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小説家になりたかった私と西山先生のこと【忘れられない先生】

誰かにとっての「素晴らしい先生」が、他の誰かにとっては「クソ野郎」のこともある。

そんな意見の多様性を受け容れつつも、私は西山先生のことを語らずにはいられない。


高校2年生の頃、クラスの現代文を担当していたのは西山先生という人だった。

体はおおきめだが肥満体というわけではなく、おそらく50代だったと思しき男性教師。顔がサンドウィッチマンの富澤さんに似ている。

早稲田大学に通っておられた頃、ある有名な詩人と同じ教室で講義を受けたことがあるというすごい話を、嫌味なくさらりと語っていた。

西山先生のことが印象に残っているのには大きく3つの理由がある。


ひとつめは、授業が教科書を土台に広がっておもしろかったこと。

『山月記』の授業が終われば「続編を書いてみよう」と空欄のたっぷり取られたプリントが渡され、夏目漱石の『こころ』は西山先生が漱石好きだったこともあり、マイ『こころ』の文庫を大量に持って来て、生徒ひとりに1冊ずつ貸し出し「みんなが全編読み終わってから、教科書に載っている部分の授業をするからね」と言うような人だった。

しかも「読んできてね」が押しつけがましい感じではなく、良い本を人に薦める読書好きの空気が出ていたから本物だ。

実際、『こころ』は長編小説であり、序盤を知らないと理解できない記述も登場するので、西山先生のやり方は非常に理にかなっていたと思う。

また漱石愛に溢れた解説つきの授業は、いつもリズミカルで楽しかった。


そんな『こころ』の授業中に、先生は私にとって衝撃的な事実を口にする。

「実はね、僕は昔、小説家になりたかったんだ」

今まで身近に小説家を志望する人がなかなかいなかった私は、一気に心拍数が上がった。急に同志を見つけたのだ。

これが、西山先生が印象に残っている理由の2つ目。

当時の私は「小説家になりたい」思いは明確である一方、大学進学に関しては後ろ向きだった。

とはいえ私が通っていたのは進学校で、大学に進む人が大半。相談する先生たちは大抵が「大学には行った方が良い」と口をそろえるし(教員免許は大卒じゃないと取れない、当たり前だ)、両親も教職員(つまり大卒)。

そんな環境の中で進学しない道を選択することは、社会の「正規の」レールをドロップアウトし、一歩間違えれば死のような、不安定な世界に踏み出し二度と戻って来られないことを意味しているように感じられた。

今思えば、上の考えもすごく狭くてクソ真面目だし、ある意味贅沢な悩みだったのかもしれないけれど……。

つまり、自由への憧れはありつつ決め切れなかったのである。

潜在的な悩みを抱えていたところに、西山先生の「小説家になりたかった」というつぶやき。

私は己が求める「自由と、大学以外の進路、または応援してくれるかもしれない人の存在」を嗅ぎ取って、授業が終わるとまっすぐ教卓に近づいていった。

「先生。小説家になりたかったんですか?」
「そうだよ」
「実は私も小説家を目指してて。大学行こうか迷ってるんです。ほら、小説家って資格が必要なわけじゃないので、大学に行かなくてもなれるじゃないですか」

私が進学しない動機はもっと根源的なものなのだが、人に話すには勇気が要ることだったし、教室には人が多すぎた。

それで表面的な話しかしなかったのだが、次に先生から返ってきた言葉は、私に強い印象を残した。

「うん。大学には行っても良いかもしれないけど、君は物事の本質を見る人だから、受験には失敗するよ」
「えっ……」

当時了見の狭かった私は、期待していた「良いと思う」の言葉が引きだせなかったことに不満を持ったが、とんだ筋違いだった。

西山先生はもっと重要な示唆を与えてくれていたのだ。時間をかけて考えるうちに、私はそれに気づいた。

物事の本質が見れることは、自分の長所だと思っていた。初めて人に指摘されて嬉しかった。

だが、その長所のゆえに失敗する可能性が高い「受験」というシステムって、なんだろう。

神経をすり減らして頑張るモチベーションもないのに、私が試験勉強に取り組む時間とエネルギーは果たして無駄ではないのだろうか……。

これまでは個人的感覚に過ぎなかった「私は受験に向いていない」が、初めて他人からの裏付けを得た瞬間だった。

私にとっては自分の長所を押し殺してレールにしがみつくよりも、「一歩間違えれば死」の世界に踏み出す方が、ずっと納得できる進路に思えてきた。というより、ずっとそう感じていた自分に自信を持てた。

周りの言うまま進学したり就職したりしたら、きっとどこかの時点で前に進めなくなり、自分の人生を人のせいにしてしまう……そんな悪い予感もした。

だから、進学はしない。私がその決断を下せたのは、その決断に踏み出せたのは、西山先生の衝撃的な一言が大きかった。


そして理由の3つ目は……西山先生の死だ。

そう、西山先生は亡くなってしまった。私が高校を卒業したその年に。

信じられず、信じたくもなくて、私はお通夜に行かなかった。

だから今も心のどこかで「異動しただけじゃないか」という淡い期待を抱き、少しだけ現実から逃げ続けている。

あの面白い授業と、男女構わず「○○君」と呼びかける古典的な空気、言葉の端々からにじみでる頭の良さ。
ちゃんと私の本質を見抜いてくれたこと。きっと他の生徒のことも見ていたのだろう。

そんな貴重な才能がこの世を去ったのに、新聞としてはひどく淡々としたお別れ欄程度しか取り上げられず、教育界も昨日と変わらず回っている。

教育界は重大な喪失に気づいていないと思われるのがまた、さびしい。


だから私がきちんと覚えておきたいし、あらゆる時と場所で西山先生のことを伝えたい。

世界が、素晴らしい先生がいたことを覚えていてくれるように。



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