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餃子の王将バイトで聞いた金言、22年後も忘れない言葉

もう22年も前になる。18歳で家を出た私は、サッカー雑誌の編集者になるのを夢見て、大阪で一人暮らしを始めた。人生で初めてしたバイト。それが、餃子の王将だった。”鍋振り”に昇格した時、レシピをメモる私に、社員Sさんの言った言葉。

「自分がおいしいと思うもんを作ればええねん」

それは、今も忘れられない金言になっている。

昔はちょっとダサいイメージのあった餃子の王将

高校卒業後に進学した学校は、大阪市内にあった。兵庫県の山奥にある実家から、通えない距離ではない。でも、甘やかされて育ったと自覚している私は、「一人暮らしがしたいんだ」と親に訴え、大阪で一人暮らしを始める。自動車教習所に通う途中、偶然見つけたバイト募集の張り紙。それは、昔からなじみのある餃子の王将だった。

選んだのは、深夜帯。PM21:00~AM02:00まで、時給1000円。初見は、「餃子の王将かぁ…ちょっとダサいかな」とも思った(昔は今ほど、餃子の王将ブランドが全国的に確立されていなかった。よって関西圏の地方都市では、さびれた店舗が駅近にあったりする、”安くておいしい庶民派のややダサめのチェーン店”的イメージだった)。
だが、時給も良かったし(昼間のバイトが850円ぐらい?の時代)、まかないも魅力的だったので応募する。

土日に×をつけたら、面接で「土日働ける人、ほしかってんけどな」と言われたため、「いや、どうせやったらめちゃイケ見たいと思って×しただけなんで、別に土日も大丈夫です」と、ビジネスセンスのかけらもない簡単なやりとりだけして、すぐに採用された。

王様”鍋振り”に至るバイトのヒエラルキー

バイトは、経験に応じて担当場所が変わっていく。最初は、から揚げ&ラーメンを見る「フライヤー&メン場」。慣れてくると、2枚の大型鉄板でひたすら餃子を焼く「ギョウ場」。これと同時に、手が空いていたり、レジがいなければホール・持ち帰り受付もこなす。

しばらく働いて全体の流れがわかってくると、「センター」へ。オーダーを通したり、お皿をセットしてキャベツを乗っけたり、洗い物を効率よくこなしていく。全体的に店のメニューを把握をしていなければ務まらないポジションだ。

そして、王様が「鍋振り」である。当然、一番大事な料理を作る人。3~4つの中華鍋を操り、料理を仕上げていく。鍋振りになるまで1年ぐらいか、それなりに経験を踏まないと、担当させてもらえない役職である。バイトで採用された私も、各ポジションを経験。最初はまかないで徐々に鍋を触らせてもらえるようになった後、社員さんから「じゃあ、今日鍋振ってみるか」と誘われた。

※各担当範囲や役割名・成長過程は、おそらく店によって違うと思うので、当時のその店での話として聞いてください。

こまめにメモを取る私に投げかけられた言葉

当然、緊張する。その時点ですでに、それなりの経験は積んでいるが、お客さんに出す料理を作るのである。ここまでは作業内容も、口頭で聞いて覚ていたが、さすがに鍋振り。材料や調味料をどれだけ入れるのか、メモすべきだと思ったので、社員Sさんのレシピをオーダー表の裏にメモリだした。

もう何の料理だったかイマイチ覚えてはいない。ただ、とある料理の作り方を聞いてる時だった。こんなやりとりが発生する。

社員S「次は、中華丼やな。中華丼は、にんぺん(ニンジンの長細いヤツ)2個と、ハクサイは熱通すと縮むからこれぐらいで・・・・」

私「ふむふむ、『中華丼』はにんぺん2個、はくさいザルいっぱいぐらいで・・・・」

社員S「調味料は、中華味がお玉にこれぐらいで、塩はこれぐらい・・・」

私「中華味がお玉の2割ぐらいで、塩はちょっとつけるぐらい」

社員S「・・・お前、几帳面やな」

私「だって、忘れたら困るやないですか」

社員S「材料とかはある程度、同じもんにせなあかんけど、あとはお前がおいしいと思うもんを作ればええねん

私「あぁー。なるほどね。でも、メモらな怖いんで」

だいたい、そんなやりとりだったと思う。聞いた時は、別に普通の会話だった。でも、後から考えると、「そんなんでええのか?」と思う反面、「それ以外にないな、確かに」と思い始めたのである。

その後、味見の時とか、私の中の判断基準は、それが「おいしいか否か」になった。そして、僕にも得意料理ができたのである。中華丼だ。
いつか、同じ深夜バイトのパートのおばちゃんが、持ち帰りで中華丼を頼んできたので、私が作った。しかし翌日、「守本君、あれ塩辛かったで」と言われる羽目になる。だが別の日、2回目にオーダーが来た。だから作ったら、その翌日に言われたんだ。

「守本君、昨日のやつはめっちゃおいしかったで」って。

それ以降、私の得意料理は中華丼になった。

その後、人生一番の得意料理となった中華丼

その後、2年ちょっとバイトを続けて、貯めたお金で、EURO2000というサッカーの大会を見に行った。そこで出会った人々と人脈がつながり、フリーのサッカーライターになった私は、バルセロナで数年を過ごすことになる。

その間、現地の日本人ネットワークの中で、”守本君の中華丼は絶品”と有名になった。ホームパーティなどの際、よく王将料理をふるまった。
自称”餃子の王将バルセロナ店”では、輸入品となるきくらげとかは高いので、たまねぎでもなんでもいい。おいしいと思えるものであれば、なんでもいいと、言えるようになっていた。もう、メモを見る必要もなくなっていた。

そんな、バイトをしていた頃から22年。東京で社長をやることになるとは全く思っていなかったが、今でもその金言は忘れない。むしろ、忘れられない。
社員Sさんは、そんなこと言ったのさえ、覚えてないだろう。でも、聞く側に残る言葉もあるのだ。だから、たまにわが社の社員に、自然とこんな言葉をかけてしまっていることがある。

「お前がおもしろいと思うもんを作ればええねん」と。

#これからの仕事術 #餃子の王将 #中華 #バルセロナ

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