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【読者レビュー】田舎はいやらしい       

常にタイトルのインパクトと内容のバランスが取れた光文社新書の中でも、今回は特にタイトル負けしていない印象の1冊。タイトルに与えられたインパクトを、読中もほぼ維持したままで、寧ろ更に「田舎のいやらしさ」を実感しつつ、読後を迎えた。

筆者は、過去の東京生活や米国、他40カ国の滞在歴との比較を通して、鹿児島の過疎地域での生活、文化、将来について考察する。

過疎地域生活6年経過時と12年経過時の2つのタイミングで、過疎地域について論じる2部構成にはなっているが、何れのタイミングでも、過疎地域への現状と将来の姿に対する考え方には変化がない。保守性と閉鎖性が、他の地域からの人間を受け入れず、同時に働き手になる若者が離れ続け、地方自治税によって経済を成り立たせるという現状。それに対して、住民の危機感は存在せず、現状維持のままであることを受け入れ続け、次の世代も含めた将来についてのビジョンが語れることはない。筆者は、このまま過疎地域は、消滅するだろうという予想と過疎地域が日本の隅々にまで数多く存在し、過疎地域を維持しようとする都心、地方都市といった過疎地域に居住しない人間による過疎化対策の提案に違和感を訴える。

コロナ禍でリモートワークの普及と生活様式の見直しもあり、都心から地方への移住の動きが高まっていくことと、過疎地域、地方都市の変化が組み合わさることで、過疎地域に住む住民主導での過疎対策が進む可能性はないのか。本書の中では、過疎地域の住民が「いやらしさ」を手放す可能性については、論じられていない。

熊本生まれで、まさに「都会に出たい」という一心で大学受験に取り組み、東京、大阪、名古屋、マレーシア、ドイツで学生、社会人生活を送って来た人間で、45歳になってようやく各地方自治や地元の九州について考える様になった時期と重なったこともあり、本書の訴える過疎地域の現状は示唆に富み、自分の身に置き換えて、家族、子供の将来含めて考えさせられることは多い。東京で集めた税金を地方にバラまいて地方の経済を支えるという今の日本の形では、本書で述べられた過疎地域に限らず、人の多い地方都市でも自立した経済循環は難しく、人が流出することに歯止めは掛けにくいだろう。

現在の全国一律の税制ではなく、都道府県、地域毎に、それぞれの状況に応じた税制に変えることで、地域毎の新たな取組みが生まれ、東京からの税金を待たない自立した経済活動に繋がる可能性があり、それによって、人の動き方が、これまでの地方から都心といった一方的で一直線の動きから、複数の世代における個人が自分の在り方ややりたいことに合わせた選択が可能となりえる。

結局は政治が変わるべきだという、よくある曖昧な実の無い感想ではなく、本書のあくなき「田舎のいやらしさ」の訴えは、今の政治の問題点について気付きを読者にもたらし、自分を変えて、政治も社会も、過疎の問題をも動かすところまで動機化しうるエネルギーも感じえる。過疎地域に限らず、自分が住みたいところを決めて、そこに住み続けられる。また変えたいと思った時には、変えられる選択と自由を可能にする社会であって欲しい。


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