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子どもへの期待を手放す

5歳の長男に対してイライラするたびに、自分が無意識にいろんなことを子どもに期待してることに気づく。

やさしい子であってほしい。正直で、善良であってほしい。強い子であってほしい。よく気がつく子であってほしい。身の回りのことは自分でなんとかしてほしい。

育児を5年間やってみて思うのが、親のしんどさの6割くらいはこれら「我が子への期待感」のために感じるものではないかということだ。

期待は変化していく

子どもが生まれる前から、「こんな子に育ってくれたらいいな」というボンヤリとした希望はあった。将来は理系の仕事のほうが潰しがきくだろうとか、10代まではスポーツマンの方が人生イージーモードだろうとか。そんな適当な思いつきのようなレベルだ。

しかし妊娠後期から出産、2歳くらいまでは、とにかく健康にすくすく育ってくれればいいという考えに取って代わった。日々赤ん坊の命を守らなければならないリアリティは、我が子の未来を夢想する心の余裕を一時的に吹き飛ばしてしまった。

3歳児健診が終わるころ、徐々に同世代の子どもたちと我が子の「できること」「できないこと」を具体的にくらべるようになった。○○ちゃんはフォークの使い方が上手。○○くんは、もうひらがな読めるんだって。それに比べてうちの子は...という具合だ。

本人を急かしてみたところで、何かがよくなることはほとんどない。親がひとつひとつに手間をかけられない場合は「いつか時間が解決するだろう」と眼をつぶることも多い。

時間に任せること、任せられないこと

実際に時間とともに解決したこともあった。長男は3歳を過ぎたころにトイレトレーニングをはじめたがなかなか習慣がつかなかった。私も夫も「体の発達が伴わないと...」とさほど熱心ではなかったように思う。しかし年始の保護者会で保育園の先生から「次のクラスではオムツを外して生活します」と宣言があり、いよいよなんとかしなければと焦りはじめた。

やったことといえば、ごく普通のトイレトレーニングだ。トイレに行った数だけトーマスのポスターにシールを貼り、おおよそ2時間ごとに「おしっこ大丈夫?」の声がけをした。夫は長男の大好きな銭湯に連れて行き、補助便座がない大人用のトイレで用を済ませる方法を教えた。そうした親のはたらきかけに本人の身体的な発達が相まったのか、これといった苦労はなく、3月にはひとりでトイレを済ませられるようになった。他所の家庭で苦労したエピソードをいろいろ知っていたので、こんなものかと拍子抜けした。

一方で今なお続いている課題も多々ある。とくに長男の食事のはかどらなさは、ずっと私と夫を苛立たせてきた悩みごとだ。

まず、食事の呼びかけになかなか応じない。やっと座っても食べはじめない。野菜はもちろん、見慣れない食べ物は口をつけずに嫌いだ、美味しくないと曰う。食事中にふざける、遊ぶ。食べ物をおとす、こぼす、投げる。不注意でコップをひっくりかえす。ご飯じゃなくお菓子が食べたいと言い、実際にそのために席を離れる。最後は親に食べさせてくれとせがむ...。もう何千回と叱ったかも知れない。

4歳児クラスの保育参観では、ほとんどの子どもたちが自分の手でご飯を食べているのに、長男だけがつききりで介助をしてもらっていて、情けない気持ちになった。服を脱げば肋骨が浮き上がるほどガリガリ。親として見ているのはつらいが、本人は意に介さず元気いっぱいだ。

怒らなくていい、は難しい

長男の食事の問題は好き嫌いの多さに加えて手先の不器用さ、気の散りやすさ、気持ちを切り替えることの難しさなど複数の要因が絡んでいる。療育センターに通っている今でこそ「かんたんに解決できるものではない」とわかるが、それまでは月齢を追うごとに長男に対する苛立ちが強くなっていくばかりだった。

手持ちの育児書を読むと、「子どもが食事を食べなくても、元気ならば良い。怒らなくていい」と書いてある。でも、栄養のことや食べやすい状態、彩りなど毎日試行錯誤しながら準備した献立を、子どもが拒否し粗末にする様子を目の当たりにすると、とても穏やかな気持ちではいられない。怒らずにいるには忍耐がいる。

いまだ長男の食事問題は進行中で、ご飯中にお小言するのもしょっちゅうだ。でも「何が食事の障壁になっているのか」を見つめて、取り除いたり緩和したりと対処ができるようになったら、以前とくらべればいくぶんか苛立たなくなってきた。本人も少しずつ、ご飯と向き合える時間が長くなってきた。

期待を手放すということ

子育て雑誌で食育についての記事を見かけると、少しうらやましいような寂しいような気持ちになる。いろいろな工夫をこらしたきれいなレシピが長男と私とを助けてくれるとは、もはや考えていない。

親が子どもに期待を寄せるのはごく自然なことだ。でも、期待が自身と子どもの双方にとって苦しさの原因になるならば、一度それを手放してみたほうがいいかも知れない。諦めるのではなく見放すのでもなく、「それはまたあとで」と仕舞っておくイメージだ。

子どもはたとえ未熟であっても、自分とは違う意思を持つ人間だ。生まれた瞬間から大人になるまで、きっと親の期待通りになんてならない。それで心がしんどくなったときは自分で気持ちの折り合いをつけられるよう、今から練習を始めておいたほうが楽なんじゃないか。

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今年の正月、長男が初めて「おもち」を食べたいと言いだした。ずっと食わず嫌いで頑なに拒否してきたものだった。磯辺もちを口にした瞬間「とろけて美味しい!」と喜び、以来たびたびおもち食べたいと言うようになった。やはり、時間が解決することだってあるのだろう。

今日も子育てはつづく。長男は朝からパンひと切れをダラダラ食べるし、次男は昼寝をしてくれない。

息子たちよ。今は期待通りにならなくていいから、いつか期待を超えて私の知らない景色を見せてくれ。

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