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視野・視座・視点 ー’視野を広げる’とは?

この記事は、音声配信Stand.fmにて、2023年5月2日に配信した内容を、記事化したものです。

「視野が広い/狭い」ってどういうこと?


こんにちは。
ちょっと自分でも整理しながらの話題を、ここで言ってもいいでしょうか。

整理したいことはですね、「視野」についてです。
「視野が狭い」「視野が広い」って言いますよね。
それってどういうことかという整理になります。

「視野が広い」「視野が狭い」とか、「視野を広げるためには」みたいなこと、よく言いますね。

例えば、「自分は視野が狭いな」って言い方だったり、誰かと会社とかでも話してて、 「上司のあの人、上司なのにちょっと視野が狭くて、こっちが伝えたいことを全部見てもらえてる感じがない」とかって話もあると思うんです。
また、その逆も。
自分の部下とか同僚と話してて、話が合わないとか、なかなか議論が前に進まないって時に、視野の狭さ・広さが関係することってあると思うんですよね。

その「視野」を広げるにはどうしたらいいんだろう、と。

「同じものを見ているか」っていう、「視野合わせ」っていうのかな。
同じところを見てない限り、同じテーマで議論しても、アンジャッシュのコントみたいになっちゃうんじゃないかなと。
「え? ああ、そっち?」みたいなことになりがちだなって思っていて。

そしてそれを私は「レイヤーが違うのかな」「解像度の違いか?」みたいに考えてたんですよ、うまく整理できないながらに。

「レイヤーが違う」っていうのは、例えば「平和がいいよね」って言ってても、どのレベルから平和を考えているかによって違いが出てきますよね。
身近な平和って場合もあるだろうけれど、レイヤーが多層化したり増えたり、そしてちょっと高くなったりっていうと、 身近な家族のみならず、もう少し社会を見たり世界を見たりっていうような見方になったりっていう違いがあるんじゃないあかと。

そして「解像度」。
「その洋服、いいね、かわいいね」って一人の人の洋服を二人で褒めてるような時に、「デザインがかわいいね」「そうだね」って言って、全く同じように感じているって思う場面ありますよね。
でも、解像度が粗い人は、例えば人のイラストが描かれてあるものだったら、イラストの輪郭を見ているかもしれない。
そして、その人物のシルエット・形がかわいいって言ってるかもしれない。

でももう一方の解像度が高い人は、もうちょっとメッシュが細かくなって、もちろん輪郭も見るんだけど、 もっとズーム機能があって、細かい着彩を見てるとかね、色彩のグラデーション具合を見てるとか。
あと、目線がどっちに向いてるかに着目して、本来なら右を向くのが自然な構図なのに、わざと左を見て構図をずらしてあるんだとか、 遠近法をわざと無視した構図が用いられているなってというところに着目しているのかもしれない。
「それらはアートを知ってるからこそのずらしだ」とか思ったりして、でもそういうのをひっくるめて「デザインがいいね」って言ってるのかもしれない。
だから、一方は輪郭が太くて、はっきりしているから「デザインがいい」って言っているわけだから、同じ「デザインがいい」でも実は違全然違うわけなんですよね。
その時に、「それはレイヤーが違う」「解像度が違う」というだけで説明がつくのかなーってぼんやり思ってたんですね。


「視野」を、「視野・視座・視点」で考える

そうしたら、もうちょっとはっきりした言い方がありました。
何を見る時には何を揃えるのか、大事なのか。
視点・視座・視野っていう3つを考えなきゃいけないらしいんです。

まず「視野」はよく使われますよね。
視野とは、「どこまでが見えているか」っていう、広さとか高さとかのことです。
全体の端から端がどこっていう、それが視野なんだそうです。

そして視座とは「どこから見るか」なんです。
例えばサッカーボールがあるとして、サッカーボールをピッチの真ん中に置くとします。
この時、そのピッチの端から端まで見えているものが視野、捉えてるのが視野となります。
そして視座は「どこから見るか」だから、ピッチの真ん中にあるサッカーボールを横から見ているのか、反対側の後方から見ているのかということ。
同じものを見ていても サッカーボールのロゴが見える位置と 反対側から見たら今度はモチーフしか見えない位置とかありますよね。
そのボールがすごく古くて どこかに汚れがついているって時に、左後ろ側からはそれが見えても、真横から見たら見えないとかね。
あと、真上もありますよね。ドローンを飛ばして真上からそれを見下ろした時、斜め上からとかっていうのも視座ですね。

あとは視点。
視点は「どこを見るか」です。
真横からロゴが見えるところを見ているとしても、ロゴ全体を見ているのか、 ロゴの5文字目を見てるのか、とか。
視座は「どこから見るか」であり、 そして視点は「どこを見るか」っていうポイントのことになります。
で、それら全部が掛け合わさって、見えている範囲が視野になるわけです。

視座において、たとえば低いところからしか見ていないとか 真上からしか見ていないとしたら、真横の状況がわからないですよね。
視座は複数のポイントがあるし、視点ももう無数にあるわけです。
「視野を広げなきゃいけない」という場合、単純に「広く見なくては」という意味じゃないんですね。
ピッチのさらにもっと外側までっていう意味じゃなくて、視点を増やすっていうのと視座を変える必要があるっていうのが、視野を広げるために大事なわけです。

会社で議論していても、Aの視座からA・Bの点を見てる人と、 Bの視座でB・Bの点を見ている人がいたら、違うポイントから違うポイントを見ているので、話が全然噛み合わないわけです。


「あなたには何が見えているの?」の想像力

だからこそ、「あなたはどこから見ているの? どこを見ているの? どこまでが見えているの?」 というような擦り合わせが大事になってきます。
もちろん毎回全部が全部擦り合わせられないとしても、想像することが大事なんだろうなって。
「相手はどういう角度で、何を見ているのか」を考える。
「自分とは違う見え方をしているはずだ」っていう前提に立つ。
そうすることで、議論が前に進んでいくんだと思います。

議論とか対話とかばかりじゃなくて、普通に日常的な雑談ですら、視座と視点が違ったら 「え?何?そっち?」みたいなことばっかりになるのかもしれないですよね。。

ただ、どうしても話が合わないっていう人はいますよね。
「永遠にこの人と話が合わないな」とか、歩み寄るすべも見つからないぐらいに難しい人だったりいますよね。
そういう時の原因が、まあ今の話の裏返しになるんだけど、視点を知らないとか、無数にあるはずの視点なのに、自分の固定化した視点でしか見ない、例えばドローンの真上から見るのが当たり前と思ってて、そこから移動しようとしないとかね。「私たち下にいるよ」って、「下からはこう見えてるよ」みたいに言っても、「いやいやいや違う違う。 もっとちっちゃく見えてるよ」 って、永遠に行き違っちゃうことってどうしてもありますよね。

同じ景色を見てても視座と視点が違えば、見えるものが違うので、目の前にあるはずの価値に、お互いが同じ分量と熱量と方向性で 気づけるかっていうのが大事なんですよね。
この視点合わせ、視座合わせということ、 お互いを理解しようとすること。
そして、相手がどこに立ってるか、そこからは何が見えるのか。
「あなたからは 何が見えてるの?教えて」
「視座と視点をお互い共有しようよ」っていう姿勢から、対話って始まるんだと思うんです。

でそれを、私はおぼろげながら解像度だったり レイヤーだったりっていうので分かったつもりになってたんですけど、視座・視点・視野ということを大事にしないと 対話とか議論はより深まっていかないな、きっかけすらつかめずにすれ違っちゃうなぁと感じました。


チームビルディングにおける視野合わせ

あともう一つ。

現在、会社に属していて、チームビルディングみたいなのを考えている方がいらっしゃったら、と思うんですが。
今の話の延長になるんですが、チーム内に視座が高い人や解像度が高い人がいる一方で、視座があまり高くない、解像度もあまり高くないっていう人もいたりしますよね。

そういう場合、チームを引っ張っていく人は、解像度の低い方に合わせて進めるのがベストって思いがちらしいんですけど、なんと、視座・解像度が高い人に合わせてチームを引っ張っていくことが大事なんですって。
そうすると、その解像度が高い人がどんどんいろんなことを発見して ぐんぐん押し進めていくので、その様子を見てチーム全体が変わっていくらしいんです。
だから、これからプロジェクトを始めるという時、誰をデフォルトとか見るべきかっていうと、視座や解像度が高い人だそうです。
そうやってみんなで観察をして判断をして実行するっていう、そのサイクルを回していくことがより効率的に、そしてよりクオリティの高い成果に結びつくってことになっていくらしいです。
これ面白いですよね。

以上、視点の話、視座の話、解像度の話、私はすごく面白いなと思って学んでいて、それをシェアさせていただきました。

ではでは、Jidakでした。

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