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ディズニーパークと博物館の将来を視てみよう

「ミート・ザ・ワールド」のような「教育的なアトラクション」の数が、現在進行形で世界中から減りつつありますね。産業・技術・自然について体験のように触れられるのがディズニーパークの醍醐味の一つなんですが、こうしたものが消えつつあるのはちょっと寂しさを感じます。

だいぶ前にタイムラインを眺めてたらちょっとモニョったつぶやきを見つけたので、自分なりに消化してみることにします。なんというかファンからの「それ違くね?」というのの応酬はあんまりよくないなぁと思ってて、結局こういうのって自分なりの答えを見つけるしかない(見つけたとしてもそこまで砲撃してええんか?)ので、いっこ参考に思っていただければ。

ジオパークとしての東京ディズニーシー

よく私は「うそのほんもの」という言葉を使ってますが、東京ディズニーシーのジオパークとしてのイカれた(誉め言葉)完成度の高さはどこよりも群を抜いています。なぜそこまでこだわったのか?という言葉が出るほどです。例を挙げるとするなら、ベタなところだとプロメテウス火山の地層はあまりにも有名だったりしますね。これは専門家が実際に学術考察をされていることが知られて名声が高まった(のと風間神が出た番組でさらに火が付いた)というのがあり、もしそうじゃなかったらジオパークとしての素晴らしさが知られることがなかったのではないかとも思います。つまるところ自費研究の魅力が口コミで広がったみたいな感じなんですね。

私が最も驚嘆したプロップに、パラッツォ・カナルというヴェネチアをモデルにしたエリアにおいて「高潮がやってきた跡」があったというものがあります。このプロップはエッジングといい、まるでそこにあった自然さといい、もはや一つの芸術の域にまで達しているほどです。なんでこういう自然さが出せるのか?というのはめちゃくちゃ知りたいんですね。これによって、本当に創作物なのか?という永久のテーマすら生まれてしまうというのが、このディズニーシーの魅力というわけです。

相互補完の将来は崩れる?

さて。博物館とテーマパークというものは相互に補完しあっているものもあれば、そうではないものもあったりしますね。それはひとえに、どちらも「専門分野」の中で通じ合っているからであって、それ限定の「つながり」しか持たないからだと思うのです。そうだとすると、一見するとデカ盛りパフェのように様々な文化や事象を扱うディズニーパークがどれだけ巨大なことやっているのかがよくわかるかなぁと。

実を言うと、博物館との相互補完を維持できるテーマパークと維持できないテーマパークがあると感じています。一つは設置場所の市場規模。これは「刀」の人なんかがよく持ち出す考えだったりしますが、大阪に映画だけのテーマパークはうんたらみたいなことを指してます。もう一つは「不変のテーマ性」。一つのテーマにしても、それを持続させるのは至難の業です。学術的な価値がそこになければ、きっと「ハコ」を入れ替えた時点で厳しくなるでしょう。

この2つのポイントにいち早く気づいて脱皮したテーマパークを紹介します。

ハウステンボスの変革、ユニバの変革

USJのセレクトショップ化というのはよく論じられるテーマであります。僕自身はあまりコンテンツという言葉が好きではないのですが、それらを一つ一つの「セット」として捉えてイベントとする技術は、毎度驚嘆し続けています。しかしながら、それらと並行して「バックドラフト」のような映画の本質、ものづくりのたのしさを伝えるアトラクションが存在させ続けていることがUSJの一番面白いところです。例えるなら「共存」でしょうか。

異質な文化と考えを同居させるのは非常に難しいです。水と油を混ぜたらよく分からないものができるのは明白で、もし同居させるなら細心の注意を払い続ける必要があると私は感じます。非常に強いプレッシャーの中ですが、それでも期待に応え続けています。

オランダ文化の旗振り役として生まれたハウステンボスも脱皮した一例でしょう。「先導を伝える街」から「次世代の環境都市モデル」へ、その役割を大きく変化させたHIS時代の目線は非常に鋭く素晴らしさに溢れていると感じます。全面対決を避けて違う道を見出す、という言葉は非常に重たく、意義があります。それでは、博物館も同じような道を辿らなければいけないのでしょうか?

「鈴廣かまぼこ博物館」の衝撃

その答えは箱根の風祭にあります。私が日本で最も推す博物館の一つ、「鈴廣かまぼこ博物館です。

企業博物館という体ではありますが、冗談抜きで日本の博物館史に名前を残し、初期エプコットと初期ディズニーシーに日本発の施設でタメを張れる数少ない場所であると確信しています。その理由は、徹底した「本物」と「魅力」の紹介にあります。

鈴廣かまぼこ博物館はパネル展示が中心です。みなさんが思っているような最新技術を用いたアトラクションはありません。しかしその一つ一つが新たな発見、魅力の再発見、そして何より「技術と心意気を未来に伝える」というところに重点が置かれており、そのパワーは間違いなく当時を愛する人に届くはずだとも思っています。

そうです。長く愛され、持続可能な人気を集める施設にはこの重点が非常に重要であり、そうであれば展示方法はなんだって構わないのです。たとえインターネットでさえ。

広く本物を知れるから「博物館」

博物館には「学術的な価値のあるものが存在する」という唯一無二の長所があります。それは美術品であり、それは工芸品であり、それは製造工程です。ここがテーマパークとの大きな違いであり、同時により大きな成長のための突破口であるとも考えます。

日本で最も歴史のある博物館の一つである「トーハク」こと東京国立博物館を例にとりましょう。この博物館では、まるでオリックス中継ぎ陣のようで豪勢な「国宝ラインナップ」が数多く存在します。しかしながら、いつも教科書で見たようなものばかり展示してるわけではありません。博物館は「ハコの入れ替え」という点で見るとテーマパークより柔軟です。展示するものを入れ替えただけで新しい風を吹かせることができます。それでいて新たな気づきが多く生まれるのはさすがでした。

また、最近のトーハクにおいて最も驚いたのは「デジタルサイネージと学術的価値のある現物を同居させる」という手法をとっていたことでした。一方では能や歌舞伎の演目を流し、一方では「ほんもの」の衣装の展示がある。歴史的な工芸品などを扱うトーハクで、これをやったことは相当画期的だったように感じます。

もちろんこの手法自体は特異なわけではありません。歴史や社会の勉強から離れ、アニメーションや工業製品に関わる展示では日常的に行われています。スクールアイドルグループ、Aqoursの5周年展示「Pieces of Aqours」では、実際のステージ衣装や原画とともに、それがどのようにアニメーションの中で動いているかを見ることができました。トーハクでこういうノリをやったこと自体に、私は非常に驚いたのです。

最新技術だけがテーマパークじゃない。そうあってほしいと常々思います。今からだって逆転されても不思議ではないかもしれませんが、お互いのマッチアップだけでなく、あっと驚くような補完が出てくることをとても楽しみにしています。

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