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価値とは矢印である

はじめに


「価値」という言葉ほど
みんな使うけど掴みにくい言葉もないな、
とよく思います。

「価値がある」「価値がない」
「価値が高い」「価値観が大事」

「価値」って
一体なんなんでしょうね。




価値の意味

まずは
辞書を引いてみましょう。

か‐ち【価値】

1 その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。
2 経済学で、商品が持つ交換価値の本質とされるもの。
3 哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。

デジタル大辞泉

やはり、多くの人に馴染みがあるのは
1番の「役に立つ」という意味でしょう。

スマホは、「役に立つ」から
高い値段を払ってでも買います。
手に入れるだけの「価値」があります。

逆に、道に落ちている紙クズなどは
「役に立たない」から買いません。
手に入れる「価値」はありません。

この「役に立つ」かどうかという基準は、
「プラグマティック」とも言われます。

かなりデフォルメはしていますが、
「プラグマティズム」という
アメリカの哲学に由来します。


2番目の経済学の方は、
少し難しい言い方ですね。

例えば、
スマホの10万円という価値が
どうして決められるのか、
そうした部分です。

部品の値段の合計に人件費を加えて
決められるものとも言えるし、
買う人がどれだけ満足するかで
決められるものとも言えます。


3番目の
「あらゆる個人・社会を通じて
 常に承認されるべき絶対性をもった性質」

これが人によっては
一番ややこしいかもしれませんね。

「真は価値です」という言い方は
なかなか日常ではしません。

ただ、先の2つが、
「役に立つ」を基準にしていたのに対して
「真理である」「善い」「美しい」など
他のものを基準にして「価値」と呼んでいる。

そう思うと見やすいかもしれません。


価値は矢印


少し抽象的な話が続いたので、
もう少し具体的な話をしましょう。

「価値がある」とされるもの
どんなものがあるでしょうか。

例えば、スマホ。
これは便利です。
これがあれば仕事も遊びも広がります。

つまり、
「役に立つ」というモノサシで測ったら
とても大きさがあるということです。


では、
ゴッホの「ひまわり」という絵は
どうでしょうか。

「役に立つ」というモノサシで測ったら
そんなに大きくないですね。

文字は打てないですし、
映像は見られない。
焚き火の火種にはかもしれません。
(怒られますが)

でも、「ひまわり」は
とても価値があるとされています。

それは
「美しい」というモノサシ
測った場合です。


骨董品なんかもそうですね。

それが欲しい人にとっては
とっても価値があるが、

わからない人には
まったく価値が見出せない。

それは測るモノサシが違うのです。

ある人は
「実用性」のモノサシ
ある人は
「歴史的意義」のモノサシ
それぞれ測ります。


このモノサシの違いは何でしょうか?

それは、測る方向の違いです。

「役に立つ」という方向に測るか
「美しい」という方向に測るか

それが、価値のモノサシの違いです。

つまり、価値には方向があるのです。


少し数学のような話ですが、
「5cm」には方向がないですよね。

右から左に測ろうと
左から右に測ろうと
同じ「5cm」です。

つまり、長さには方向がないです。

方向があるのが「矢印」です。

矢印の場合は、
「右から左」なのか
「左から右」なのかに意味があります。

なので、
価値は矢印と言えそうです。

この向きが同じじゃないと
比較することができないですよね。

ある人は、
「美しい」絵を求めて
「ひまわり」を評価するかもしれません。

でもある人は、
「明るい」絵を求めて
「ひまわり」を評価しないかもしれません。

この2人は、
そもそも評価の「方向」が違うから
どちらが正しいということもできないのです。


この方向が
「真実である」方に向かえば
「真」が究極の価値です。

「善い」方に向かえば
「善」が究極の価値です。

「美しい」方に向かえば
「美」が究極の価値です。


ちなみに、「矢印である」と考えて
商品の価値を改めて考えてみると、
矢印の大きさが商品価値になります。

大きさ。つまり、
矢印の始点から終点までの
距離が大きいほど、大きな価値になる。

例えば、
喉が渇いているという始点から
喉が潤うという終点に導くのも価値です。

それは、「飲み物」が担っています。


ここで
始点が人や状況によって変わるということが
人によって価値の大きさが
変わる
ことにつながります。


例えば、
ガリガリくん

2人の人がガリガリくんを食べても
その性能は変わらないはず

味の好みはあるかもしれませんが、
ガリガリくんという
ものの性能は変わらない。

2人とも同じくらい
ガリガリくんが好きだと
仮定しておきましょう。


1人は涼しい部屋で一日を過ごしてから
ガリガリくんをたべる。

もう1人は
暑い外出一日を過ごしてから
ガリガリくんを食べる。

始点が大きく違います。

後の方の人は、
もしガリガリくんが200円で売っていても
買うでしょう。

それは始点が違うからです。

ガリガリくんを食べることの
向きと食べた結果の味は変わらなくても

始点が大きく違うから
より価値は大きくなる。

価値は2つの点の
ギャップがあるほど
大きくなる。


価値を矢印として考えれば、
始点にいる人を終点へと運ぶのが価値です。

そして、
自分でそれを実現するのは行動であり、
他者のそれを実現するのが商品やサービスです。


商品であれば、
「役に立つ」がほぼ普遍的な価値です。

しかし、人生においては
そうとも限りません。

人によってどんな方向が大切か、
つまり、どんな価値が大切かは
異なります。

どんな価値が大切か、
それを「価値観」と呼びます。


おわりに

最後までお読みいただきありがとうございます!

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