルには悪いけど大爆笑してしまった。


それから少しづつ状況は変わっていった…


日本に帰ってきてから母の体調が悪いことが頻繁にあった。
バルセロナから戻る前も体調が悪いことは何度かあって、数日入院しなければならないこともあったけど、帰ってきてからは比べ物にならないくらい体調が良くなかった。

それから何度か病院に通って分かったこと、母は猫アレルギーだった。
アレルギー反応が出ると喘息の症状が出てしまうようになっていた。
バルセロナにいた時からきっとそうだったのだろうけど、あちらでは家がとても広かったから少しはマシだったのかもしれない。

日本の家はあちらの家に比べると面積はほぼ半分くらいの大きさで猫アレルギーの母にとってはとても辛い環境だったと思う。
日本に帰ってきてからも母の体調が悪くなって入院することもあった。

僕たちは選択に迫られることになった。

そう。メルと離れ離れになるという選択を……

幼かった僕はそんなの難しくて選べないよと思っていた。まさに母を取るかメルを取るかという選択、僕は両方選びたかった。
でもそれは無理なのはわかっていた。たぶん… 心のどこかでは。

夜中に母が喘息で苦しそうで咳が止まらないときは心配になり、姉も僕もどうしていいかわからなくて泣いてしまうこともあった。

父は仕事で忙しくときには少し苛立ってしまっているときもあった。

メルも母が苦しそうなとき心配そうに母に寄り添うこともあった。
けど、母は猫アレルギーだからメルが近くにいると余計にひどくなってしまう。母はあまりにも優しすぎた人だったから自分が辛くても絶対に追い払わない。
そんな時は僕や姉がメルを連れて隣の部屋に移動した。

でも。もう限界だった。みんなメルが大好きだったけど、これ以上は一緒にいられない。これ以上、一緒にいたらメルと離れ離れになるよりも悲しい結末が来てしまうかもしれなかったから。

ある日、母がどうしよもなくひどい喘息の症状が出た夜、父が夜中に病院に連れて行った。
そのとき僕は何もできなくて、メルのことも母のことも守れなくて自分はなんて無力なんだと泣いていた。
父と母が病院に向けて出て行った後も一人で布団の上で泣いていた。
メルはそんな僕のところにやってきて、膝に上り、そのまま肩まで登ってきた。
3年近く一緒に暮らしてきてメルが肩まで登ってくるのは初めてだった。
僕がそのまま泣いているとメルは僕の頬に顏を近づけてきた。
そしてメルは僕の頬をやさしく噛んだ。

メルに《泣かないで。》

そう言われた気がした。でも僕はメルのその優しさに余計に涙が止まらなかった。朝方まで泣いて泣き疲れた僕はそのまま眠ってしまった。


それから家族で話し合い僕たちはメルとの別れを決意した。
幸いにも当時のクラスメイトの中にメルをもらってくれる友達がいてメルが新しく暮らせる場所はすぐに見つかった。

その友達の家は山の中の方で、周りは自然も多く、家自体もすごく広かったので環境的には申し分のない場所だった。
その友達も、もともと猫を飼っていたし外では犬も飼っていた子なので安心して譲ることができた。


いよいよメルを引き渡す日、僕らは家族全員でその友達の家に向かった。
父が運転する車に乗って、メルに最初に会ったあの日のように。
今回は段ボールじゃなくて猫用のゲージだったけど、メルはあの日みたいに今度は成長した猫の鳴き声で『ミャーミャー』と鳴いていた。

僕はずうっと泣きそうだったけど我慢してた。今から友達に会うから泣いていたら恥ずかしいと思ったし、それに泣いたらまたメルに心配されるだろうし。本当は泣きたいのはメルだって同じはずだと思ったから。

友達の家に着くと僕はメルをゲージから出してあげた。
メルは怖がる様子もなく友達の家の中に走って入っていった。

メルは車の中ではあんなに鳴いてどこかに連れていかれることをとても嫌がってるように感じたけど、友達の家に入ると寂しさなどはなかったことのようにその家になじんでるように落ち着いていた。

僕たち家族は友達と親御さんにこれからメルのことをよろしくお願いしますと伝えると大事にしますと言ってくれた。
あまり長くいると余計に辛くなるからそのあとはみんなで早めに帰ることにした。
『メル。元気でね。』
そう伝えて僕らは家路へと向かった。
帰りの車の中では誰も泣かなかった。でも誰もしゃべることもなく静まり返った車内は寂しい気持ちで包まれていた。
僕がメルと会えたのはその日が最後だった。


そのあと僕たちはまた父の転勤により引っ越すことになった。今回は国内だったけど気軽に戻って来れる距離ではなかった。
引っ越すときにメルに会ってから出発したかったけどいろいろ忙しくその時間を取ることが出来なかった。
でもその時は今回は国内だし、時間が出来たら会いに行けると思っていた。


僕が引っ越してから1年くらいたった頃、自宅に電話がかかってきた。
かけてきたのはメルをもらってくれた友達からだった。

『ごめん。ごめんね。メルがいなくなっちゃったんだ。たまに外に出ることはあったんだけど、1週間くらい前に外に行ったきり帰って来ないんだ。』

僕は言葉に詰まったけど…ひとまず、

『そっか。そうなんだ。うん。わかった。大丈夫だよ。知らせてくれてありがとう。』

そう答えて電話を切った。

その後は何も新たな報告はなかったからきっとそのまま帰っては来なかったのだと思う。
だから今でも引っ越す前に最後に会っておけば良かったなとたまに思ってしまう。


最後にメルが僕に教えてくれたことを書きたい。

たくさん、たくさんあるけど、
メルと初めて会った時のこと。自分がどんな状況に置かれても決して諦めないということ。
あの時もしもメルが他の猫のようにおとなしかったら僕はメルを選ばなかったかもしれない。
それに欲しい物は欲しい、こうしたいと思うことはしたい。というような自分の思いを大切にするということ。

そして例えそのとき自分が無力に思えても前に進むんだということ。
強くなるんだということ。

もちろんこれは僕が考えたことだろうけど、そういうふうに感じたり思わせたりしてくれたのは紛れもなくメルだろう。

これが僕が幼い頃3年間だけ一緒にくらした猫、メルのお話。
あれから僕は猫を飼ったことはない。でもそれは飼いたくなかったんじゃなくて僕が生きてきた環境が猫を飼ったりすることが出来ない環境が続いてたから。
だからこの先もしまた猫を飼える環境になることがあったらまた一緒に暮らしてみたいとは思っている。
そのときはメルと一緒に暮らしたみたいに幸せな時間をまた過ごせたらいいなと思う。
今度は最後まで自分の力で守ってあげたい。

最後に。メル。僕と出会ってくれて、大切なことを教えてくれて本当にありがとう。僕は君を一生忘れない。


最後までお読みいただきありがとうございました。

                             ~ji-jyo~

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