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【日本独自】卸売流通市場の歴史と変化

私たちが普段食べる野菜ってどれくらいが市場を経由していると思いますか?

最近は直売所やインターネットなど市場を経由せずに野菜を買える機会も格段に増えたと思います。

そんな中で国産青果物の市場経由率はどれくらいかというと、実は約80%もあります(家庭用に消費されるものであればほぼ100%

市場は目立たないながらも私たちの生活を支えているのですが、そんな日本の卸売市場は、どのような過程を経て成立されたのでしょうか。

今日は卸売市場の歴史について書いていきます。

先にまとめを載せます。

まとめ
米騒動をきっかけに中央卸売市場は誕生しました。
目的は食料の安価での安定供給です。
その後、産業構造が変化する中で法改正を経て現在も国産青果物は8割が市場経由です。

卸売市場誕生のきっかけとなった米騒動

第一次大戦後、好況となった日本では重化学工業が発展し輸出が進んだ反面、国内での必要物資が不足し物価が上がっていました。

好況の中で、地方からの工業労働者が増えたことで、農村部での働き手が減ったことから米の生産量は落ち、一方で農家自身も養蚕などで収入が上がったことにより雑穀から米を食べる生活スタイルに変わっていったことで米の消費量自体は上がりました。
また米の輸入量も大戦の影響で減ったり、同年8月からのシベリア出兵を見込んだ米の買占めや売り惜しみという事態が発生したことにより米の価格はみるみるうちに高くなっていきました。

1914年の第一次大戦開始直後に暴落した米価は、そこから3年半ほどは安定して推移していましたが、1918年になると上昇し、大阪の米市場の記録では、同年7月には同年1月の倍の値段をつけるほどになっていました。

当時は今以上に米の消費が盛んで、肉体労働者だと一人当たり一日10合の米を食べると言われていたため、米の価格高騰は庶民の生活にはかなりの大ダメージでした。

もちろん政府も輸入米を増やしたり、暴利や買占めを取り締まったりしたそうですが効果は限定的だったようです。
※ちなみに当時は「米穀投機」というギャンブルに米を利用する人もおり、「ぼったくる」「ぼる」と言った言葉は当時の「暴利」に由来するそうです

卸売市場はそんな米騒動をきっかけに作られました。
設立の目的は物価上昇を抑えた廉価での農作物等の販売の実現です。

第二次大戦を切り抜けた卸売市場

当時は公設公営市場という形で、農家や小売業者が直接仕入れて販売をしていましたが、更なる豊富な品揃え・安定的な供給・適切な価格形成を実現するために作られたのが中央卸売市場です。

中央卸売市場と地方卸売市場の違いは以下の通りです。

・開設者が国(農林水産大臣)から認可を得て開設した卸売市場を、中央卸売市場といいます。
・中央卸売市場は、広域的な生鮮食料品等流通の中核的な拠点であり、北海道から沖縄まで、全国40都市(64カ所)で開設されています。
地方卸売市場とは、開設者が都道府県から許可を得て開設した卸売市場です。
・地方卸売市場は、地域の特産品を豊富に取りそろえている市場や、地元の小売店が夕方にも新鮮な食材を仕入れられるように、せりを朝と夕方に行う市場など、地域の強みや特徴を活かした売買取引を行っています。(全国に1,060カ所に開設(平成28年度末時点))

農林水産省より

1923年に中央卸売市場法が成立すると、東京は同年9月の関東大震災のため建設計画が遅れていましたが、1927年に京都市で日本初の中央卸売市場が開設。東京でも1927年に江東分場、1928年に神田分場、そして1933年に築地の本場が完成し順次開設が許可されていきました。

中央卸売市場の開設により

  • 「透明性の高い公正な価格」

  • 「価格と品質の安定」

  • 「衛生状態の向上」

という効果が見られました。
中央卸売市場の開設は消費者や小売事業者にとってメリットがあったのはもちろんのこと、毎日の卸売価格が正確に発表されたことにより出荷者の出荷調整にも役立ちました。

その後、日本は戦時体制下に入り、生活必需品のインフレや、その対策として出された公定価格設定を経験したのち、1941年、配給統制時代となり中央卸売市場は本来の機能を停止し配給機関となりました。

終戦を迎えると物資の不足から闇市ができました。政府も統制の影響力がなくなったと判断し1945年11月に1度は統制を撤廃します。

しかし、インフレが見られたことで翌年2月には統制を再開。ただ中央卸売市場への入荷量は少なく、闇市に農作物が流れる現象が続きます。

1948年ごろになると食糧事情も好転しはじめ、公定価格を下回るものも現れ、配給品が拒否される現象も起きるなど徐々に配給制度の存在意義はなくなっていき、同年3月には野菜の統制は解除されました。(果物は前年10月にすでに解除済み)

その後は中央卸売市場としての機能を回復し、今日まで続く重要な生活インフラとして運営されています。

社会の変化による流通の変化

1923年に中央卸売市場法が成立してから現在まで約100年が経っているわけですが、その間に起きた人口・平均寿命・産業構造・嗜好の変化などを通して食のスタイルも大きく変わっていきました。

出荷先の分散から集中へ

もともと市場を通して出荷される野菜や果物は、一箇所に多くのものを集め、それを複数の市場に分散して出荷する「一元集荷・多元販売」と呼ばれる方式を採っていました。

しかし、農作物の生産量が減るなかで1980年代半ばから、出荷先の絞り込みが行われ、より大きな規模の市場への出荷が集中するようになり、市場間での格差が顕著になっていきました。

輸入品目の増加

海外からの安い農産物の輸入も1980年代より増加しました。

しかしながら輸入品は加工品が多く、こういったものは市場を経由しないことが多いのです。
現在、輸入野菜の8割が加工品、輸入果物は6割強が加工品と言われています。

食の外部化

スーパーなどのお惣菜や冷凍食品を買って家で食べる「中食」、飲食店に行って食べる「外食」の増加も顕著です。

単身世帯の増加や高齢化、女性の社会進出などがその要因として挙げられますが、食の外部化が進むことにより加工品や加工用(業務用)の農産物への需要が増し、輸入品目の増加により拍車をかけています。

日本の野菜の自給率は家庭内消費では自給率はほぼ100%、業務用は70%でそれらを加味して現在は約80%となっています。

市場を取り巻く法律の変化

先ほど書いたように、食料自給率が40%を切っている日本でも国産青果物の市場経由率は依然として80%近くを維持しています。

上記のような社会変化の中でもそれだけの経由率を維持できる理由として市場内のルール変更、つまり法改正が大きく関わっています。

約100年前に中央卸売市場法が成立しましたが、中央卸売市場だけでなく卸売市場に対しての法制も整備する要請を受けたことから1971年に新たに卸売市場法が誕生しました。

その後、細かいものも入れると10回以上の変更がありますが、大きな変化となったのは3回と言われています。

1999年 セリ原則取引の撤廃

1999年、最初の大きな改正として「セリ原則取引の撤廃」があります。しかしこれは既に行われていたスーパーなどのチェーンストアの相対取引を制度化したものでした。

現在では、イメージとは反するかもしれませんがセリ取引は10%程度で、約90%が売買をする当事者間で価格を決める相対取引となっています。

2004年 買い付け集荷の自由化・委託手数料の弾力化

2004年、次にあった大きな改正は「買い付け集荷の自由化」「委託手数料の弾力化」です。

「買い付け集荷の自由化」は、品揃えを充実させるために他の卸売市場や産地から直接買い付けを行うことです。しかし実はこれも既に行われていたことでした。

市場は基本的に「委託集荷」と言って、出荷者に委託された形で商品の売買を行いますが、この場合は入荷量の予測ができないため、事前の契約取引ができなかったり、商品に対して上乗せする金額を自由に設定できないというデメリットがありました。
一方、「買い付け集荷」の場合は市場が自ら出荷者と交渉をして買い付けを行うため、売り先との契約もしやすくなったり、値決めの自由度も上がります。

「委託手数料の自由化」は卸売市場の低収益率を改善するための方策です。

卸売市場の赤字が続く中でどのようにしてそのピンチを潜り抜けていくのか、委託手数料の弾力化を通してその方向性を示すことにもなりました。

しかし現状のところは、依然として固定化されていた頃と同じ販売手数料率を採用しているケースが多いです。
(実際に、手数料が固定化される1958年以前は、十分な荷を確保するために委託手数料率を引き下げる卸売業者も存在し、それにより経営状況が悪化するケースもあったそうです。)

2018年 新卸売市場法

そして2018年、この年の改正は2004年に兆しがあった民営化色をより強めるものでした。

それを象徴する改正として開設者の権限を強化し、地方公共団体以外も開設者になれるようにしたのです。
改正前は開設を認める国側が持っていた卸売市場の運営に関する権限の一部を、開設者に持たせるようにしたのです。

また、開設自体も改正前は都道府県や人口20万人以上の市に限り認められていましたが、改正後、法律上は民間企業でも開設ができるようになりました。

競争原理をより働かせることによって効率化を促し、卸売市場業界を活性化することが政府の目的のようです。

自由化や競争化に不安視をする声もありますが、市場間の格差がどんどん開き、合併や統合も進む現状を考えると、社会のインフラとして存続するためにもこうした変化はある程度はしょうがないのではないでしょうか。

最後に

米騒動をきっかけに食糧の安定した供給と価格の安定を志向して作られた卸売市場は社会の変化に合わせてそのルールを変えていき、依然として国民にとってなくてはならない生活インフラとしての役割を果たしています。
(卸売市場の持っている機能についてはこちらにまとめてあります。)

人口減や少子高齢化などは市場業界にも深刻な問題ですが、国民の胃袋、そして農業を支える重要な存在として卸売市場には引き続き注目していこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

参考:
・〝適者生存〟戦略をどう実行するか: 卸売市場の〝これから〟を考える
・市場流通2025年ビジョン―国民生活の向上と農水産業の発展のために
・農林水産省

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