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流産は特別なことじゃない

私にはいま、子どもが二人いる。
妊娠した回数は、いま自覚しているだけで4回。
そう、少なくとも2回、流産を経験した。

初めて妊娠したのは、27歳になろうかという頃。生理が遅れていた。
結婚して2年が経ち、そろそろ子どもが欲しいな、と思う反面、長期で仕事を休むなんて想像できなかったあの頃。当時私の周りには、子どものいる女性社員は少なく、ましてや同年代で結婚している人もおらず、仕事は毎日忙しくて、入社5年目の身分で産休を取るなんて恐ろしいことだと思っていた。

生まれて初めて妊娠検査薬というものを買い、家のトイレでドキドキしながら調べたことを覚えている。線が2本。
「どうしよう…」喜ぶより、戸惑いの方が大きかった。頭の中では瞬時に仕事のことがよぎり、出産予定日を計算するサイトで予定日を調べる。
2月生まれ。早生まれだ。困った…。

今より待機児童問題が深刻だった当時、0歳児クラスの4月入園以外は保育園になかなか入れないという状況で、4月~夏くらいまでの誕生日だと良い、というような理想論が巷に溢れていた。2月に出産した子を2か月後の4月に保育園に入園させるというのは心理的ハードルももちろんだけれども、物理的ハードルも制度的ハードルもあって、大体が翌年の4月入園を目指すことになるものの、でも空き無し、預けられない、復職できない、期限迫る、退職。みたいなこともあり得る時代だった。みんな、必死だった。
そんなこと気にする必要ないよ、もっと自由に生きていいよ、と昔の私に言ってあげたいが、でも(自分の職場環境も含め)そんな時代だった。たった10年足らず前なのに。
(いまは法律改正もあり、また事情が変わってきています。)

生まれて初めて予約した産婦人科は、最寄り駅にたったひとつある医院。
自宅のトイレで確認した2本の線だけじゃ信用できなかったけれど、病院で改めて妊娠していると告げられて、私は急に妊婦になった。どこか他人事のようだった。
「おめでとうございます!ご懐妊です!」というのを想像していたけれど、おめでとうという言葉は一切ない。母子手帳っていつもらうのかな。こんなものなのか。

病院でお墨付きをもらって初めて夫に打ち明けた。
一人でこっそり妊娠検査薬を試していたことも、一人でこっそり産婦人科に行ったことも、その間ずっとだまっていたことも、「なんで言わないの」と驚いていた。そして、妊娠したことを喜んで、来年には赤ちゃんがいるのか~と頬をゆるめていた。かくいう私は、ああ、この人は、仕事を休んだり復帰したりすることを全く考えなくても良いんだよな…と、受け止め方の違いを冷静に観察していた気がする。もう思いっきり仕事することはできないのかな、友達と旅行はできないのかな、お酒やめないとな、次の冬にあのコートはもう着れないな。できなくなることばかりを数えては、真っ直ぐ喜べない自分に嫌気がさす。

病院には2週間後にまた来てくださいねと言われていたが、それを待たずに下腹部に鈍痛を感じ、少し出血があった。急いで受診するように言われて診てもらうと、「(出血)少しじゃないよ。うーん…」と先生は難しい顔に。だけどエコーで見てもらうと、豆粒のような赤ちゃんはまだそこにいて、心臓がピコピコ動いていて、必死にしがみついているようだった。
「なんとか保っているけれど、どうなるかわからない。とにかく安静にして、出血が増えたらすぐに連絡するように。子宮の収縮を抑える薬を出すから。」

ただひたすらベッドで横になりながら、どんどん強くなる腹痛はお腹の中から何かを押し出そうとしている痛みに他ならず、「これはもう無理だ…」としか思えなかった。流産について検索しまくり、初期の流産はよくあることなのだと初めて知る。そして、大抵は母体状態や生活習慣などには関係がなく、誰にでも起こり得る仕方のないことだという。
でも、この手から離れそうになって初めて、「どうか頑張って…!」と思い、何月生まれかなんてどうでもいいと思い、仕事なんて休んだって結局どうにかなるのに休めないなんて思う自分は自意識過剰だと思い、入社5年目で妊娠して誰に何を言われようと本当は関係ないと思い、検査薬に2本線が出た時に「嬉しい」じゃなくて「どうしよう」と思った自分を責めた。頭では「これはよくあることで、仕方のないこと」とわかりながらも、歓迎しなかったからいなくなってしまうんだ…と、それまでの人生で一番酷い腹痛と戦いながら、本気でそう思って涙が出た。

流産とは?
妊娠したにもかかわらず、妊娠の早い時期に赤ちゃんが亡くなってしまうことを流産と言います。定義としては、妊娠22週(赤ちゃんがお母さんのお腹の外では生きていけない週数)より前に妊娠が終わることをすべて「流産」といいます。

頻度
医療機関で確認された妊娠の15%前後が流産になります。また、妊娠した女性の約40%が流産しているとの報告もあり、多くの女性が経験する疾患です。妊娠12週未満の早い時期での流産が8割以上でありほとんどを占めます。

原因
早期に起こった流産の原因で最も多いのが赤ちゃん自体の染色体等の異常です。つまり、受精の瞬間に「流産の運命」が決まることがほとんどです。この場合、お母さんの妊娠初期の仕事や運動などが原因で流産することは、ほとんどないと言って良いでしょう。

(日本産婦人科学会HPより抜粋)

翌朝、少し腹痛が収まって、持ち直したのかな…と思ったのも束の間、また酷い腹痛の末、血の塊が出た。その中には2cmくらいの袋状のものが見える。

「あ、ダメだったんだな…」

中にあのピコピコ頑張っていた豆粒のような赤ちゃんがいると思うと、ただの血の塊としてくるんでポイなんてできるはずもなくて、どこかに埋めてあげようか…と、大事に包んだ。起き上がれないくらい痛かったお腹は、嘘のように治って、もう急ぐ必要もないか…としばらくボーっとするも、やっぱり病院に電話しなくては。

看護師さん(以下、看)「出た塊はありますか?持ってくることはできますか?」
(え…これ、持って行かなきゃいけないの?)
私「えーっと…ちょっとどこかに埋めてあげようかと思って、持って行かないとダメですか…?」
看「え!?どこに…!?」
私「公園の木の下とか…」
看「ダメですよ!ご自分の土地のお庭など以外に埋めるのは違法なんですよ。」
(そうなの…!?!?)
私「すみません…」
看「お調べして、何か原因がわかる場合もありますから、フィルムケースみたいなものでも良いので、入れて持ってきてくださいね。」
私「はい…」

子どもの頃、死んでしまった金魚のお墓を家の裏の公園に作ったけど、あれはダメだったのか…
そんなことが頭の片隅に浮かぶ。

病院で診察を受けると、もちろんあのピコピコはもういなかった。
初期流産は母体のせいではないこと、6~7人に1人くらいの割合であること、子宮内のものがすべて綺麗に出なかった場合は処置の必要があること、次の妊娠までは間をあけること、検体(例の袋状の塊)は検査に出した後供養しますから安心してください、などを先生は丁寧に話してくれた。

まずは数日薬を飲んで、と渡されたそれは、「子宮収縮剤」と書かれていて、先日もらった薬と真逆のもので怖かった。どうにか子宮を収縮させずに妊娠を保とうとしていた前回と一変し、今回は子宮を収縮させて残ったものをなるべく自力で出すよう促すものだった。
おめでとうございます!と言われなかった理由も、すぐに母子手帳をもらわない理由もわかった。同じころ、友人が7ヶ月で原因不明の死産を経験し、妊娠することも出産することも奇跡みたいなことだけど、妊娠を継続することも、本当に奇跡のようだと強く思ったし、安定期なんてないということも教えられた。

診察室を出ると、お腹の大きな妊婦さんがたくさんいて、でも羨ましいとか悔しいとかは不思議と思わず、みんな頑張って!と思ったし、お腹の大きくない患者さん(がん検診や月経トラブルで受診されてる方も大勢いらっしゃいます)の中には、私のような人もいるかもしれないな、と今まで考えたこともなかったことを思った。

流産は、妊婦さんが転んだり階段から落ちたり、冷たい水に入ったりすると起きることだと思っていたし、そういう描写しか触れたことがなかったように思う。誰にでも起きうることだなんて、そんな知識はなかった。不妊だってそうだ。
でも、私のこの経験を周囲に話すようになると、「私も経験あるよ」という人が、本当に、本当にたくさんいた。

聞かれなければ話さないような話だし、なかなか聞かれることもないけれど、みんな言わないだけでそれぞれ色んなものを抱えている。私はあの経験で多くのことを学ばせてもらい、自分にとって大事なことを見つめ直し、また赤ちゃんが来てくれたら、心から喜んで大切にしたいと思ったのでした。(が、一度この経験をしてしまうと、結局次の妊娠でも手放しで喜べず…このお話はまた今度。)

そして、誰かの気が楽になるなら、この経験はいつでも話したいと思っています。

しえる




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