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考え続けないとやってこない「自分らしい毎日」

一度やりたいことを見つければ、自分らしい生き方に気づければ、自分は手を離した風船のように止まることなく振り返ることなく、ぐんぐんと進み続けていくものだと思っていた。

使命のような、一生をかけて取り組む「やりたいこと」が見つかるはずだと。

「自分らしい生き方」を始めれば、悩むことなく、苦しむことなく生きていけるんだと。

そう思っていた。

でも、それは間違いだった。

自分らしく生きたところで悩みはなくならないし、むしろどちらかというと、どんどん新しい悩みが発生する「いばらの道」のように、今は感じる。

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2014年春、わたしは「これから自分らしく生きる日々が始まるんだ」と希望に満ちあふれていた。

当時は心理カウンセラーさんによる4回のメンタルトレーニング(先日のnoteでも少し触れた)を終えた直後。わたしは「やりたいこと」が明確に見えており、どうすれば自分らしく生きられるのかもわかったところだった。

そこからの日々は、たしかに「やりたいこと」に向かっていく楽しさと、自由を手に入れた爽快感があった。

「これでもう、わたしは悩みから解放されたんだ。あとは自分が思うままに進めばいい」

しかし、そんな希望的観測はすぐに打ち消されてしまう。

やりたいことをやっていても満たされない自分に気づいたり、自分らしい生き方だと思っていたはずの日々も、次第に「ちょっと違うかもしれない」と感じ始めたり。

つまりわたしは、また悩んだ。

突破した壁の先は、どこまでも走って行けそうな開けた草原ではなく、しばしば藪に突入しなければならない獣道だった…というような。

そこからの日々は、これまでにないような「新しい悩みの連続」だった。

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当時の「一度自分らしい生き方がわかってしまえば、その後は悩まずにすむ」と勘違いしていたわたしは、「自分は変わる」ということを計算に入れていなかったと思う。

そう、人間は変わる。

一度「ノー」と言ったことでさえ「イエス」にひっくり返すことがあるほど、人の考えは変わっていく。

最近もそれを実感したことがあった。久しぶりに「自己分析ノート」の購入者限定ページを見返した時のこと。

購入者限定ページには、書き方の参考になればと思い、わたしが書いた「自己分析ノート」の内容を掲載している(そのノートを書いたのは発売当時の2018年のこと)。

あの時の自分は、内容のひとつである「憧れる人を分析する」という項目に7人の名前を挙げているのだけど、驚くことに、今わたしが書き出すとしたら、その7人のうち3人の名前しか出てこない。

これは、もちろん憧れの対象である人たちも変わっているから自分の方向性と交わらなくなったということもあるけれど、どちらかというと、自分が変わったほうが大きいと思う。

たった2年で、わたしは「やりたいこと」も「憧れる人」も変わった。

唯一変わっていないのは、「行きたい方向」だけ。

誰もが自分らしく、自由に楽しく生きる世界に向かいたいという想いだけ。

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やりたいことをやっていたって、自分らしい生き方を実現できたと思ったって、新たな悩みはどんどん発生する。「悩まなくていい日々」なんて訪れることはない気がする。

なぜなら、自分は変わるから。

新しい物事に興味を持ち、知らなかった自分に気づくから。

だから本当の意味で「やりたいこと」をやり続け、自分らしい日々を過ごし続けたいのなら、考え続ける必要があるんだと思う。

「一度わかったら終わり」なんてことはない。「自分らしい生き方」に、アガリなんてない。

考え続け、悩み続け、それでもあきらめない人だけが、自分らしく楽しく生きられるのだと思う。

それはたしかに「いばらの道」ではあるけれども、そこには以前のような鬱々とした苦しさはない。この悩みを形容するには、わたしにはまだ語彙が足りないのだけど、「前を向いた悩み」というか、なんというか。

アガリがないからこそ、やっぱり、明日が楽しみになる。まだまだ、やりたいことがある。行きたい場所がある。もっと自分らしい生き方がある。

自分の今世最後のその日まで、悩ましい明日を楽しみにして生きていけたらいいな。


おわり
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「じぶんジカン」は、自分と向き合う時間をつくるノート達を販売しています。


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