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#日本遺産 『日本遺産』という番組があったことご存じ? 番組紹介その2

 2015年4月、最初の日本遺産認定が発表されます。
 
 「なんと、ほんとに日本遺産をやるんだ」
 
 新聞紙上に書かれていた18件のタイトルの中には世界遺産っぽい名前がいくつもありました。「日本遺産とは何か?」と記事にはちゃんと書いてあったのですが、それらタイトルをみただけで筆者は日本遺産とは「世界遺産の日本版」のようなものと完璧に勘違いしてしまいます。しかし、読み進むうち大きな違和感を感じることになります。(※下記記事は当時目にしたものではありませんが、だいたい似た内容。どんな18件だったかご覧下さい)

 リストをみるとわかりますが、タイトルの多くは世界遺産のように特定の文化財や街並みを指し示すようなものでした。暫定候補に手をあげた自治体が多く日本遺産でも認定申請をしたようです。
 
 しかしほどなく、異質なタイトル文を見つけます。
  
「歴史散歩」

とか 

「百景図を歩く」
 
とか、
観光チラシの見出しのようなタイトルがあります。
そして極めつきは
 
「日本一危ない国宝鑑賞」

 もう訳が分かりません。「なに?これ?」とよく記事を読むと、「日本遺産」=「ストーリー」であるとのこと。観光業界の一部では地域のストーリー体験の重要性が叫ばれていたことをのちに知るのですが、特定の文化財のことを指すものと思い込んでいた筆者の頭の中は「ちんぷんかんぷんの極み」といってよく、その時点で興味を失い。日本遺産のことは忘れ去りました。

次に当時文化庁が用意した説明資料があります。
みるとことさらに世界遺産との違いを説明しているようにもみえますが、「日本遺産」と4文字でネーミングしてしまうと、観た人は世界遺産と似たようなものであると絶対勘違いする、と、文化庁も考えていたのかも知れません。

 ところが、その年末、上司より「日本遺産の番組をやるかもしれない」と告げられます。詳しい経緯は割愛しますが、認定各地域に配られる補助金を元手に日本遺産の協議会がスポンサーになって制作するプランです。当時、文化庁からは「広報にぜんぜん手が回っていない」と聞いており、ならばと、番組制作がぎりぎり実現する予算規模とスポンサー契約のスキームをくみ上げ、翌2016年度の新規認定発表と同時に、日本遺産の35件となった認定地域と連絡をとりました。
 
 企画成立までの経緯は飛ばしますが、最終的にスポンサーになってくれたのは22件の日本遺産協議会。番組枠はBS−TBSの日曜朝9時半からの30分で、1地域約14分を毎回2件ずつとりあげるオムニバスの紀行ドキュメンタリースタイルをとりました。筆者の役割はチーフプロデューサーおよび総合演出。世界遺産で歴史学や建築学、自然科学などとむきあってきた実績がかわれました。(たぶん)

『日本遺産』シーズン1のチラシ(オモテ)

日本遺産とは、
 
「文化財そのものではなく地域のストーリー」
 
「保護ではなく活用」
 
 そのことは百も承知でしたが、その当時からすでに「わかりづらい」と不評を買っていた状況を打破するため、「日本遺産とは何か」という「制度の背景」には触れず、その日本遺産にどんな歴史があり、何が文化の印として残っているのかを、タレントの賑やかしでごまかすのではなくしっかりと映像で見せ、かつその映像が何年たっても色褪せないようすべて4Kカメラで撮影することにしました。
 
「世界遺産のような普遍的な価値はきっとある」
 
そう信じるよう、スタッフにはお願いしました。

『日本遺産』シーズン1のチラシ(ウラ)

 そして映像をひきたてるナレーションは、当時大河ドラマで再ブレイクと評判だった草刈正雄さんです。かつて映画『復活の日』でハリウッドの大スターと堂々渡り合った草刈さんなら、日本を俯瞰した立場できっと語ってもらえると交渉し、引き受けていただきました。

 放送が近づきます。
 文化庁にとってみても、大々的な広報になります。草刈さんが当時の文化庁・宮田亮平長官を表敬訪問し対談も行われました。

 チーフプロデューサーとして目標に置いたのは、
 
「毎日新聞を開けば、旅行会社の広告に「日本遺産」の文字を必ずみかける未来」
 
 そうしてできあがったのが次のラインアップでした。

 BS放送のしかも日曜朝の9時半です。裏ではTBS地上波の強力な番組「サンデー・モーニング」が立ちはだかります。放送したのはいいけどどれほど見てもらえるだろうか?自信などありません。でも終わってみると意外に多くの視聴者がみてくれたことが判明しました。
 
 当時のBS放送は、まだ草創期であるとして視聴率調査はすれど一般への公表はしていません。ですので詳しく数字を言うわけに生きませんが、回によっては当時の平日ゴールデンのBS番組にひけをとらない数字を獲得していたようです。

 その後、2021年まで断続的に番組は制作されることになりますが、その道のりは順風得満帆でもなかったかと。
 勢い込んで、スケールの大きい作風にしましたが、もしかしたらスポンサーとなってくれた協議会の中には「高級な大作」より、「POPで即効性のあるPRクリップ」を望む向きもあったかもしれません。
 
 しかし、いまだに「分かりづらい」と評価される日本遺産です。作った作品は、個々の日本遺産がいったいなんなのかを伝える力をなお、有しています。
 その後再放送を望む声を多く頂きましたが、実現はしていません。でも2016年当時に比べれば日本遺産を活用して地域に活力をもたらしている例が多く見られるようになってきました。
 
 そんな今ですので、なんとか見ていただける機会を作りたいと考えています。

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