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小説を書き上げたあとのこと

こんにちは。Jessie -ジェシー- です。

ここ数日、怒涛のような執筆ラストスパートが終わって燃え尽きていました。

書き上げた小説はこちら。

意識的に「終わった!休もう」と思ってから4日ほど経ちますが、ようやく回復してきた手応えを掴んだところ。


書き上げたあとは、不思議な感覚に包まれることが多いです。

終わった直後には、達成感。

でもだんだん虚脱してきて、自分の中に一文も、一文字たりとも残っていないような感じがしてくるんです。

「原稿が終わったら書こう」と思ってメモしていたnoteのネタも、なぜかうまく書けません。メモした時は「良い内容が書けそう」と思っていたし、どう書こうか練っていた構想も覚えているのに。

自分が書こうとしている文章、思い浮かんだ言葉が、全部駄文の垂れ流しに見えてくるから不思議です。疲れているんですね。

こういう時は執筆も推敲も上手くいかないことを経験的に知っているので、思い切って「書くこと」そのものから離れる決意をします。半ば躊躇しながら。

やっぱり私の中には「書かなきゃ」という義務感というか、使命感というか……。そういういろいろのものがないまぜになっていて、書くことを休んでしまうと、書く感覚から遠ざかってしまうような危機感を覚えるのです。

少し休んで書く感覚を失うかもしれないことと、駄文と自己嫌悪しながら書き続けることは、一体どちらが健全なのでしょうか。自問の結果、私は前者を取る、と自分に言い聞かせて休んでいます。

葛藤がないわけではないんですが、実際にこの休み期間中に感覚を失ったことはありません。

私が感覚を失ったのは、受験勉強のためにあらゆる趣味を制限した、やりすぎの中学3年生の時だけです。さすがにほとんど1年間筆を執らないのはこたえました。いろんな意味で。

ああいうことは、もうしません。


書き上げたあとの燃え尽き期間は、ランナウト(run out)したぶんの充電期間と位置付けて、とにかく本や雑誌を読みまくり、気になっていた動画を観まくり、好きなおやつを食べてお茶を飲み……好きなことをやりまくります。

心にことばを溜めるように。

そうして「好きなこと」に注力しながら過ごしているうちに、ふっと、「書きたい」衝動が戻ってくる瞬間が訪れるのです。いつもそれを待っています。

感動する作品を読み終えた時。またはボリュームのある作品を読んでいる途中。手元の作業に没頭するふとした瞬間。

私の中で「あ、書きたい」とスイッチが入り、ゆるやかに「次」へと目が向くようになるのです。

使いきった気がする「ことば」がまた心の中に溜まって、満ちて、あふれるように外へ表現したくなる。

自然な「書きたい」が起こってから執る万年筆ほど、しっくり手になじみ幸せなものはありません。

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