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貪欲な吸収のためには?

こんにちは。久しぶりにnoteをのぞいてみたら、自分の記事を予想以上に多くの人に見てもらうことが出来ているようで驚きです。

たまには前向きな記事でも書いてみようかなと思ってこの記事を書いています。

いきなりですが、一流のスポーツ選手が必ずと言っていいほどしていることがあります。それは、目的や目標、反省点などを明確にするということです。

超人的な成績を上げている大谷翔平選手も、花巻東高校の時にかなり神経質な目標設定シートのようなものを作っていたのをNHKかなんかのドキュメンタリーで拝見しました。これが「効率」であったり、「自己分析・自己省察」であったりするのでしょうか。しかし、その成績が圧倒的な練習量に裏打ちされているというのもまた事実でしょうし、これは「がむしゃらさ」「ひたむきさ」と呼ぶべきものなのでしょうか。

思えば何かで結果を残すことが出来た時って、圧倒的な努力量にくわえて、自分の長所と短所を明確に区別し、長所を伸ばし短所を埋めていく効率的な作業がうまくいっていたような気がしませんか?受験だって、5教科7科目しっかりできないと国立医学部には受からない。アルバイトだって、極端にexcelが使えなかったりコミュニケーション能力が低かったりするとお話にならない。

ぼくはキックボクシングをやっていますが、ジムのトレーナーや会員さんに言われたこと、そのすべてをメモし、次の日のシャドーやミットに生かすようにしています。長所を伸ばし短所を穴埋めする。もちろん試合に出る前には量的な追い込みは欠かさない。

自分の体格やリーチにそぐわないやり方を教わることもあるわけですが、それは世の中に落ちている無数の情報を自分で取捨選択する練習だと割り切っています。(自分が間違っていることも多分にあるから目上の人間の言うことはとりあえず噛み砕くこと、そもそもアドバイスをくれたことに感謝することも意識しています)

さて、いままでは効率よく長所を伸ばして短所を埋めようぜ!という話をしてきたのですが、そうも言ってられないのかなと最近思うんです。それは、
先日インターン先の上司に言われてハッとさせられたことに起因します。「人の長所と見える部分には必ず裏の短所があるんだよ。周りに気を使えるという評価を得ている人が優柔不断というレッテルをはられているということもあるじゃん。」というお話を頂いたことがありました。
自分の短所を補おうとするあまり長所を消してしまうようにはなりたくないが、短所があまりにも目立つのはお恥ずかしい・・・というのはわがままなのでしょうかね・・・

色々と悶々とした思考回路をお見せしてきましたが、たぶん、やりたいことや目標などが山積している大学生世代にとって、とりあえずいろいろなことにチャレンジする、怒られたり褒められたりしながら自分の適性を探す、長所を伸ばすこと短所を埋めることを良い塩梅でやっていく、というサイクルでいくしかないのかなという感じがします。そうして生きているうちに、本当に勝負しなきゃいけないタイミングが来ます。そこでいかに自分の引き出しが多いか、というのが肝要なのでしょうか。。。

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