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【映画雑記】戦争の記憶と「ゴジラ」。

 いままで何度も観た映画はたくさんあるけど、子どもの頃から好きなのはゴジラシリーズ。なかでも昭和29年製作の「ゴジラ」は何回観ても飽きない、発見のある映画だと思います。

 このあと延々と作られることになるゴジラ・シリーズの記念すべき第1作目。東宝特撮の黄金期を築き上げ、後に黒澤明の映画で第二班の監督を務める本多猪四郎監督による本編と、特撮のパイオニア円谷英二の特撮が見事に結合したまさに先駆となる傑作。昨今の映画のように特殊効果のシーンになると途端に画面が派手になるようなことがない。本編と特撮がシームレスに進行する稀有な作品とも言えます。役者達も新人からベテランまで、力強い演技で本来ならあり得ない物語を牽引していく。特に、同年の名作「七人の侍」にも出演するベテラン、志村喬の渋味がいい。そして、伊福部昭の音楽。ゴジラの重厚感、恐怖、凶暴性を音で表現、映画の基調を形成する。例のテーマ曲は日本の名曲ベスト3入り確実。

 今を遡ること15年ほど前。俺は広島へ旅行した。そして、ずっと行きたいと思っていた原爆資料館を訪れた。そこに展示されていた破壊された都市の写真、熱線で曲げられた鉄筋、炎の熱で溶けたガラスや鉄材、圧倒的な威圧感を持って立ち上るキノコ雲を下から捉えた写真など、数々の展示品に打ちのめされた。恐怖と緊張の連続だった。

 これらの資料が「ゴジラ」という映画を作るに当たって影響を与えたかどうかはわからない。広島の原爆の被害を国内で初めて伝えたアサヒグラフが昭和27年発行なので、製作者たちがまるで知らなかったということはないだろう。いまゴジラ映画を担っている世代は、過去のゴジラ映画に影響を受けた世代で戦争そのものを経験していない。いや、彼らの作り上げるゴジラ映画の世界観も、時代の要請に応えたものだから否定するつもりは全くない。ただ、破壊の記憶に基づいて撮られた第一作「ゴジラ」。この作品が描く破壊された都市の情景に、なぜ伊福部昭の書いた平和への祈りの歌声が流れるのかははっきり理解しておかなければいけないだろう。
 劇中で説明される通り、ゴジラは白亜紀の地層近くの海底で静かに暮らしていたところを、度重なる水爆実験で住処を破壊され、放射能による変異を伴って人類の前に現れる。ゴジラは放射能を帯びた熱線を吐いて都市を火の海に変え、通った後には瓦礫の山しか残らない。昭和29年当時にこの映画を観た人々はスクリーンにひろがる惨劇に、原爆や空襲の記憶を強く揺さぶられた筈だ。劇中、「空襲で疎開して次はゴジラで疎開」とぼやく男と、「せっかく長崎の原爆から逃げ延びたのに」と答える女が登場する。ゴジラ上陸後、医療施設で母を亡くして泣く子、迫るゴジラに怯えながら「もうすぐお父ちゃんの所へ行ける」と死を覚悟して子を抱く母親。昭和29年という終戦から9年しか経っていない時に、あえて戦禍の記憶を引き出して作られた作品だからこそ獲得した力強さがそこにはある。

 1950年代のハリウッド製怪獣映画、例えばゴジラに直接の影響を与えたと言われる「原子怪獣現る」などを観ると、怪獣は天災に似た災厄であり克服できる対象として描かれる。都市に上陸はする。しかし、街へ来たよそ者が退治される西部劇のように、怪物は退治される。怪物は必ず死ぬ。それに比べ、ゴジラが撒き散らす近代都市を原始時代に逆行させてしまう凶暴性と破壊力といったらどうだ。総力戦で都市そのものを破壊する戦争の恐怖そのままだ。そのゴジラを倒す秘策を隠す科学者は、ゴジラを倒した後、その力の秘密とともに帰らぬ人となる。本当は死ぬべきではない者が死ぬ。なぜ彼はゴジラを倒す強大な力とともに海の藻屑となることを選んだのか。その未知の力を決して戦争に使わせないためだ。こうした描写の数々も、敗戦によって平和を得た当時の日本人の、そして監督である本多猪四郎の、戦争という最大の暴力を身を持って経験し、二度と繰り返してはいけないと断固として否定する姿勢をよく表現していると思う。

 戦争の記憶がどんどん忘れられていく。戦時は陸軍に従軍した本多猪四郎監督が「ゴジラ」に込めた思いを、いま我々は真正面からきちんと受け止めることかできているだろうか。残念ながら胸を張って答えられる自信がない。


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