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「どこまでできるかやってみよう!」と決意した40歳を褒めたい42歳

いつもは手帳のお話が多い私ですが、今日はそこからちょっと離れた休み時間。

若干唐突ではありますが、ここ数日、ふと感じたことを書かせてください^^

転機は40歳

2020年6月。40歳を迎えてハッとした私。

「もう人生の折り返し!どうしよっかな~なんて言ってられない!ここからどこまでいけるか、実験してみよう!」

思った以上にいけたらラッキー。何も変わらなかったとしても、何も失ってはいない。
「どこまでいけるか」を試さないまま「もしかしたら…」「私はもっとできるはず…」をウロウロし続け、死ぬときに後悔するほうが嫌。

……ある日突然、「生き方」だけではなく「死に方」まで意識する後半戦に突入したと悟りました。

▼当時の心境は、こんなところにも…

当時は、Webライターとしてゆるゆる書き続けていたのですが…

・ネットや書籍から情報を得て二次加工する後ろめたさ
(知ったような顔して書いてる自分への罪悪感)
・クラウドソーシングサイトを介することで
 手数料をマルッと引かれる不条理さ

そんなモヤモヤが膨らんで、少し違うステージへと踏み出たしくなっていました。


直接自分で手にした情報を発信したい。
心から自分が「素敵」「お裾分けしたい!」と思える話を手渡したい。
見える景色が変わるきっかけになるようなものを書きたい。

それって、取材やインタビュー(案件にもよりますが!)ライターだよね、と気づいていたけれど……

子供がいる
→不測の事態が生じやすい
→他人との約束を果たせる保証がない
→無理

家で子供の帰りを迎えたい
→時間が限られる
→そんな案件数多くないよね
→無理

私は取材経験皆無×もう40歳
→誰かに必要とされるはずがない
→無理

――できるはずがない!と思っていた。

ところが。
自分で「いつかやってみたい」と大御所の目の前で口走っていきなり手に入れたインタビュー連載企画。自宅から半径数キロ圏内で山ほど(?)取材できるローカルメディアの記者。
「無理」を裏側からみると「自分のやりたい」を実現するための条件はハッキリしてくるもので……手探りながら動き回るうちに、実績が付いてきた。やがてちらほらとご指名の案件などが舞い込むようにもなりました。

――無理じゃなかった。
やらないから無理なだけ。
歩き出すと、手招きしてくれる人は意外と多いのだ!


ポートフォリオをまとめてみたら…

突然ですが、先日のこと。
noteをきっかけにフォローさせていただいたminさんとのご縁で知ることができた「foriio」というサービス。これを使って、これまでの執筆などの実績をポートフォリオにまとめてみました。

▼こちら!ご覧いただけたらうれしいです^^

今後の営業やお仕事の依頼につながるかな、というのが最大の目的で始めた作業でしたが……WEBライターから(多少かぶりつつ)取材・インタビューライターへ軸足を移した3年間の歩みが詰まっていて、自分のことながら勝手に胸熱!!

ここまでおよそ300本。(ポートフォリオに反映できなかったものもあるから、正確にはそれ以上)

これが多いのか少ないのかはわからないのですが……
一つ一つの記事が「あぁ、もう少しこっちのほうに行きたいんだよなぁ」「この方のお話、聞きたい?どうして?」「これは私っぽくないんだなぁ」「ワクワクしてる?」「不安だけどやってみよう!」と、自分との対話を積み重ねながら選んで書いてきたものばかりだったので、「これらの一つ一つが、今を楽しめているこの場所に、私連れてきてくれたんだ」と思ったわけです。

昔は、「超有名人にインタビューしないとライターと名乗ってはいけない!!」「雑誌とかで書いている人がものすごい!!!」などと思っていましたが……
今わたしはやりたいようにできている。自分で選び取ったことをできている。
今はそう思えます。

▼私がやりたいのは、すぐ隣に横たわる素敵な物語に光を当てて、手渡すこと。


扉を「開けてもらった」と思っていたけれど…

話があちこち跳びますが…私は目標を定めるのがずっと苦手でした。

ライターも「なろう」と思っていたのではなく、起業した後輩ちゃんから「手伝ってください」と言われたのをきっかけに書く機会が多くなり、そこで「掲載できるかアプローチしてみてください!」と言われてメディアに接触して、それを機にスカウトいただいて「WEBライター」を始めることになり……。インタビューデビューとなった連載も、私の筆力や企画力が見込まれたわけではなく、タイミングがハマったから。

この「流れに乗って決めないまま進んでいる」自分にものすごいコンプレックスがありました。
結果オーライだけど、自分でもっと定めた別のものがあったなら大成していたのかもしれない。
遥か向こうに立てた旗に猪突猛進する人々に比べて、私は……。

常に「誰かに扉を開けてもらっている」「言われたことをやっている」「誰かにお膳立てしてもらって今がある」=自分の意志も力も作用していない。流されているだけ。

けれど、今になって、以前手に取ったmina perhonenの皆川明さんの著書にあったこんな言葉がようやく腑に落ちるように。

いつも「手伝わないか?」と声をかけられて始まるものばかりだった。自分でドアに向かって近づいていってこじ開けた、というのではない。(中略)壁の手前で自分にやれることをやっていると、壁と思っていたドアが向こう側から開いた。そしてドアの向こう側から、「入ってみるかい?」と誰かが手招きし、声をかけてくれるのだった。

え!皆川さんも???と心強く思い、また次の言葉にハッとさせられたのです。

本当に、自分のことは自分がいちばんわかっているのだろうか。他人は案外、自分の姿をよく見ているのではないか。ひょっとすると、自分が思っている自分より、正確に見ていることだってあるのではないか?

――私は「言われたことをやっている」だけだと思っていたけれど。

もし扉を開けてもらったのだとしても、その扉は私を選んで目の前にやってきてくれた。
偶然だと思っていたことも、自分が手繰り寄せた必然だったのかもしれない。

そうして扉の中に入るか、別の扉を選ぶかを考えながら、自分的にちょっといい方へ、ちょっといい方へ……という選択が積み重った。

――扉を開けさせていたのは自分だった!私がここまで自分を連れてきたのか!

ようやく劣等感を手放せたここ数日だった、というわけです。

そして、もっと早くこういうことに気づけていたら、とも思うけど、きっとそれもまた違う。

――ひたすらに、自分語りの回になってしまいましたが。
巷では「40歳の壁」とも言われていますが。

私は40歳になって圧倒的に気持ちがラクになったし、自由になったし、楽しくなった。
少なくとも42歳の今、40歳の自分を褒めたいと思えている。

これから出会えるであろう予想外の扉に時に不安になりながらもワクワクしつつ。
どこに行けるか?どこまで行けるか?
引き続き実験を楽しみたいと思います。
細く長く、気が向いたときに。これからもお付き合いいただけたらうれしいです。




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