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幻想のゴミ箱に捨てられた私(EP.ZERO)


私が小学生の頃、
父は単身赴任で我が家を離れ二重生活へ。

2・3ヶ月に1回程度しか
顔を合わせる機会がなくなった。

最初の頃は、
男手がない不自由さを母が呟いていたものの、
私たち3人での生活にも次第に慣れ、
父がいないことへの違和感よりも、
たまにいる違和感の方が大きかったと記憶している。

そんな単身赴任生活が続き、
たまーに帰ってきたかと思ったら、
何かにつけて注意してきたり、
その時だけ父親ズラする父がどうしても許せなかった。

そんな許せないという気持ちが、
父親に相談したり、
甘えたりする子供心を失い
自分の心がどんどん荒んでいく
のをハッキリと覚えている。


高校3年生の夏頃。
母が急に家でご飯を作らなくなった。
毎日毎日買い弁が続く。
その頃母はパートに出ていたから、
忙しいのかな、疲れてるのかな。
と最初の頃はそこまで気にもとめてなかった。

そんな生活が何ヶ月も続き、
次第に母が帰宅すると、
タバコの匂いがするようになってた。
母はタバコを吸わない。
なんで?どうして?

とある休日。
母が御重にたくさんのおかずを詰めている。
「ちょっと出かけてくるわね。
夜はお兄ちゃんと好きなもの食べなさい」
そう言ってお金を置いて出かけて行った

高校生だった私は、
この状況がなんなのか、
嫌でも理解できる歳だった。

どうして他の誰かは母の手料理が食べれて、
私は作ってもらえないんだろう。
どうしてなんだろう。私はいらない子なのかな。
もう私のこと好きじゃないのかな・・・


自分の子供よりも
お手製のお弁当を渡す相手に愛情をそそぐ母を
ただただ毎日眺めることしかできなかった。


次第に食事が喉を通らなくなっていった。



体重は36kgにまで落ち、生理は止まり、
度々通学途中に倒れるようになった。

母は心配してくれ、食べれない理由を聞かれたが、
どうしても言えなかった。

「不倫してるんでしょ?
私たちじゃなくて他の誰かに手料理作ってるでしょ?」


私がそんなことになって、やっと父が帰ってきた。
「なんで食べないんだ!!(怒)
こんなことで帰ってくるのもタダじゃないんだぞ!
リビングに来なさい!」
と私の腕を掴んで力ずくで2Fから1Fへ連れていこうとする父。

その時「早く下に行け」と階段で
私の背中をポンと押した。

・・・たしかに押したのだ。

ズダダダダーーーーーーーーーーーン。
私はふらつき2F→1Fまで腰から落ちてしまった。

え?何が起こったの?って朦朧としていた時

「わざと転びやがって。
親の気をひきたくて子供のくせに汚い手使うな!!!」


え・・・?
あなたが押したんでしょう・・・

痛い。苦しい。痛い。苦しい。なんで。なんで・・・
腰の痛みと混乱から過呼吸になってしまう私。

その一部始終を見ていた兄が119番通報。

「病院行くのだって金がかかるんだからな!
俺は払わんぞ。そんなの仮病やろ。」

結局母と兄が救急車に同乗し、父は来なかった。
私は救急車に乗り込んでしばらくして、
気を失ったらしい。

病室で目を覚ました私の横で、
兄が涙を流している。

「お兄ちゃん・・・?」

「・・ごめんな・・。
俺いま大学に通わせてもらってる立場だから、
親父に何も言ってやれなかった・・。悔しい。
ごめんな・・・。
俺親父が突き落としたの、見てたのに・・・。」

「お兄ちゃんは何も悪くないよ。
私がきっと悪いんだよ。」
母はただただ静かに涙を流していただけだった。

母は父に口ごたえは絶対しないんだ。
いつもそう。
今回も助けてはくれなかった。

帰宅した私たちに見向きもせず、
「いくらかかったんだ」
父からかけられた言葉はその一言だけだった。
私は父にとってその程度の存在でしかないんだと、
心に刻まざるおえない出来事となった。

父は次の日の朝にはいなくなり、
またいつもの毎日が始まった。
学校の保健の先生に、
「お兄さんにだけでも相談できない?
1人で抱え込むと、このまま行ったら入院しないと
いけなくなっちゃうよ」そう言われた。

そうしなきゃいけないのはわかってる。
わかってるけど、何をどう話したらいいの?
お兄ちゃんは今の生活のことなんとも
思ってないのかもしれない。
何も気づいてないかもしれない。
私がおかしいのかもしれない。


しばらく経った休みの日に母に出かけようと誘われた。
私は久しぶりのお出かけに心が躍るのを感じた。
しかし・・・

「こんにちは」
清潔感がまるで無い、
熊のような男が目の前にいた。
その男から漂うタバコの香りを嗅いだ瞬間、

こいつだ。身体中の毛穴が開いたのを感じた。


なんでこんな奴に。父とはまるで正反対の男。
正反対だからこそ、母は惹かれたのだろう。

私はその場から逃げた。
どうやって家に帰ったかは思い出せない。
でもお兄ちゃんが血相を変えて迎えに来てくれたのは覚えてる。

母はそれ依頼、
私と顔を合わせることを避けるようになっった。
私も母があの男に私を合わせたその行動が
どうしても理解できなくて、
避けて生活していた。

「避ける」ことで自分を守らないと自分を保てなくなっていたのだ。


そんな生活が3ヶ月ほど続いて・・・
ついに私の体重は34kgまで落ちていた。

「このままでは入院してもらうことになるよ。
親御さんに連絡させてもらうね」
「先生。私自分の口から話します。」

次の日は休日。
母はいつものようにお弁当を作りルンルンで出かけて行った。
「お兄ちゃん・・・。話したいことがある」

「あのね・・・・・・・・・・・・・・・」
全てをお兄ちゃんに告白した。
食べれなくなった理由。
誰にも相談できなかったこと。

「食べたくても食べれないの。
食べろって言われると余計に食べれないの・・・」
お兄ちゃんも薄々は母の行動に気づいてはいたらしい。
母には俺からそれとなく話すからと。
ご飯は一緒に少しずつ食べようと言ってくれた。

数日後。

「◯◯ちゃんごめんね。
お母さんは自分のことしか考えてなかった。
◯◯ちゃんの身体がこんなになるまで追い詰めてたなんて・・
気づかなくて本当にごめんなさい。
もうあの人とは会わないから」

そして母は父と話しをし、
子供2人が無事成人したら「離婚」すると決定した。

私はというと、少しずつ少しずつ食べる練習をしながら、
一進一退を続けながら、
体重はやっと38kgまで増え、
無事高校を卒業し、大学生になった。

大学へは、
兄が法学部だという理由だけで、法学部に進んだ。
私が通う大学での就職率は法学部がトップ。
その理由だけで選んだ。
でも・・全くと言っていいほど興味がなかった。
毎日2つのバイトをかけもち、
バイトに明け暮れる毎日を過ごしていた。
次第に友達に代弁を頼んで、授業には出ない日が増えていった。

バイトをしながら、たまに授業に出ながら、
このまま大学に行く意味を探していた。

大学1年生の夏頃。
このまま高い学費を払ってもらいながら、
なんとなーく大学に通うよりも
就職して、自分の手でお金を稼いで
経験を積んだ方がいいんじゃないか。
何よりも、父のお金で通わしてやってる感を感じながら
大学に通い続けることが嫌になっていた。

まずはお兄ちゃんに相談して、母にも相談した。
父には、正直に話すとまたキレられる可能性が高いから
医療系の資格を取りたいから退学したいと話すことに。

反応は予想通り。いや予想以上だった。


何のために大学まで通わせてやったと思ってるんだ。
どうして兄のように親の言うことが聞けないんだ。
どうして普通の人が進む道をわざわざ外れようとするんだ。
自分の娘が大学を中退したなんて恥ずかしくて人様に言えたもんじゃない。


この言葉をしっかり、私の目を見てはっきり言われることで、
私は望まれた子供じゃなかったんだと実感せざるおえなかった。

そして極め付けは・・
出かけようと外に出た時のことだった。

向こうから父が誰かと一緒にこちらに歩いてくる。
私はお父さんが恥ずかしくないようにきちんと挨拶しないと。
その一心で立ち止まったまま待ってた。

・・・・・・・・・・・・。
父は私にチラッと目を向けただけで、
何もなかったかのようにそのまま過ぎ去って行った。

私という存在を「無視」したのだ。


私って。
父にとってそんなに恥ずかしい存在なんだ。
私は父の娘として紹介もされないそんな存在になったんだな。


目の前が真っ暗になるのを感じた。

母の愛情を失い、
父もの愛情も失った。


親からの愛情を感じることなく
青年期を過ごした私が今後どのような人生を歩んでいくのか。
この青年期の出来事が、
今後の恋愛・人生にどう影響していったのか。
愛着障害の及ぼす影響とは・・・・

エピソード1へ続く・・・