エリンジウムの花ことば 第9話【最終話】
瞳子さんのご主人は、2月頃入浴中に脳出血を起こして意識を失い、救急搬送された先の病院で措置を施すも意識が回復せず、いまだ入院中とのことだった。瞳子さんや息子さんたちのこともわからず、今の時点では元に戻る見込みがないのだそうだ。
「だから私、一生懸命利用者さんたちに向き合っている葵くんを好きになって、自分を責めてた。長年連れ添った夫が夫じゃなくなって、まるでどこかへ行ってしまったような気がしていて。そんな状況なのに、あなたのような若い男の子を好きになってしまって、自分はなんて軽薄で、ひどい人間なんだろう、って……」
僕は椅子に座ったまま、隣りに座る瞳子さんに手を伸ばして抱き寄せた。
「誰だって、ひとを好きになることは止められないし、その権利はあるんだよ。だから、瞳子さんの気持ちも、僕の気持ちも、ふたつとも大切に、一緒に育てて行こうよ。悲しいことがあったら、僕に半分ちょうだい。かわりに、僕が楽しいことや嬉しいことをたくさんあげるから」
僕の腕の中で、瞳子さんは泣きながらうんうんと頷いていた。
暑い夏が終わって、飯田さんはひなた苑の特養に入所することになった。認知症が進んで、福沢さんのことをおぼろげに覚えていたのが、今ではすっかり忘れてしまったのか、『和也さん』と口にしないようで僕はほっとしていた。いつまた急に思い出して、かつての恋人を探すかも知れないと思うとハラハラしたが、当時のこのことを知っているのは福沢さんと僕、そして福沢さんの同期の理事長の3人だけだ。もし何かあっても、絶対に福沢さんと飯田さんの気持ちを守り抜く。
10月から瞳子さんは、ひなた苑にレクのサポートに来てくれることになった。銀次さんの送り迎えでここへ来ていて、施設長や他の利用者さんたちと顔を合わせた時につけていた水引の指輪やピアスが注目を集め、何人かが教えてほしいと言い出したのがきっかけだった。
今日は瞳子さんがレクで来る日だ、そう思いながら早番の僕は11時からの休憩時、ウキウキしながらデイのフロアの前を通る。案の定瞳子さんは、フロアで何人かの女性の利用者さんたちに一生懸命教えていた。思わず近づいて話しかける。
「こんにちは、二宮さん。お久しぶりです」
昨日デートしたばかりで、それはちょっと白々しかったか。
「こんにちは。今日は早番ですか? これからお昼?」
知ってるくせに、と思うと瞳子さんも僕の心の内を察したのか、クスッと笑う。
「皆さん何をつくっているんですか? アクセサリー?」
僕が聞くと、僕がデイで働き始めた頃から長く通っているおばあちゃんが顔を上げた。
「あぁ、むずかしいけど、楽しいよぉ。色がとってもきれいだねぇ」
瞳子さんが笑顔で答える。
「アクセサリーは、着替えの時に金具を引っかけたりして危ないこともあるでしょうから、カバンやポーチにつけられるストラップにしましたよ。これは梅結びと言って、おめでたい結びだし、色は皆さんに好きな色を選んでもらっているんです。それぞれが皆さんを表現していて興味深いわよ」
確かに、その場にいた利用者さんたちは、思い思いの色を選んで一生懸命水引を結んでいた。ご祝儀袋についているのは見たことがあったけれど、色とりどりの水引を改めて見て、僕も興味がわいた。
「なんだかきれいな色を見ていると癒されますね。二宮さん、今度僕にも教えてください、二宮さんが今つけてるブレスレットいいな、僕にもできますかね」
「お兄さんもほら、ここでやりなよ」
さっきのおばあちゃんがにこにこと椅子をすすめてくれる。
「不器用でも、簡単なものから丁寧にやっていけばできますよ。大事なのは、つくりたいという気持ちだから。今度久保田さんにも教えますね」
「わ~、楽しみにしてますね!」
思わず僕たちは、見つめ合って微笑んだ。
12月。街も、施設の中も外もクリスマス一色だ。
今年は瞳子さんに出会って、僕の人生が初めて色を得たような気がしていた。街でイルミネーションを見ると、言いようもなく寂しかった去年までと違って、今年はうきうきしてくる。早番の日の帰りの美しく壮大な夕焼けや、夜勤明けの輝く朝の光など、ひとりでいる時はいつも、そんな景色を瞳子さんに見せたくなる。瞳子さんは、クリスマスのディナーなんて、と言うけど、そういうのもたまにはいいんじゃないかな、とこの前話したら、あっさりと
「うちでやりましょう。ふたりで何かつくりましょ」
と言われた。まぁ、僕も実家暮らしだけど自分の食べることぐらいはできる。料理もお菓子づくりも得意なほうだ。
ふたりとも、日にちにはこだわりがないので、銀次さんのデイのお迎えがない12/25の水曜日の昼に自宅に伺うことになった。僕は先月、瞳子さんに水引をいくつか教えてもらってから、あるものを暇さえあれば練習していた。
パスタやサラダや、ちょっとしたおつまみを並べ、僕が持ってきたロゼワインを開けた。
「瞳子さん、これ。まだ下手だし、高価なものじゃなくてごめん、だけど、身の丈に合ったものの方が、瞳子さんは喜んでくれると思って……」
テーブルについて、先にカバンから真っ赤なハートのビロードのケースを取り出した。
「え、わ、もしかして葵くん……」
「はい、これ」
僕はケースのふたを開けて見せた。
中には、僕がつくった、淡いピンクのゴールドラメの水引の指輪。
「サイズ合うといいけど。左手でいい?」
「はい」
瞳子さんは結婚指輪をしていない。介護職の時に働いてた施設での入浴介助で、素手で利用者さんを洗うため、外してしまったそうだ。これから先、僕たちの関係がどうなるかなんてわからない。でも僕は、目の前のこの人に一生分の恋をしてしまったんだ。ご主人が回復されたとしても、僕はどんなかたちであれ瞳子さんのそばにいる。
もしも、瞳子さんがこれから先、年を重ねて認知症になったら、僕はまたあの青いエリンジウムの花を渡して言おう。
『僕と、秘密の恋、しませんか』と。
瞳子さんの左手のくすり指に、僕の思いを込めて結んだ水引の指輪を丁寧にはめてゆく。これから先の人生を、この人と向き合いゆっくり味わえるように、願いを込めて。
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