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古い車やバイクを好む若い子も多いぞ

峠工房では、車やバイク等を使っての療育もしているのですが、そこはいわば趣味の領域です。
大人になっても趣味がない、と言うのでは仕事だけのThe歯車人間!
歯車人とか書くと、昔のロボットアニメで敵の軍団にいそうですね!戦闘員でしょう!とか言いたくなるレベルに。

障害の有無に関係なく、趣味や仕事以外、また他の人とのコミュニケーションツールもしくは対人ストレスから離れるためのアイテムとしての趣味ってのは大事でして、車やバイクもその趣味の一つと言うのはあります。

車やバイクはある意味カラダ。

大事にしている人にとっては分身とも相棒とも。
多くの場合は移動手段や輸送手段に過ぎないかもしれないですが、好きな人や趣味の活動で大事な役割を担っているとなれば相棒です。
下手すれば恋人や家族より大事な、思い入れのあるモノに変わります。

自分の手足の様に操る(操れる)、自分と長い間の思い出を共有(思い出を作る為のアイテムだった)している等で思い入れや愛着の度合いはちがいますし、一目惚れして買った車やバイクは男女問わず、大事な相棒・バディとしての側面を持ちます。

これは半分は命を預けているからなんて面もありますが、大事にする事で自分の思いをそこに込めているからってのもあります。
だから好きな人、気に入った人には壊れたから、古くなったからと言う事ではいさようなら、と中々割り切れないのはあるんですよね。

そこで、整備やメンテナンス、消耗部品の定期的な交換などできるコトは自分でやるって人もいるし、今は増えているとか?
それだけ大事にするってのは実はエコでもあったりします。

古い乗り物を大事にするコト、エコの理由

新しく車を開発する場合、実際に製造されて稼働している車が出す環境汚染物質の数十倍から数百倍を出すとも言われています。

新規開発の為の素材テストや新素材の開発でのエネルギー。
燃費テストで使うガソリン、汚染物質含有量チェックなどでのエネルギーの消費ってのは、実はトータルでみてもそれほどエコじゃない。

電気自動車は本当は言うほどエコではない、と言う話もあったりしますしエコって言葉だけで古い車やバイクを廃棄するのもいかがなものか、と言う話もあります。

先に上げました様に開発や実験、また市販前のテスト、出荷前のテスト等を含めると開発にかかる環境負荷はやはり莫大な物になっていきますし、電気自動車なら発電の方法次第で変わります。

例えば、太陽光発電だっていまの日本では手付かずの自然を破壊している物が多数派ですしそれによる被害も増えています。
都市部に作ると光公害が発生していますし、問題は山積みなのですね。

そう言う部分の他に、廃棄による汚染物質の発生、環境に対していわゆるゴミの発生等がある訳です。

仮に、車やバイクを修復し現代に合わせてアップグレードしていったらどうでしょう?
実は、新規部品開発や新製品テストよりこちらの方が環境負荷が少ないと言うのもあります。

古い物を新しい技術で作る例えば鉄→アルミとか、プラスチック→エコプラスチック等に変えていく作業をして、長く使うというのは新しいもの新しい素材、あたらしいデザインと次々作り出すよりも自然や資源、エネルギーや環境に対して負荷が少なくなる事も往々にして多いのです。

内燃機関が出す温室効果ガスが!と言う事を言っても発電形式が原子力だったらエコとは言い難いでしょう?

廃棄された部品や素材として再利用

新車でもそういう方向になっているのはありますが(早いところでは80年代から)、プラスチックは細かく砕けばまた素材に、鉄やアルミ、その他金属、合金は溶かしてしまえば素材、ガラスも種類次第では素材化できますし、廃オイル等は処理すれば燃料になるとか。

エンジンの廃油が黒いので汚染物質がとか、金属片がと思ってしまう人もいると思いますが、黒いのはエンジンの汚れというか燃焼カスのようなもんで、オイルからの廃除は楽なんだとか。
そこからの火力発電の燃料にするなどでの利用で新しくそれのために石油を消費する、ガスを消費するを抑えることで環境負荷を低減するなんてのも研究や実験はしてたみたいですね。

化学合成油なんてのもあるから難しいみたいですけれど、うまくすればディーゼル燃料としての道だってあるかもしれません。

この様なリユース、リデュース、リサイクルを効率的に行い古い車でも現代の基準に合うようにして行けば、常に新しい素材や原料、燃料や実験での環境負荷を減らしていく事もできる、と言う考え方もあります。

峠工房のモーターラボではそういう面も含めて教えていたりするんですが…。

常に右肩上がりの呪縛

日本はこの数十年、ほぼ経済成長をしていない国です。
むしろ、減衰してるとも言われていますが、これはプライマリー・バランス症候群とでも言うべきものですよね。

役所が收入と支出のバランスを考えて常に黒字でないと!と言う公共の福祉を忘れたコトいってるので起こってると言えますが、国は普通に赤字でいいです。
経済成長して国民が暮らしやすくなっていると言われてきてる国は滴度に赤字です。
それだけ行政サービスが充実しているからと言えますが、国民の生活がそれも豊かだからこそ赤字でも大丈夫と言うのがあります。

韓国では、そこをミスったと言われていますが(国民の收入対策が遅かった等)、まだ日本はそこまで行ってません。

国が右肩あがりである必要はなく、企業や個人、または個人商店や個人事業主が黒字で右肩あがりの経済成長をすれば問題ない、ともいえなくもないですね。

その方法の一つとして車やバイクの古い物の整備や維持が簡単になれば問題はないだろ、てな面もあるにはあります。

こういうときこそ欧米出羽守はなにか言おう!

それこそ欧米では自動車税がやすかったり、複数もっていたり古い車を維持すると税金が安くなる仕組みがあったりなどするそうです。

アメリカでやたら古い車を持っていてカスタムしたりレストアしたりアップグレードしたりできるのはそういう仕組があるからだとか?

登録した車両の年式が古ければ最新エンジンだろうとなんだろうと載せ替えても、新しく開発するより環境負荷を抑えている、捨てる費用と購入時の費用および環境負荷を減らしているって考え方だそうですね。

なので、メーカーがパーツ絶版でも古いパーツや消耗品を作り販売する会社が繁盛しているなんて面もあるそうです。
ここ数年、そういう傾向がさらに強くなったと言われていますが、名車再生の様な番組があり、流行っていると言うのを考えればこの仕組を日本でも取り入れても良いと思うのですよ。

それこそ、欧米では!のセリフがエコの動きの中では納得される言葉になるってな感じもします。

メーカーが困るのか?

メーカーも古い車を大事にしてもらうのには意味を感じている様ですが、さりとて李益を出し、黒字を維持する義務もある。

常に新型を作り、開発をし技術を進歩させて行く責任もあるしそうしなければそれこそ地球環境の維持や回復は難しいって面もあります。

それが両立できればメーカーだって絶版パーツを販売するコトはするでしょうし、大事に古いモノを使いたい人も財布の紐なんかぶち切るでしょうね。

実際、マツダが古いロードスターのパーツは提供し続けると言う発表をした事もありますし、人気車種は設計図等からパーツが作れる環境はあったりします。

つまり、商売の目はそこかしこに転がっているって訳でしてそれを許される環境が整えば、普通に市場が回る訳ですよね。

かと言って安全はないがしろにできない

古い車やバイク(に限らないが)を使うって事は最終的には安全を犠牲にするかもしれない覚悟は必要です。

そのために税金を上げるとか保険料をあげるってのはまた経済には逆効果となる訳でして、もっと別の方法で国庫に貢献できないとダメですね。

例えば、古い車やバイクを使う人の講習義務とかね。
免許更新の際には、交通安全教習を事故だの違反だの無くても受ける必要を設ける必要はあるでしょう。
国庫の収益にはつながらないって考えになる財務官僚いそうですけれど、普通にパーツ交換や整備で金を使う人が増えるんですよね。

遠出だってしやすくなれば、それだけ消費に貢献するんです。
車検の費用が若干あがる可能性はあっても許すでしょうし、そういうアイデアをだしたり、発想の転換が国や政府にできなければ、やっぱりいろんな文化をなくしていってしまうだけだろうなあ、と思うし正直言って自動車やバイクもその国の特性や個性、民族性に合わせて進化、変化、進歩してる面はあると思います。

そういう歴史的な面を残すってのを考えて行ってみると、いまの自動車行政は大人は勿論、子どもたちにも夢を持たせない自動車行政だな、と感じる次第でして、そりゃ若い子の車離れバイク離れを加速させていくわけだわ、と思う次第なのですね。

メーカーのえらい人も経団連の人も、そのコトに気づいてないのがまたなんともです。

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