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10/13 ニュースなスペイン語 Dimisión de deán:司祭の辞任

カトリック教会(Iglesia católica)は「法王(Papa)」を頂点に、「枢機卿(Cardenal)」、「大司教(Arzobispo)」、「司教(Obispo)」といった位が続くピラミッド世界だ。これを「聖職階層(jerarquía esclesiástica)」という。

この聖職階層で「司祭」は司教に続く位で、一般的には「Sacerdote」と言うが、その役職によって、名称が変わる。今回の記事の「Deán」は、地方の「司祭」をまとめる「主任司祭(párroco)」の中で、最高位の要職者ということになる。

なので、まぁ、企業で言うと「ある地方支店の部長」に当たる。で、この部長さんと、「支店長」である「大司祭」とで意見の相違(discrepancia de opiniones)があり、部長さんが部長職を辞任した、という話。

事のきっかけは、司祭が管轄しているトレドのカテドラル(Catedral de Toledo)で撮られたビデオクリップ(videoclip)だ。動画(vídeo)はラッパー(rapero)のC.タンガナ(C.Tangana)とナシー・ペルソ(Nathy Peluso)が作成したもので、まぁ、大聖堂には似つかわしくない、刺激的なダンスが含まれている。しかも、楽曲のタイトルが「無神論者(Ateo)」というのだから、笑うに笑えない。

動画は、もちろん、正規の手続きの後、撮影されたものなので、アーティスト達には罪はない。

トレドの司祭は、撮影の現場には立ち会わなかった(no estar presente en la grabación)という。この司祭はこのビデオクリップが「目を挑発する表現方法(un lenguaje visual provocador)」ではあることは認めている。しかし、そもそも、どうして、このような刺激的な動画の撮影を認めたのかというと、歌詞の内容が、「人間の愛の力で、神を信じるようになるというストーリー(la historia de una conversión mediante el amor humano)」だったからだそうだ。だから、「信仰(la fe)」を傷つけるものではないし、このような表現方法は「我々の時代の文化(la cultura de nuestro tiempo)」であるとし、「教会から遠ざかった人たちにも、益をもたらすかもしれない(bien que pueda producir en los alejados)」と考えていたようだ。

一方、司祭の上司にあたる大司教は、「このような撮影の予定があったことは、全くもって知らなかった(desconocía absolutamente la existencia de este proyecto)」としている。そして、「聖なる場所を不適切に使用することで、深く傷ついた信者たち(fieles heridos por este uso indebido de un lugar sagrado)」にお詫びした(pidió perdón)。

司祭は60歳、大司教は63歳。ほぼ同世代だが、ずいぶん、考え方が違うものだ。組織として、大司教の言動は、まぁ、理解できるが、ヒトとしては司祭さんのような聖職者とお友達になりたい。

写真はビデオクリップ「Ateo(無神論者)」の一部。C.タンガナ(右)とナシー・ペルソ。大聖堂をバックに「目を挑発する(visual provocador)」場面。