虐待に「重い」「軽い」はあるのか問題
ども。翔です。
先にタイトルにも取り上げた問題についての俺の見解を述べると。
重いも軽いも「ない」と思ってる。
そのひとが感じているつらさを、ひとつの基準ではかることができないから。
あえて例えるなら、みんな使っている単位が違う感じ。
単位が違うものをひとつの尺度ではかることはできないし、わざわざ基準を設けて判断しようとするのも、本質を見失うことだと思うから。
みんな辛かった。それでいい。
難しいのは、俺たちは自分に対してなかなかそう思えないこと。
俺たちが主の受けてきた経験について、鮮明に書こうとすればするほど「そんなの大したことないんじゃないか」と批判されたり、「他の人の体験に比べれば『軽い方』」と卑下したりするパーツが顔を覗かせる。
俺たちは批判を受けることを恐れてる。
俺たちを批判するのは俺たちだけで十分だ。
今、俺たちは「それは違う」と毅然と振る舞うことができるようになった。主だって「辛かった」って言っていいし、人の体験と比べる必要なんてないんだって。
だって、もし友達が主と同じような体験をして、心の傷と後遺症で悩んでいたら「辛かったね」って声をかけるから。
間違ってもパーツが主に言うような言葉を人にかけるようなことはないと思う。そう心に決めている。
大事な相手にならできることが、自分に対してなかなかできないのは、自分を大事に扱うことを練習中だからなのかな。
ともかく俺たちは自分で自分を批判しないし、他人とも「どっちの方が辛い自慢」をしないよう振る舞っていきたいと思ってる。
読んでくださりありがとうございます。良い記事だな、役に立ったなと思ったら、ぜひサポートしていただけると喜びます。 いただいたサポートは書き続けていくための軍資金等として大切に使わせていただきます。