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DRESSED TO KILL

(ガリラヤ湖での酷い嵐の中、転覆しそうになっている舟の中、屈強な漁師である弟子たちが皆、怯える中。主イエスが嵐を叱ると、完全に嵐が凪になったという場面がある。
その場面からこの章は始まる。)

もし敵が、貴方にとんでもない経済問題が起こしているなら、イエス・キリストは、ものすごい祝福をあなたの経済に与えたい。
もし敵対者があなたの体にとんでもない病気を与えているなら、イエス・キリストはとんでもなくあなたの体を癒したい。
もし悪魔が、あなたの結婚生活にとんでもなく滅茶苦茶な問題を起こしているなら、イエス・キリストはとんでもなく素晴らしい祝福を、あなた方の結婚生活にもたらしたい。
なんであっても悪魔のすることが、その攻撃に匹敵するほどの素晴らしい祝福を、イエス・キリストはあなたの人生に与えたい。

しかしながら、これらの攻撃が来たら、まず自分自身に正直にならなければいけません。多くの攻撃は「突然の攻撃」ではなく、攻撃を戦わなければならないのは多くの場合、自制心を失った生き方のある部位に関し、聖霊の警告に注意を払わない私たち自身の不信仰によるものだからです。

霊的な戦争とは、悪魔を追い払うための一時的感情による一瞬のやる気ではありません。むしろその反対です!
本当の霊的戦争とは、一生関わってきた自分の考え方や思いの特定の状態を含みます。
それはほぼ行動というよりも、思い(考え)の定義と働きかけです。

使徒パウロはこのことを理解していました。彼の神の仕事に敵対する外からの悪魔的奪い合いがあった後、パウロは3回主に祈って、「このとげを私から取り去ってください」と祈りました。
そして、より高い高みに彼が昇れるように、と。

しかし、”とげ”は決して取り去られなかった。「私からこのとげを取り去って下さい」と祈るパウロへの返答の中で神は、「わたしの恵みはあなたには十分である」と言われました。
パウロのようなこの状態にあって、なぜ神はこう答えられたのか?
神にとってパウロが効果的な人物なら、暗闇の領域への攻撃を与えるためにパウロが効果的であり、悪魔の攻撃にも耐えられる。
敵対から自由になる生き方という偽の約束をパウロに提供するよりも、主はかえって、敵が来て攻撃する時はいつも、それを乗り越えるに必要な恵みと力をお約束になった。
パウロの外的環境は常に、挑戦を伴うものだった。

本より抜粋(P.52)

You don't have to take it anymore, because you are…
DRESSED TO KILL

もうこれ以上それをしなくていい。なぜならあなたは、
素晴らしく着飾っている(神の武具で)


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