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「相手の世界観を尊重し、傷つけない努力をする。」筌場彩葵さんと考える、マイクロアグレッションとの向き合い方。

みなさんこんにちは。ジブン研究編集部です。

「自分の何気ない一言で誰かを傷つけてしまっているかもしれない。」
そんな現実を意識したとき、どんな感情が湧いてくるでしょうか。

日常生活の中で感じる違和感や疑問についてオープンに語り合える場を、当事者との対談形式で実施するオンラインイベント「Original Life Talk」。
今回は、筌場 彩葵(うけば さき)さんをゲストにお迎えし、「マイクロアグレッション~相手の世界観を尊重する~」というテーマでお送りします。

マイクロアグレッションとは、普段の何気ない会話や行動、学校や職場など日常生活の中に現れる偏見や差別に基づく「見下しや侮辱」のことを言います。「微細な攻撃」と訳されることもありますが、マイクロは「小さい」という意味ではなく、個人間、日常生活の中で起こる差別事象のことを指します。引用:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74864?page=2

上記の記事の中で、著者であり精神保健福祉士の丸一俊介さんはマイクロアグレッションを「日常的な侮辱や見下し」と表現しています。

イベントに先立ち、ゲストの筌場さんからマイクロアグレッションによって深く傷ついてきた経験や、「相手の世界観を尊重する」という姿勢についてお話をうかがいました。

自分と異なる「他者」という存在と心地よく生きていくために、何を心がけられるか。一緒に考えてみませんか。

はじめに

私たちジブン研究と筌場さんには、今回のイベントや記事を通して届けたいものがあります。

・マイクロアグレッションという概念を知ることをきっかけに、日々のコミュニケーションを見直したり、自分の違和感の正体に気づいたりすること。
・「自分は差別には気を付けているから大丈夫」と思っている方が、悪気がなくても、気づいているつもりでも差別をしてしまうことはあると気づくこと。
・「知らない間に誰かを傷つけることがある」と知っている・気づいている方が、そこから一歩進んで傷つけないためのアクションを実際にとれるようになること。

こうして届けたいものがある反面、マイクロアグレッションという比較的新しい概念について私たちもまだ学んでいる途中で、正しいこたえを提示することは難しいとも感じています。また、「自分が誰かを傷つけるかもしれない」という事実を発信することで、戸惑いを生む可能性もあると考えています。

でも、Original Life Talkは、日頃自分達のすぐそばにあるけれど向き合いきれない違和感や疑問について、一緒に話し合い、考えてみることを目指している場です。こたえを出すのは難しいし、戸惑うかもしれない。だからこそ、他者と一緒にお互いを受け止め合いながら話し合い、考えてみたい。そんな想いを持ちました。

本記事やイベントでお話しすることは、「こたえ」としてではなく、問いとして受け取っていただき、みなさんの考えを深めるためのひとつの材料にしていただけますと幸いです。

自己紹介

はじめまして。筌場 彩葵(うけば さき)といいます。私は現在、教育関係のNPOで仕事をしながら、個人の活動として、性の多様性とジェンダーについての講演活動、NVC(非暴力コミュニケーション)を通したコミュニケーション講座、対話をベースに自己理解を進める場づくりなども行っています。

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小学校の頃から性別への違和感や発達凸凹などがあり、周囲とうまく馴染めずつらい思いをすることが多くありました。大学でファシリテーションやオルタナティブ教育について学ぶなかで一人ひとりを尊重する実践とマインドに惹かれたことが、今の活動に繋がっています。大人になってから自分の性別への違和感と向き合う決心をして、男性から女性へのトランス(性別移行)も行なってきました。


マイクロアグレッションで重なる傷

Q:さきさん、どうぞよろしくお願いします。さきさんがこれまで経験してきたマイクロアグレッションにはどんなものがありましたか?

一口にマイクロアグレッションといっても、グラデーションがあると言われています。「明らかに相手の社会的に弱い立場としての属性を用いて侮辱する」(*1)ような、意識的でわかりやすいものから、「相手の社会的・文化的なアイデンティティを無礼に扱う」(*2)もの、「社会的に弱い立場にある人たちの経験や感情などを否定し無価値なものとして扱う」(*3)ような無意識的で、見えにくいものまで多様な様相をしているんだそうです。

私は自分の性別の違和感をはっきりと自覚したのが大人になってからで、だんだんと服装や生活スタイル、身体の違和感の軽減などに取り組んでいくようになって、少しずつ生活上の性別を女性に近づけていったんですが、移行初期は周囲から色々な反応を受けました。

例えば、女性ものの服を着て街を歩いている時に、それまでと比べて他人の視線をよく感じるようになり、時には「なに、あれ(笑)」と聞こえる距離で言いながら通り過ぎられることもありました。その時は、自分らしい格好、自分が好きな格好をしたい気持ちと、安心安全に過ごすために女性により近づけなければと焦る気持ちがせめぎあって、ストレスが強かったです。

初対面の方に、「個性的な格好でいいですね〜!」とか「アーティストの方ですか?」と言われたりすることもありました。どう答えるべきか悩んで、『もういっそ、さっさとカミングアウトしたほうが楽かな?いやでも初対面だし流せば済むか…』と葛藤することがたびたびありました。

知り合い(女性)から「私より女子力高いわ〜」と言われたこともあります。カミングアウトはすでにしていて、褒めてるんだろうとは分かったので嬉しい気持ちも少しあったんですけど、モヤモヤが残ったんです。このモヤモヤはなんだろう?ってよくよく考えたら、その言葉って、私を対等に女性として見てくれてたら出てこない言葉だなって思ったんですよね。

また、無職の時に知り合いに仕事探しについて相談したことがあったんですが。その時に性別のことも仕事探しのハードルになっていることを伝えたら、「仕事が見つからないことと、性別は関係ないんじゃない?」って言われたんです。たぶん、性別のことを気にするあまり視野が狭くなっていることをアドバイスとして指摘してくれたのかな?と思ったんですけど、『私が気にしすぎなのか?』『うじうじと考えて動けない、弱い自分がダメなのかな?』とモヤモヤが残りましたね。

*1~3 引用:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74864?page=3

マイクロアグレッションの背景

ーさきさんが思うマイクロアグレッションが起こる背景には、どんなものがありますか。

いろいろな要因があると思いますが、意識しないレベルで染みついた「普通」や「当たり前」という感覚が一つにはあると思います。
私が経験してきたマイクロアグレッションも、戸籍上・肉体的に男性ならば自己認識も男性であるのが「普通」という感覚から起こったものが多くあったと思います。自分自身のことを男性だと思っていない私にとって、男性として扱われるのは望まないこと。個性や自由を制限される感覚でした。

ジェンダーに限らず、運動神経が良いからといって運動が好きとは限らないし、身体が大きくても力が弱い、体力のない人もいます。自分にとっての「普通」や「当たり前」を押し付けることで知らないうちに傷つく人がいるかもしれない可能性を忘れないでほしいんです。

「普通」「当たり前」という感覚を持ち出すと、それに当てはまらない側が抑圧されてしまいます。自分と相手は違うかもしれないという前提のもと、「私はこう思う」というように私を主語にしたコミュニケーションにしてみる。そうすれば相手がその意見と違っても、「私はそうは思わない」と対等に対話を進めることができます。意識的にお互いをケアし合うことができると良いなと思います。

でも、生きていくなかでみんながそれぞれがいろんな「普通」「当たり前」という感覚をもっていて、その感覚を無くなることはきっと難しい。だから、マイクロアグレッションを完全に無くすことも難しく、どうしても起こってしまうとも思っています。

傷つく世界のなかで、どう生きるのか

Q:なるほど。マイクロアグレッションがなくならず傷つくこともなくならないのなら、その傷をどう癒やして回復するか、できるだけ傷つかないためにどう他者と関係性を築くか、も大切なのかもしれません。さきさんはどう向き合ってきたんですか。


私自身が経験してきた乗り越え方は大きく2つあります。

ひとつは、意識的に複数のコミュニティに属すようにすること。多種多様な人がいる中で少数派として自分が存在することは、新しい価値を生み出せるというポジティブな一面もあるけれど、とても体力のいること。自分の感覚に近い人が集まるコミュニティにいるときは、安心して自分を出せるメリットがある反面、愚痴の言い合いで終わり停滞することもあります。
違うコミュニティを行き来すれば、それぞれのコミュニティに新鮮な感覚をもたらすこともできるし、どこか一つのコミュニティに依存するより自分を守りやすくもなります。自分にもコミュニティにも相互作用を生むことができて良いなと思っています。

(上野千鶴子さんの東大入学式での祝辞について、東大生がインタビューをしたこちらの記事、すごく勉強になったので皆さんもよかったら読んでみてください。https://todai-umeet.com/article/38887)

もうひとつは、自分の感覚を大事にしながら、それを言語化、表現できるようになること。そしてそれを周りに受け止めてもらう経験をすることです。

そのためには徹底して安心な場づくりが必要で、私にとっては、NPO法人full bloom(https://www.facebook.com/fullbloom.kyoto/)が提供していた大学生向けの内省対話プログラムがそれに当たりました。

ある参加者が深く自己開示してたいたので、「ここなら自分のことを話せるかも」と思って、それまでずっと感じていたモヤモヤや違和感を吐き出してみたんです。そうしたら想像以上に受け止めてもらえて、誰も私を拒否しなかった。初めてそんなコミュニティに出会えて、ここまで自分のことを話しても大丈夫なんだ、と衝撃を受けたのを覚えています。

そして本当に心から安心を感じたら、いろんなことをやってみようというモチベーションが湧いてきました。いろんな傷を受け、怖さを感じる中で隠れてしまっていた、本来自分の中にあったはずのポジティブなエネルギーがまた戻ってきた感覚がありました。

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相手の世界観を尊重すること

full bloomのプログラムに参加したとき、特に印象的なことがありました。就活や学生生活について悩んでいる人たちもいたのですが、パッと見は社会に適応できていそうだったし、初めのうち、私は「軽い悩みだな」と思ってしまっていたんです。
でも話を深く聞いていくと、その人にはその人のすごく大きい葛藤があって。それまでは自分の課題でいっぱいいっぱいで、しんどさランキングがあったら自分は上位だというような感覚があったけど、これはもう、上とか下とかない、とようやくわかりました。一人ひとりの悩みや葛藤ってとても広いと実感したし、お互いの苦しみを認め合ったらその場において癒し合うような効果が起こった気がしました。

それぞれが自分自身とも他者とも深く向き合う場でいろいろな人と対話を重ねたり、ファシリテーションやコーチングなど、様々な知識を得たりするなかでだんだんと、「相手の世界観を尊重する」ようになりました。相手の世界観を尊重するということは、痛みも苦しみもまるごと含めて、相手の価値観や実感を、アドバイスや評価をせずただそのまま尊重すること。その人の感覚はその人にしかわからないということを本当に大切にしたいんです。

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傷つけないための努力

お話してきたように、傷つく前提の中で自分を守ることも大切だと思います。だけどやっぱり、誰かと関わるときには、傷つけないようにしようとする努力が必要だと思うのです。

「安全すぎても良くないんじゃないか。」「そんなことで傷ついてたらどこでも生きていけないよ。」「気にしすぎだよ。」そんな声も、世の中にはたくさんあります。

でもそういう、その人の感覚はその人にしかわからないということを忘れて、「大したことではない」と自分の感覚で決めつけてしまう姿勢が、マイクロアグレッションに繋がる可能性もあると思います。

ちいさな暴力自体はマイノリティにもマジョリティにも起こりうる、日常でありふれたことだと思います。でも、そのちいさな暴力が蓄積されて大きな傷になるのが「マイノリティ」だと思うんです。はた目から見たら「小さい」と思える傷や偏見も、何度も受け続けるうちにその人にとっての「大きな」傷になるかもしれないし、その人が崩れてしまうきっかけになるかもしれません。

傷つけることはゼロにはできないかもしれないけど、それでも傷つけない努力はできるし、一人ひとりが機嫌よく生きるために最低限必要なことだと思っています。


Q:傷つけない努力。誰でも加害者になりうるという感覚は大切ですが、加害者になることへの怖さや、何をどう気をつけたら良いかわからない不安も感じます。


そうですね。まず、傷つけない努力としてできること。明確な答えはないけど、「関わろうとすること、知ろうとすることを諦めない」に近いんじゃないかなと思います。

たしかに、もし誰か身近な人に「あなたのこんな発言に傷ついた。」と打ち明けられたら、きっととても動揺すると思います。でも、それを打ち明ける側としては、あなたを責めたい訳ではなくて、自分が感じてきた痛みやモヤモヤを理解してほしい、受け止めて欲しいという訴えだと思うんです。
だから、「あなたがどんなふうに聞こえたのか教えてもらってもいい?」と相手に訊ねてみることができるといいなと思います。相手の感じたことを想像することを諦めない姿勢を大事にしたいなと私は思っていて。

でもだからといって、相手に打ち明けられたとき、ビックリした、動揺した、ざわざわした、怒りを感じたなどの自分の気持ちを、否定したり我慢したりする必要はないと思っています。自分が感じたことはそのまま大事にしたらいいんじゃないかなと。
不安や怖さで余力がなくなるほどもっと相手を傷つけるという手段をとってしまうこともあるから、不安や怒りが処理できないときは安全な場所に行って吐き出す、自分が相手を傷つける可能性があるときは一旦離れてみる、というのも手だと思います。
その上で、さらに相手ともっとつながりたいと思ったなら、「あなたに打ち明けられたとき私はこう思ったんだ」ということを伝えてみるのもありなんじゃないかな。

そうやって対話を重ねて、相手を知り自分を知ってもらうと、関係性が変わってくる。関係性を閉じないことが大切だと思います。

さっき「マイクロアグレッションは完全には無くならない」と言いましたが、そういうちいさな努力や相手のことを想像しようとするかかわりが重なっていくことで、確実に減らしていくことはできると思うんです。

テレビで差別的な発言が炎上するときなど、目の前に具体的な人がおらず対話が難しい場合もあります。中には私も知らなくて、何気なく言ってしまいそうだなと思うものもあります。でも、当事者にとってはものすごく傷つくことなんですよね。
「知らないことで誰かを傷つけてしまう」ことっていろんなところで起こり得るから、この世に起きていること、見えていなかった歴史に対してみんなで興味を持っていければいいなと思います。

でも、見えていなかったことを知ったり、突きつけられたりしたときって、違和感や居心地の悪さを感じることもあります。そういう自分の内側に生じる「ノイズ」となんとか付き合いながら、怖さを乗り越えて打ち明けてみたり、とことん話し合ってみたり。そんなふうに、対話やコミュニケーションのレッスンを重ねることも大事だなと思っています。


おわりに

マイクロアグレッションについて語るにあたりマイノリティに目を向けてきましたが、本来、マイノリティ、マジョリティと簡単に二分することはできないと思っています。
年代、ジェンダー、障がい、宗教、経済環境。
私たちを構成する一つ一つのアイデンティティが多数派だったり少数派だったりするし、今健康な人が突然、怪我をする、障がいをもつ、うつ病になることがあるように、誰でも弱い立場や少数派になり得ます。
だから、少数派が生きやすくなることは回り回って多数派の生きやすさにも繋がっていくんです。少数派の生きやすさをつくるためには、多数派の意識が変わることが不可欠です。

相手のことを想像する努力をすること。
意図しない、余計な傷つけ合いやコミュニケーションのすれ違いを避けるために、意識的に対話をすること、知らない世界を知ること

一筋縄ではいかないけれど、異質な人たちが一緒に生きていく時代で、その人がその人のまま、みんなが機嫌よく生きられる社会であるために必要なことだと思っています。

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最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

マイクロアグレッションについて考えてみたい方、話し合ってみたい方、さきさんのお話をさらに聞いてみたい方など、ぜひイベントにご参加ください。(3/27(土)20:00〜です!)
当日は、さきさんへの質問タイムや参加者同士の対話の時間もご用意しております。イベント参加は、以下のイベントページ内の申し込みフォームよりお願いいたします!みなさまにお会いできることを楽しみにしております。


▽イベントページ▽


話し手:筌場彩葵
聴き手/編集:原田優香・宮本夏希



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