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しんぶん赤旗なんかいらない!

いきなり挑発的なタイトルだと思う人もいるでしょう。

攻撃してきたと思う人も多いでしょうね。

しかしながら私が生まれてこの方、物心ついた時から実家が私設というか民間の福祉団体であり、無認可である障害児/者支援のための組織からスタートしてきた今までをみている中で、多くの施設や福祉従事者などを見てきたこと、福祉に携わる/携わりたい人の事を見てきた事、なにより実家での事を見ていると思うことも多いのです。

付き合いや柵の他、関係する故の要不要に関わらないあれやこれやでの購読等をしている人達やその影響を受ける人を見てきた中でやはり今現在に至る心境はこのタイトルによるのですよね。

なにしろ、多くの問題を持っているというか、作ってしまったと言う考えは数十年の時を経てますます強くなるのですよねえ。

グッバイ、レーニン! ~経済とお金と言う概念を忘れた理想論~

レーニンやマルクスが共産主義と言う形を作る中では経済やお金、つまり資産と言う概念は存在しています。
それをどう庶民へ再分配するか、不公平無くそれを皆に享受できるようにするかの論理建てから始まっていると言う面があり、最終的な貴族打倒、富裕層打倒への道へと進んだと言ってもまあ、過言ではないかもしれません。

そのため、資本主義的な経済構造を嫌うのは当然、共産党の名前を持ち共産主義を標榜する以上存在していると言うのはあるにせよ、あまりに経済や資産関係、個人の収入やそれを得るための手段と言うのに対して現実から乖離していっている、と言う事が目立ってきている様に思います。

共産主義や資本主義の良し悪しを語る内容ではないので、あえて善悪論を外すとしても、共産主義における社会の運用を適用できないまま、その理想を押し付ける事をしている、またはそう動く様に仕向けていると思える記事も年齢を重ね、現実という中に生きていくと赤旗や共産党の言う理想論はまるで役に立たないと言うのはあります。

資本主義によるもしくは自由主義による格差社会の是正はわかりますが一気にそれを変えようとする事ででる弊害、またその弊害の大きさを含めた被害を考えずに実行する事のみに終始する論調やそのためそれに否定論や慎重論を言う人を全否定し攻撃的になる要素は私が高校の頃から加速している様に思える赤旗の記事ですが長い間に、総中流社会を実現しているもしくは実現しているかに見える社会でそれを行う事は多くの庶民の生活を破壊する事、という面が抜け落ちた、理想と資本主義=悪論は強くまたアメリカ的なものもしくは西側陣営的な物すべてに対する敵意、害意は80年代から90年代初頭までにかなり強く先鋭化していったように思っています。

そのため、稼ぐ事を悪と感じるもしくは意識に刷り込みされた人が増えるのですが、戦後教育を受けた世代、現在(2021年11月現在)の60代後半から80代にかかる年代は、戦後の新しい教育、新しい生活などで共産主義思想、いわゆる左翼思想を含んだ教育を受けている訳ですから、強く共鳴する事になるのですが、そこには経済や現状で稼いでいる人間が中流階級であり、貧困層はまた別の問題(少なくとも共産主義革命時のそれとは違う状況)と言った事に対して理解が薄いもしくは及んでいない人も増えてしまった現状は否定できない現状といえるでしょう。

加えて言うのであれば、左翼的なものや共産主義思想に関わるものが解禁されたと言う事で、知識人であろうとする人、アカデミアの人であろうとする人がこぞってそれらを読んだこと(一説にはモテる為とも)、それらの知識人や学者層を共産党もバックアップしたなどの話もあり(これは教員だった故父親も言っていた)、共産党に傾倒している影響を受けている人のアカデミアでの台頭、教育関係での台頭を許していると言う面もあるとか。

何事もそれ一辺倒になる事は危険と言うのは理解されていますが、其れを絶対視し、そのため経済の状況や庶民の状況、また稼ぐことや成長するこれは特に経済成長と言う庶民生活にも影響する面を完全に無視した自分達の思いや考えを絶対のものとした事の悪影響、少なくともレーニンやマルクスが貧困や飢饉の多発する時代に考えた共産主義の中での成長や安定などを無視した理想論、もしかしたら妄想レベルでものを考え、発信し、社会(全体ではないが)に悪影響を与えていると言うのはあるのかもしれない、と思うことは多いのです。

ファンタズム ~解決策なき改革論~

先に書きましたように、障害者福祉や児童福祉関係の従事者や施設運営者は長年の付き合いや柵、仕事の関係上仕方なくなどで赤旗を取っている人はいます。
日曜版でも年間約1万円程の費用が出ますから、大手というか資本に余裕のあるところでない限りは、それを紙くずとせず読む事で少なくとも元を取ろうとするのは、福祉事業や児童福祉事業がそれなりに出費が多い事によるのですね。

世間的にご承知の様に福祉事業や児童福祉関係はカネがない、行政の支援が少ないなどの不満が多い事、と思います。
そのため、共産党や赤旗などはその部分を結構言っているのはあります。
児童の困窮や、孤児や家庭の環境により児相に保護された子などの対応、また教育における競争の否定や障害者、もしくは障害児に対する対応の酷さや社会的に落伍せざる、させざる状況に対しての問題の提起、改善の必要を訴えます。

これは共感を受けやすく、またマスコミやメディアにも知識人と言えば左派、左翼系と言う風潮があった時代(おそらく80年代終わりか90年代初頭まで)にはそういう人達の意見は人々に浸透しやすかったのは有るのですが、しかしバブル期からバブル期の終わりにかけては、稼ぐ人は悪、ずるいと言う思想がさらに加速していくのですね。

福祉事業者や関係する人、もしくはボランティアに熱心な人を知っている人は聞き覚えあると思いますが「あなた達は何時でも稼げる、自由にできる、でもこの人達はそうはいかない!私達が助けてあげなくちゃ」と言う主旨の言葉。
この辺は、当時(90年代初期~中期)などには企業(大中小問わず)に対してでる不満であり、赤旗などでも海外では企業がそういう事に投資すると言う事を言っていたりする記事も見ることができました。

が、実際にはそうでもないのが日本の企業でして終身雇用制度による労働者の保護、扶養控除による家族への保障、育児や介護などに対しては企業は大きくなるほど充実度を上げている面はあるんですね。

理由には海外展開などもありますから、其れこそ欧米ではを実践しないと認められない要素がありました。

ただ、赤旗的にはこういう面は認めていないですし、バイトと言う非正規雇用形態で働く人間は必ず不幸と言う図式が抜けていきません。
アジア通貨危機の際や、バブル崩壊から続く不況の悪化などの際にはやはr企業悪役論や、公務員の怠慢論、また自殺者の増加などは資本主義社会や競争社会の悪と言う感じで事を話していくのです。
しかし現実はそう単純な善悪二元論ではありません。
もし、キリスト教的な文化背景を持った人達がこれを論ずるならば神の創造による善悪論で少しはまともに動くかもしれませんが、日本やアジア諸国ではキリスト教より土着の多神教の方がまだまだ根強い影響力を持っています。

そのため、解決を提示すべき行政や政府は性善説による法律の運用またそれによる実は自由度の高い社会への適用、福祉など公益の運用に対しての補助の対処が可能であったりする面もあり、問題を言い解決、改善を唱えるだけで事が動く訳ではないのですね。

この法律に関する話はまた別の機会に書くとしましても、この性善説由来の法律による自由度の活用を見落とすもしくは無視することでの結果的には大衆扇動、またマスコミの反権力大正義と言う中二病的要素も絡まって、状況は悪化すると言う面もあります。

福祉、公益、社会の利益といった業務をする人や関わる人はマスコミや文字媒体が情報源で有り分析の為のアイテムだったりした時代にはその影響を強く受けている、アナログ人間ほどそういう偏った情報に陥りがちなのだと言う事が増えていくのですね。
そして実際の情報と違う部分や、解決策なき改善論などはうまく行かないことを政府の所為や行政の怠慢として流していきますし、反政府や反権力かっこいい!な中二病なジャーナリストまがいの人達もそれを行なっていきます。

アナログ文化圏では、他の情報を得ることが難しい事もあり特に対照となる情報が手に入りづらい時には余計にフィルターバブルやエコーチェンバー現象が強くなる事になります。
そして、解決策なき改善論だけが独り歩きし、動き出さない政府と言う幻想、与党(自民党)は弱者切り捨てと言う幻影だけが強くなっていく人たちも増えていくのですね。

恐怖劇場アンバランス ~偏りは意図的ではない~

思想や思考、信条や信念の偏りは支持するものによって変わります。
一番良いのはノンポリなのではないか?なんて思うことも多いですがノンポリは言わば中道。
右にもよるし、左にもよる。
良いと思えばそっちに行く、天秤の針みたいなもんです。

しかし、左派系の学生運動や左翼運動家はそのノンポリを無自覚だ意識が低いだとバカにした時期もあります。
学生運動や、反安保、その他のデモや抗議活動など左翼や左派の好む事をする若い世代や一般層を善し悪し問わずに褒める事はあっても、同じ様に行動する右派や右翼系の活動には善し悪しを問わず否定する事が多くなったりしていました。

70年代や80年代にはそういう人が増えたと思っている人も多いと思いますが学生運動や反安保、反戦(ベトナム戦争なども有りましたから)などの運動は日本において永続しません。
9条を守れと騒いでも賛同する人って、消極的になら多いけれど積極的にはおりませんし、日本国内でも左翼ゲリラや極左爆弾テロなどの話が増えると警察により強硬な対処を求める必要を声にする一般人も増える事もありました。

この辺は当時のマンガですら(ブラックジャックでも)批判的に書くほどに極左テロリズムの無差別攻撃があったりしましたが、それも年を経るに従い擁護しやすい状況も作られていきます。
過去、活動家だった人物がマスコミに行ったり、言論界隈に台頭したりすると仕方のない事と言う言い訳(じみた事)を言う場面もありましたし(割とマイナーな深夜番組など)、共産党は早々に暴力革命と縁を切ったと言う発言もしてはいますし、赤旗でもそういう批判はあったりもしました。

ただ、かならずしも全否定と言う訳ではなく、社会や政府、自民党やアメリカの影響などでの止むに止まれぬと言う意見や、過去の日本の圧政なんてのも持ち出しますし、日本企業や日本政府の海外での横暴(事実ではない事も含め)書いているので、自己弁護と取る人も増えていきます。
そして、自分達の幻想や思い込みをより強化しているな、と感じる人達が離れていきます。

その中には、私のような今50代の人が多かったとも。
年を重ねた人は自分達の歴史を否定する、全部が間違いだったと認めるわけにはいかないため寄り偏った方向へ進む、偏屈な老人化を進めてしまったりしますが、90年代にはネットが勃興してきます。
当時20代中盤から30代になるかならないかの現50代の人達は赤旗やマスコミの話に疑問を持ち、より情報を求めてネットや書物に頼って自己の知識や情報を増やしていったのですね。

老人Z ~年寄り達の黄昏~

90年代が終わり、2000年代つまり21世紀になると傍目にも目立ってくるのは共産党や赤旗の幹部や党員、支援者を含めての高齢化です。
若い人が離れていき、活動できる世代が年寄りばかりになる。

その理由を深く考察しないで、小泉政権による個人主義の台頭、その影響であるとか自己責任論による弱者切り捨てを若者が、みたいに言い出したりしていますが、しかし実際には経済の成長を辞めた社会における若い世代の不満はもう共産党では受け止められないって事になっただけなのですね。

実際には、若い世代は苦しい状況を救う何かを求めている時代ですし、そのために小泉改革に可能性を見出した、とも言えます。
しかし小泉改革の肝は緊縮財政と増税に寄る経済の安定。
プライマリーバランスを整え、赤字をへらすと言う形なので、福祉などにはその影響もでてくる状態だったりしました。

が、雇用に関してはITバブルや「若者の感性!女性の感覚!」なんて美辞麗句で使い潰す様ないわゆる「低賃金カルテル」の固定化が始まっている時期ですので、一見すると回復している様な時期でもあったのですね。

ですので、共産党も対決姿勢を見せている時期でしたが、良いは良い(共産党的に)と判断し賛成をすることもするなんてありました。
ITバブルが弾けると(弾けさせられるとが正解かも)、ワーキングプアの問題もでてきますし、隠れていた問題であるクラッシャー上司やブラック企業の問題も顕在化していきます。
クラッシャー上司は過労死や突然死、発作的な過労自殺などの方が衝撃的な言葉なので消えていきますし、クラッシャー上司を調べると左翼思想に被れていいた人が多いとか。

実際に、そういう傾向の人は「できる人が出来ない人の分も稼げ」と言う様なコトを平然と言い、1人に過剰に負担をかける、その人が限界を伝えてもできるのはお前だけだ頑張れ!やれ!と言う精神論などで酷使します。
抗議をしても、自身が左翼活動をやっていた、まなんでいる(やってないし、まなんでない)!と言い、全ての人がうまく行くための苦労だ!と個人に押し付ける流れもおおかったのですよね。

この場合、左翼思想でもなんでもなく左翼思想の様に見せている新自由主義に後々かぶれただけで、自分はなんの苦労もなく利益を手にしているのですよね。
本来、赤旗や共産党はこれを批判するべきでしたがせず、ワープア、過労、低賃金などで苦労する若い世代は、徐々に絶望を共産党に向けつつも、蟹工船などのプロレタリア文学に傾倒していくのです。

ネットで話題になっている、人気が出ているなどのマスコミ記事やネット情報を鵜呑みにしつつあった老人サヨク(左翼ではない)は、共産党のネット戦略の流れもあり、共産党はいける!と判断してしまうのですがここで大敗。

これが00年代中盤の出来事ですし、そういうもんじゃないんだよなあ、と言う話から紆余曲折を経て政権交代などが起こるのですけれど…。

クライシス2013 ~宿敵、復活~

安倍晋三は自身の病で一度失脚しますが、復活。
赤旗などは、岸信介の孫と言う事で徹底した拒否感をにじませていきます。

曰く戦争に前のめり、安倍政権で戦争になる、安倍は徴兵をする!自衛隊に犠牲者がと言う話は結構紙面を賑わせていましたし、それに影響を受けての高齢の施設管理者や福祉団体幹部、教育関係の従事者及び施設運営者などはかなり危機感と怒りをもって動いているのはありました。

ただ、実際にはそんな事は無く今どき軍事力で戦争をするのは経済成長を辞めてない国だし、人も装備も充実していなければできるわけがない。
日本は十年以上GDP500兆円、経済成長を辞めたことで国力が落ちている、少子高齢化問題がある、て中で武力行使は物理的、金銭的、体力的に無理なのです。

それでも安倍=好戦主義、タカ派をくずさない為、今度はその時点での若者が去っていくのですよねえ。
多くの若者が去った中で、安保改正などで在りし日の夢よもう一度と言う事で集めたのがSEALDsなんて言われていますが、実際には学生が殆どおらず、老人による団体、運営などで活動も喋るのは若いけど、実際は周囲は老人だけと言う事になっている、と言う状況。
これは最近元SEALDsの人が答えたなんてことでも話題になっていましたね。

そう若者に期待したけれど、自分達で動けない。
この安保改正の時点で、ほとんどの人がサヨクと言う左翼に憧れた人、かぶれていた人の成れの果て、後期高齢者が追う自分達が輝きたかった若い自分を投影するだけになっていたと言えます。

後期高齢者は先にも言いましたけど、福祉や教育、社会の利益、公益などで活動する、もしくは運営する人達の中にも増えていて、長年読んでいる赤旗の影響も受けているのはあります。

洗脳レベルで信じてしまっている人もいますが、彼らは自分達が信じた物や信念、信条、思想などが結局若い世代に受け継がれなかった事や、今のそれ(安倍政権高支持率)などを見てさらに意固地になった、とも言えます。

人間は誰しも年をとると自分達の過去を懐かしみ、否定する事ができなくなります。
これは40代でも出ることはありますし、80代になっても出ないこともありますが、多くの場合はその様な傾向があります。
現在、赤旗や共産党を支えている後期高齢者は、自身の成功体験が左右どちらにも無いって言う世代とも言えるのですよね。

戦後の復興は、より上の世代(90代とか)やその後の安定、経済成長は下の世代(60代以下)などがやっている。
文化的なこと、芸術的な事、技術的な事も70代や80代は成功体験がすくない世代と言う話もあり、より過去を美化する傾向がある。
そして、自分達の成功体験を求め続けるのですけれど、20代後半ともなると潰しの聞かない年齢。

例えば地下アイドルやって売れなくてAVにと言うのもそれしかやってこなかったので、他に仕事がなく行く人が居るように(正確には行かされる)、左翼活動をしていたサヨクは他の技能や成功体験がないのであるならば、それにすがるし美化し、今の人に認めさせようとしてしまう。

これはアニメやマンガなどでも、自分の事を評価されなかった事で他の作品をけなしまくり、業界を貶めるような事を言う人や作家が居るのと同じ事です。
自分の望む成功体験がない故に今を全否定する心理が働いている、とも言える状態です。

幼年期の終わり ~自分は高齢者である自覚~

共産党の幹部も、赤旗の編集もほとんどが高齢者に域に達していて、若い世代への世代交代が成功していない状況。

自分達が若い者の代表であると言う意識や認識は徐々にずれていく社会との隔たりで自覚してきつつも、それを認める事ができずに来た事、認識している社会や大衆心理、また世間の要求や希望が完全にずれてきてしまっている事への無自覚が今の共産党と赤旗の窮地、なんて面は否定できないでしょう。

そして、それを長年読んでいた人達への悪影響(少なくともズレと歪みは好影響ではない)の事も認めないといけません。
自分達は、井の中の蛙だったのだ、と言う現実と同時に自分達が左翼や左翼知識人にあこがれて始めた行動、若いから動ける自分と言う行動に対して年月は残酷にも光速で過ぎていったのだ、と言う事。

それは同時に数十年と赤旗を読んできていた人達にも当てはまり、自分達が若い世代のオピニオンリーダーであった時代はとっくに過ぎているのだ、世代交代を逸したのだ、と言う事を理解する必要があるのですよね。

幸い、民間の組織ならば下の方で動き世代交代をできますし、どこかの機会でそれを認識してもらい社会の変動に合わせて行くことも可能です。
勿論、影響力はあるかもしれませんが、少なくとも民間であるならば誰かが離れていく事はあっても、その組織や団体、集団、企業や法人が健全に動こうとするならば、一時的な苦境はあっても盛り返せます。

しかし、共産党や赤旗の様に政治というクローズドな団体の中ではそれもうまくはいきません。
外部にいる支持者(党員でなくとも)や、影響力を行使する団体などの存在は無視できず、現状維持に必死になる必要がでてきます。

しかし、その人達だって生物的にも社会的にも思想的にもそして知性的にも寿命は来ます。
新しい支持者や、あたらしい支援団体等を獲得出来ない状態では無意味ですし何を新しくするか、何を残すかの判断も大事な事だったりするのですね。

左派系リベラルであっても共産党に好意を持っていない団体や政治組織や政党があるのはそういう事を実行できなかった、意識もしなかった硬直性に有ると行って良いし、自分達はまだ若いつもりで老害化していた現実を認めない現状にもあります。

そう考えると共産党(及び旧来意識で硬直した共産主義思想)はもう誰にも求められていないし、その機関紙であるしんぶん赤旗も用をなさない、と言える状況になっているのです。

もう、しんぶん赤旗なんかいらない!

硬直化し、高齢者で有る志位さんが生き残る為に比例トップ出でていると言う印象や、我田引水やファクトチェックの薄れた紙面の赤旗。
記事や主張がだんだんと自己欺瞞に満ちているように見える、特に40代以下の世代には赤旗や共産党は、自己矛盾と無責任を抱えている様に見えている人も多いでしょう。

資金の確保や運用、また重要度の選定なども理解しないでの福祉や教育、社会や公益への批判が目立つ(わかくなればなるほどそう思う内容といえる)、現在の状況は福祉施設、福祉事業の従事者にとっても害悪と言う印象になっていると言えます。

例えば老人介護の問題。
日本人は特に、小さい施設やアットホームな施設、民間団体などの施設の方が良い介護やサービスを提供しているはず、と思い込みがちですが実際には大企業の様にコンプライアンスを重視した企業体制の方がちゃんとしたサービスを提供できますし、労働者への給与も多くなります。

労働が大変と言う部分をみればまだ給与は安いといえるかもしれない業種でも仕事としてやる法人、会社組織となる法人の方が優位といえる面はありますが、そういった物も否定的に見てしまう様な意識を福祉、公益の民間団体やボランティアに刷り込んでいっている現状、そして現実を見てしまったそういう人達の軌道変更の難しさ、不可能さを考えると長年に渡り党員以外に機関紙である赤旗を売ってきた問題は考えないといけないと思うし、社会における影響力や改善能力がマクロな政治、つまり国政においては皆無に等しい状況でありながら左派系知識人の擁護と期待によって生き延びた事の不幸。

もし、地方政党なら最強だったかもしれないと思うけれどローカルな意識d国政を語り、福祉を語る事の問題などを考えていくと、党員以外にそれが例え支持を表明していたとしても政党の主張による事が骨子になる赤旗は一般的なものとはいえない、と思うのです。

しかもグローバル化による影響、ユニバーサルな社会を構築していく国という平均化して動かないと行けないシステム(地方行政のローカライズが必要になるシステム)の中で、主義主張と理想だけを述べるだけならまだしも、高齢化による硬直してきている思考、柔軟性や観察のかけてきている紙面とも言えるそれはさらに悪影響を生むだけだと思うし、若い世代を確保できない理由の一つもといえる高齢の販売員(党員)と言う市井の状況を考えれば少なくとも民間に対して販売する事に対しては「もう、しんぶん赤旗なんていらない!」と言う事を言わないと、世代交代ができず、新しい情報や知識、対応が無い以上、福祉だけではなく社会の李益や公益、権利や自由と言った物、事柄に対して全く機能しない事になる公益団体や福祉事業者、従事者が増えていくだけなのではないか?と感じる状況です。

勿論、赤旗関係者や共産党関係者、支持者などには不快な記事でしょう。
でもそれ以上に、福祉や児童教育、療育、介護や地域に関わる仕事、また表現や創作などに関わる仕事をしていて、赤旗を見る機会のある立場からみるとこういう事だったりします。

果たして共産党と赤旗が世代交代に成功するか否か、共産党の存続またウチを含めた福祉事業者や公益団体などが赤旗購読を継続するかはそこにあるのじゃないか?と思うのです。


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