仕事は”個人”の成果の集約ではないだろうか。
生きていれば”一人”ということはたぶんあり得ない。
そもそも、生まれてきた段階で親という存在がいるわけだし、
コンビニで何かを買うのも、売ってくれる人がいて、商品を作ってくれる人がいて、
そしてこれは仕事も同じだ。
今の僕はプランナーとして企画をつくるのが主な仕事だ。
でも、企画をつくるためにはその案件を見つけてくる営業が必要だし、
相談してくれるクライアントが必要だし、
案件が発生するためには消費者が必要だ。
僕は自分の仕事をする前から、
一人で仕事をしているわけではない。
そしてこれは仕事が発生してからも同じだ。
広告代理店には協力会社が必要不可欠だ。
どんなにいい企画をつくったとしても、
それを一緒に実現してくれる人が必要だ。
僕らは一人で仕事をすることはできないし、ありえない。
しかし、これは一人で仕事をしなくていいというわけではない。
むしろ、僕は一人一人がやるべきことをやってこそ、
仕事の成果につながると思っていて、
もっと個人の成果にこだわるべきだと思っている。
営業が個人の成果を発揮すれば
ただの案件のヒアリングだけではなくてより深いところまでヒアリングができるかもしれない。
プランナーが個人の成果を発揮すれば
ただ言われたままの企画をつくるだけではなく、これまでの知見や色んな情報から付加価値を付けた企画をつくることができるかもしれない。
クライアントが個人の成果を発揮すれば
過去実績や他社事例だけに頼った既存の施策だけ画はなく、今までにない新しい施策を始めることができるかもしれない。
など。
その案件にかかわる人たちそれぞれが個人の成果を発揮することが
その仕事の成果として集約されるのではないだろうか。
初めに書いたように、
仕事というのは一人でできることではない。
しかし、それを「個人の成果」と向き合うことから
避ける理由に使うことは間違っているだろう。
個人の成果を集約したときに最高の成果を出せる人たちを集めたものこそが
本当の意味で「チームで働く」ということなのではないだろうか。
会社の中で働くことで会社名という防具を身にまとった気になるが
身にまとうための身体が個人だ。
チームで働くことで責任が分散される気になっているけれど
本当は個人の責任が集約されているのではないだろうか。
働く以上、「個人の成果」からは目を背けることはできないけれど、
それこそが僕らが働く醍醐味だし、意義であると思うのだ。
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