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音に溶ける夜

耳に配慮して時々しかやらないようにしているが、イヤホンを耳にさしこんで、大きめの音で音楽を聴くのが好きだ。

MVを観るのもいいが、歌詞を目で追いながら、言葉を内に取り込んでいくのが僕にはもっといい。
もっとも心地良いのは、楽曲を構成する音の一粒一粒、上がりくだる音階の一段一段を網羅するように、意識を集中させて聴くこと。

不思議なことが起こる。

僕という肉体は輪郭を失い、音の中に溶けていくような錯覚を覚える。
展開する譜面の上を一緒に譜面を走り、背景で鳴り、表立ってソロを奏でる、ありとあらゆる楽器の音になる。
意識は音と共に音階の高低差を駆けくだる。

一度その状態に入ると、目を開けても閉じても僕は音そのものだ。
目の前で起こっていること――降りしきる雨も、夜の冷たさも、腹部を上下させて眠る犬も――すべて単なる「世界」になる。
僕と言う音楽とは一線を画した、何の関係もなく展開する映画のワンシーン。うごきはあるのにひどくのっぺりとして見え、現実味を褪せさせた現実。
僕は世界から距離を取り、音の連なりの向こうから世界をしばし眺めていたのだった。

10年前をふと思い出す。

あの時も同じことをやっていた。音に自分を溶けこませ、夜と明日の隙間を永遠に漂っていたいと思う――曲が終わることが嫌だった。

転調から収斂へ向かう音と共に、僕の意識も現実に着地してしまう。
曲から曲へうつる時の、数秒間の静寂が怖かった。
夜の冷気と共に忍び込んでくる現実と、確実に進んでいる時計の針に気づいてしまうことが。

永遠に夜を漂っていられたらいい。僕は登場人物にならなくていい。観客でいい。このまま僕だけ世界から消えてしまいたい。あまりにも近すぎるのだ。


今思えば、あれは重い現実からの逃避だった。
また戻ってこなければならないと知りながらもやらずにはおれない、居ても立ってもいられないほど切迫しての解離だった。

音に溶かしてほどけた自己の感覚が、曲の終わりと共に再び着地して結び合わされていくのは、軽い生まれ変わりにも似た体験だった。
ほどいた自分の中から辛さや悲しみだけを曲の隙間に放って他を結び直したら、少しは身軽になれるのではないかと思った。なれる気がした。そうでもしないと重すぎた。生きていくことは。

この感覚を生々しく、久しぶりに思い出した自分に僕は愕然とする。
あれほどの辛さを日常忘れ去っていられるほど、過去に起きた概略的な記憶としてだけ留めておけるほど、新たな経験を積み重ねてきたのか。
あれからそれほど長い時間が経ち、僕はずいぶん遠くまで進んできてしまったのか。

進んだのだろう。時が経ったのだろう。僕は忘れていられるほど、音の解離に頼らなくてよくなったのだ。
音に溶ける楽しみ方は今、単なる迫力ある楽しみとしてだけ在る。


夜。薄明りの中でイヤホンを耳にさしこんで、再生ボタンを押す時。
折り重なる音の仔細を聞き取ろうとひとつ音量を上げる時。
僕の意識はほどけ、1曲分の旅をはじめる。

駆け上がる音階と流れくだる旋律。際立って鳴りだすギターやピアノ。
楽器それぞれの持つ個別の音が、意識ごと僕を揺さぶって押し流す。

そして曲の終わりと共に、だんだんもといた場所に戻ってくる。

終わりを確信する瞬間は、さながら小説の残りページが少なくなってきた気づきに似ている。

名残惜しくても、まだ浸っていたくても、終わってしまう。

本を閉じる時、ディスクの回転が止まる時、僕たちは戻らなければならない。

でも昔とひとつだけ違うことがある。

僕は音の間を縫って希望を拾い、過去とは違う晴れやかさでイヤホンを外すのだ。





直也

サムネイルの画像はPixabayからお借りしています。

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