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Dark Side Of The Welfare ~福祉の暗黒面~

2年前の7月に以下のようなことをちょろっと書きました。

まだまだ短い文章で書いているのですけれども、当時から色々と気になっている事や他団体が金によって堕ちていく様を見ていたり、またはコンサルタントを名乗る人達や、政党との繋りに関する黒い部分なんかを見てきているのはあるわけですし、そもそも生まれて物心がついた時には峠工房と言う総合福祉事業を親が始めてしまっていますし、今よりも弱肉強食というか福祉というものが今より遥かに税金を私しやすい時代にはじめているので様々な問題を見聞きするに至っているのですよね。
50年も前の話ですし、子供の頃に見たことなんかを含めて話したり書いたりするとリベラルを名乗る、左翼を名乗る人からは証拠をだせと言いますが近年のあの界隈の言い方を使うなら「私の証言が証拠だ!」ってなります。

そう、証言による真贋不明な話であったとしてもそういう証言を被害者や目撃者、体験者がしたと言ったらそうなの!って感じの事を定着させて濫用してきた結果の問題なんてものもあり、そのへんは政治の問題なのですね。

とりあえず、福祉を悪くしたのは自民党ではない

現在までの二十~三十年ほどの間で通説化して広まっているのは福祉を悪くしたのは自民党政治みたいな言ですが、別にそんなこたーないです。
与党であれば叩かれるのは仕方ないとしても、自民党の政治というもので福祉を悪くしたってのは現状では無いと言えるのですね。

実際、政治の場に顔を出す事が増えるとわかってくるのは、与党は国を動かす事をして野党はそこに国民の声という名目で自身というか、自陣営の要求や意見、発案を伝える形になりますから、そのへんを国会で議論し適正な形にしていくってのが、議会制民主主義の形となります。
日本は、敗戦国としてズタボロでしたらGHQの占領政策が終わってからの回復には、相当な労力と時間を要するであろうと言う連合国側の思惑もあったのですが、まあ国民の生活第一で考えると復興が大事。
戦争はもう起こらないであろうの希望もはずれ世界では小規模な戦闘や紛争は増えてるなんて時代もあって、日本の政治は国家一丸となっての復興なんですよね。
この頃は自民党はまだ無い時代ですね。

このときに、国民への福祉や労働への対価などはかなり優秀だったようですが自由主義国からみれば社会主義的な面が目立ちますし、復興速度が異常と言う点では警戒されている国でもありました。
その復興や高度経済成長の流れに行く段階で自由党と民主党が合併して自由民主党になるんですけれど、この話は今回特に重要ではないわけでその後与党になっていたり、90年代には一旦下野したり小泉人気だの公明党との連立だのと言うのが出てくるわけです。

自民党が与党である間に福祉をないがしろにしたかのように言われていますが実際には行政が行います。
行政が行うために予算を決定し、配布し地方行政などで運用すると言う事になるのですけれど、その間にも与党自民党は福祉方面では表立っては動かないわけですね。

もちろん地方議員や地元議員などが福祉方面で助ける事をしていたりするんですけれど、これは野党とて同じこと。
つまり、政治の仕事は国政議員と地方議員ではだいぶ違うと言う事がありますが、しかし大きく与党と野党で違うのはどれだけ影響力がでてしまうか、です。

考えてもみてください、与党の代議士と野党の代議士が同じ内容の事を地方行政や役所の役人などに言った場合、ビビるのはどちらからの声か、ってことです。
当然与党なので、与党の代議士はあまり表立って役所についていくなどは事、福祉に関しては起こらないと言う時期もあったりしました。

この辺は、憲法による縛りがまだ十分効いていた時代とも言えますね。
野党代議士が地元で強いとか弱者の味方の政党とかいうふうに言える状況を作り出す事ができたのは、与党が国政の要と言う意識があり権力(野党も権力)のまとめ役であった、と言う形で動いている時代でもあったから、と言うのはあります。
なので、行動経済成長だの異常な速さの戦後復興だのが成し遂げられたなんて面と、生活保護や学校教育、老後の安泰や給与面などは敗戦国の水準以上なんて事も言われるに至ったと言う話も聞いた事ある人も多いかと思います。
五十路超えならだいたいそういう話は聞いているんじゃないでしょうかね?

見方を変えると野党が福祉を悪くしたとも言える

悲しいかな成果主義、地元での成果に比べて国政では弱いと言う印象の強い野党各党でしたが、一つには冷戦期なんてのもあります。
共産主義というかスターリニズムとマオイズムによる共産主義を標榜した拡大主義は恐怖の対象でもあるんですよね。

一つはベトナム戦争です。
もう一つはポル・ポト派の虐殺などの話。
ボートピープルは、それらの虐殺から逃れてきた人なんて言う話もありましたし、実際に家族が戦争で殺されているなどもいます。
事実、私の住んでいる地元ではベトナム戦争の難民をルーツにもつ帰化人もいますしね。
この人達は、結構韓国を憎んでいて外国人の多い地域でもどういうわけか韓国人が少ないとか、中国残留孤児二世を名乗った実は黒社会の尖兵なんかが猛威を振るわなかった理由の一つなんて事になっているとかいないとか。

脱線してましたが、そういう難民を受け入れる地域でもあるところでは人権や平等、平和なんて事で左派系が強かったりしますが反米色も強く、基地前での大騒動や米兵へのヘイトアクション、なんてな事も多かったりしました。
あまりに罵倒されすぎて、酒を飲んでいたこともあり大騒ぎした米兵がMPに回収されるのを見ることもありました。
そんな地域ですから、基地のあるエリアでは交付金で福祉費用が出ることから、仕事をしないでも反対運動できる!なんてなって集まる人もいないわけじゃなかったそうですね。

ただ、そういうのばかりじゃないです。
今話題の代々木の方の政党や、信濃町に深いかかわりのある政党なんかは支持者獲得のために福祉団体や施設などを回って成人年齢もしくは学校を卒業する、当時は中学をでたら無職か簡単な仕事をするしかない状態で雇うという状態が基本でしたそうで、そういう障害者や家族に対してかなりアプローチ、それこそ今で言う福祉に繋がれます!を双方で競争の如くやっていたそうです。

こっちの方では信濃町関係が批判を受けるような事をしていたなんてありますけれど、それに対抗するのが代々木方面での方々だったそうですね。
生活保護や、作業の手当(実際には地域の障害者作業所なんてのは無いわけではない)などを得るとそれを『自発的に』寄付するなどがあったそうです。
また、信濃町方面の信仰を持つ人が自分の資産を投じて施設や会場などを提供し、福祉の充実を図るための運動や活動をしているなんてあったそうですが、実際には福祉の方面でのサポートや充実は政治の方では動かなかったなんて事も。

これには代々木の方との競争じみた面もあって、双方の動きが妨害の様になっていたなんて、代々木方面の方から聞いたこともあります。
代々木方面でも、機関紙購入や配布に集会や各種運動に参加する事での自腹を切る場所が無くなったなどの問題もありましたそうで。

その際には双方、生活保護や支援の場などに一緒にいって担当役人と話なんてあったそうですが、役人にしてみれば自分の居る役所の議員がくるわけですからね。

市議会議員や県議会議員なんてきたらそりゃビビる。
ビビって、忖度をしてその人や団体などを優先するなどの問題も多々あった、なんて事は記憶にある高齢の福祉関係者や役場関係者なんかはまだいるかもしれません。

その支援の見返りを当の議員は求めるかっていうと求めず支持母体や支持団体、支援団体や組織などが強いお気持ちを表明する事になる、なんてな事も問題としては提起されていたのは、過去の新聞(40年は前の話だが)を漁れば出てくるかもしれませんね。

この辺の問題で、では悪意が介在していたのかっていうと無いのです。

善行のために悪行に走る

双方の政党所属の政治家、またそこのパイを奪おうとしてきた今は消滅してしまった左翼政党なんかの政治家に、じゃあ悪意があったのかっていうと当時の人達には明確な悪意はないんですよね。

社会を良くする(自分たちの思う思想信条ではあるけど)、弱者を救う(この時に成果となるので見返りは求めない)、行政のサービスを受ける事をできるようにしてやった(党内での評価につながる事もある、とか)などなどで善行と言い切れない下心はあっても、成果をだし次の選挙へとつなげる事をする行為まあ、仕事をこなしただけなので政治家自体には悪意をもっては存在してないし、やることは有権者への手助けのハズなんですね。

ところがこれは、地元の代議士や地方議員が来ることによる当該現場への異常なストレス、プレッシャー、いってしまえば政治的圧力となってしまいます。
一応は有力者ですしなにかあれば、政治の場(町議会や区議会、市会、県議会などの場)での、自分達への吊し上げや業務自体を否定されることでの停滞を発生させるかもしれないなどの恐怖を生んでしまう事になり、正当な手続きや実行に支障をきたすかもしれない。
結果、本来優先される人が後回しになる事もあるし、より重要な案件を後回しにしてしまう事や、なかったことにしてしまうこともある。

役所の人間、行政の人間がそんな事でどうすると言う意見もでますでしょうが、政治家が有権者すなわち市民の代表と言う事になるのでそこに反抗する場合は市民等が役所への不満を先導される事はあるなんて言う状況もなくはないのですね。
現在も、市民活動今はプロ市民と言われている人達が今の人たちはデモをしないだの抗議の暴動をしないことを嘆いていますが、これらの事が役に立たない、人が死ぬ(実際川崎であったよね)等の事をしても犯罪やそれに対応するために、手続きや行動に制限がでてしまう事の無駄をしったとも言えます。

ただ、それでも政治家の威光はあるわけで与党の人がくるとそういう問題行動の是正にもつながる事はある、なんて事がありわざと呼ぶ事もあるとか。
実際、天下り斡旋の批判され失脚して反政権の騒ぎに乗じて有名になった人もいますしね。

ただ、それで政治家が自分の仕事を全うしたのであったとしてまた、見返りを求めない事をしていたとしても、周りの支援者達が行き過ぎてしまう事はだいたいの左派、革新系では抑えられなかったなんて事だそうで。
実際、メンタル系のNPOをやっていた時にはそういう相談があったなんて話から東京の区議会の方に相談受けたりしたこともありました。
助けてもらったのに、周りの人が寄付やお布施、生活厳しいのに機関紙を取れなどで余計に苦しくなった等があるのだそうで。
それを何とかするために、働こうとすると体や心が万全じゃないのだからと止められてさらなる生活保護の増額をしろ的になった、とか。

この場合、じゃあ被害者を救えで相談を受けたのかと言うと、過熱暴走した支援者や支持団体を抑える方法なんかないか、でした。
左派系なので、それは悪いと言う事を指摘すると良いことをしてるのに!となるそうですから、どう抑えるのが良いのかとなっての話でしたね。
その時は、一つの例では「周りが騒ぎすぎると余計に心に負担をかけてしまって大変な事になります、静かに見守ってあげなさい」的なことを言う様に指導した、とカウンセラーの資格をもつ人が言ってなんとか収まった、とか。

これらの人たちがじゃあ、悪意でとか利益でと言う事で動いたかと言うとそういうわけでもないそうで、全て善意で動いているのですよね。
そして善意で動いたし、相手も助かったから感謝しているはず、そして誰かを助けたいと思っているはずっていう意識でメンタルが寛解してない人も怪我や完治してない人も、また障害が残ってまだ先行き不安な人にも自分尺度のさあ動こう!でやらかしているなんて感じなのだそうで。
なので、善意の塊で悪を行っているという始末なのだそうですね。

とは言え、裏にはいろいろと

じゃあ、今話題の所も悪意はないじゃないか!という人もいるかと思いますがしかし簡単に行かないのが福祉の暗黒面、なのですね。
40年ほど前は福祉方面では表立っての黒幕というか操ってる人ってのはでてきてないというか目立たない様にしていたなんて話もあるにはありますが、やはり時代が進むとグローバル化だのデファクトスタンダードだの、グローバルスタンダードだの出てくるわけですよ。

ローカルな問題ってのは何も地域ごとではなく国ごとの差や様々な違いがあるから、ひとえにそれを全部に当てはめて一気呵成に解決だ!なんてできないのですね。
だからローカリズムやナショナリズムを否定する事が正義な感じ、話によれば共産主義革命がグローバリズムやリベラリズムを隠れ蓑にしてたなんて話もでてくる状態が90年代になって出てくる状況に。

実際には、共産主義で社会主義でもローカライズしないと成功しないってのはキューバを調べるとわかる範疇だと言う事になる(古の左翼はそういうらしい)そうですけれど、実際には過去の一気になにかを変えるすごい魔法の様に思い込んでいるかの様な動きをしてる、なんて感じに。
これはフェミニズムも同様で一時期田嶋陽子先生も苦言を呈していたはず。
そういう部分で90年代から今に至る部分を見ると、すくなくとも福祉をだめにしたのは自民だけではない、野党も同罪だと言う事になるしリベラルやグローバルを盾にして、うまく言っていたローカルなシステム、コントロールされた状況を破壊した事での弊害ってなるのはあるんですよね。

この90年代から今にいたる部分は何も福祉だけではないのですけれど、福祉事業における面で言うと、善意の悪行やらなにやらが目立つとなりますし、思想や信条、また政治体制を変える事がなにかを変えるというだけで明確な目標もなく事を変えて状況を悪化させた、なんてのはあるといえる感じです。
そういう部分をあれこれ言うとネトウヨだのレイシストだのなんだのと言われるようになってしまった00年代後半がなければ、もしかしたら福祉はもう少しまともに機能していたかもしれない、なんて思うのですけれどねw

続く・・・、かも


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