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亜麻(繊細)と僕【僕とパーツの人生紀行】

亜麻(繊細)は、数いるパーツたちの中の数少ない女の子。
「亜麻」と書いて「ああさ」と読む。
「あまちゃん」と呼ばれても構わない、本名が「ああさ」と分かってもらえれいれば。

彼女は「心豊かで、丁寧な暮らし」の達人だ。


彼女の見た目は20代くらい――だが、実際には10代半ばを過ぎたくらいである。大人っぽく見られる服装をすることが多いようだ。

淡い茶色の髪を後ろで太い三つ編みにしている。

趣味と仕事は「暮らすこと」。

ミニマリストで、断捨離やライフスタイル系のエッセイを、ほのあまいミルクティーやカフェオレと共に読むのが好きだ。

世の中には、家事を「面倒臭い」と見なす人もいて、主にもその傾向があるのだが、「繊細」は家事そのものを楽しむのが上手い。


洗濯物を丁寧に干すこと、畳むこと。

野菜を切った時の、包丁がまな板に当たる音の響き。

皿を洗った時の、陶器のなめらかさ。

掃除したての、つるつるの床。

など、ひとつひとつの動作に楽しみを見つけ、味わうことができる。

動作を丁寧にするからといって、家事の時間が10分も20分も余計にかかるわけではないし、「繊細」の存在は僕たち全員の精神衛生をよくするのに非常に役立っている。


仮に、うっかり出番を間違えて「パニック少年」や「たたかうパーツ」あるいはせっかちな「監理者」が家事をしようものなら、僕たちのQOLはあっという間に急降下してしまうだろう。

空間把握の苦手さと身体感覚の希薄さのために、あるいは単純に速く作業を終わらせたいために、手元の動作は雑になり、手に持っているもの、さらには体自体をあちこちにぶつける。掃除機のコードはあらゆるタイミングで絡まる。

手早くやろうとして逆に非効率的だし、何より誰もイライラしたいわけじゃない。

結局、丁寧にやるのがいちばん平和で早いということになり、家事をするときは「繊細」に出てもらうことになった。

ちなみに、刺繍が好きなのもおそらく「繊細」である。

最近はあまり針仕事に時間を使わなくなったが、それは刺繍がかつて、一種の現実逃避的な役割を担っていたからだろう。

今はもう少し「今、ここ」にいても平和な状況になってきて、僕たちは本来のライフワークである「書くこと」に集中しやすくなった。

別に刺繍がつまらなくなったわけではないのだが、「繊細」も書くことにより多くの時間を割くことに同意してくれ、刺繍の時間を減らしてくれたのだ。

個性も趣味指向も違うけれど、僕たちはひとつの体を共有しているからである。

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