カビが教えてくれた、私に本当に必要な着物たちの話
好きな時に着物をきちんと着れる人になりたくて、「きもの講師2級」という資格を取りました。
大抵のことにおいて「守破離」を大切にしているので、和洋折衷な着こなしをするとしても、最初は教室で教わるようなきちんとした着方を知っておきたかったのです。
そんな私がこの間、手持ちの着物をいくつか売りました。
着物スターターあるある?
「着付けを習い始めた」とか「着物に興味がある、自分でちょっと着れる」とか何気なくしゃべると、親戚縁者が急に喜んで「私が持ってるのあげる!もう使ってないの」とお声がかかる現象。
私も例にもれず親族から着付けを習っていることを大変喜ばれ、上のような声がけをされ、大きな段ボールいっぱいに着物、小物類が送られてきました。
代々受け継いで着ることのできる服「着物」は、色を変え形を変え、ずっと手元に置いておけるもの。
だからこそ「私はちょっと着ないかな……」というデザインの帯や、丈の合わない袷たちを、どう活かせば良いやら途方に暮れていました。3~4年前の話です。
いただきものであり、貴重なものなので、きちんと桐の箱(中古だけど)を買って、教室で習った通りにきちんと管理していました。
そして機会を見つけては執念のように着ていました。
年賀状に使う写真を撮る時や、ハンドメイドイベントに出店する時など。
今思えば、ごまかしごまかし「使えてます、使ってます」アピールを自分と周囲にしていたのかもしれません。
梅雨のカビ事件
住む環境が変わって初めての梅雨。私は和室で絶叫していました。
「ギャー! 桐箱がカビてる!!」
うちはなぜかものすごく湿気が多くて、たくさんの除湿剤がすぐいっぱいになってしまうほど。
これまでと同じ管理方法では、迫りくる湿気にとても太刀打ちできなかったのでした。
青緑色に浸食されつつある桐箱をおそるおそる開けると……中にもカビが浸食。手持ちの中で一番格の高かった色無地は、たとう紙まで浸食されていました。
あと少し気づくのが遅かったら、本体にもダメージが入っていたことでしょう、危なかった。
着物は難を逃れ、桐箱のカビは拭き取られ一命をとりとめましたが、「毎年こんなことをするのだろうか……」という思いが頭を離れなくなり。
譲ってもらった恩、「頑張れば使える」という執念がプレッシャーとなってのしかかってきます。
気づけば「着物を着るのが楽しいから着る」ではなく「着物を管理するために、着る」に動機がすり替わり。着物に対して楽しくない状態が形作られつつありました。
このままじゃいけない。
ときめく着物まで活かせなくなってしまう!
そう思って一念発起した次第です。
着物の「片づけ祭り」
私はこんまり先生の本で片づけのイロハを学びました。
着物にも、こんまり流ノウハウを活かす時!
実際、こんまり先生は、着物雑誌『七緒』で着物の片づけについて話されていたこともあります。
ときめくモノと、着付けに必要な最低限の小物だけ残して、ときめきの薄いものは思い切って売却。
私の手元で死蔵されているよりも、他に君たちを活かしてくれるところがきっとあるよ!と送り出す気持ちでした。
押入れ下段の一角を埋めていた桐箱の中は驚くぐらいすっきり。
「私に必要な着物、管理できる量って、これだ。これでいいんだ」
あの胸のつかえがとれるような爽快感を久しぶりに感じることができました。
カビは多すぎる持ち物を教えてくれていた
先日。
断捨離からしばらく経ったので、再びカビの有無が心配になってきました。
おそるおそる桐箱を引き出し(うん、外は大丈夫だな)、蓋をとってみると……。
カビの気配すらありませんでした。拍子抜けするほどに。
私が本当に気に入っている、かわいい、サイズのあった着物たちが、きちんと四角くたたまれてたとう紙に収まりしまわれています。
心なしか、彼らもゆったりしているように思えました。
再び、あのすっきり感。自分の感覚は間違っていなかったんだ!
青緑色のカビを見つけた時は取り返しのつかない過ちを犯したと思って絶望しかけましたが、結果的には良かったのかも。
実は私が今手元に置いている着物や帯には、カビが浸食しなかったんです。たとう紙も無事だったほどの勢い。
カビは動いていないもの=使われていないものに生えて、「これ、活用できてないぜ」って教えてくれていたのかもしれません。
着たい時に、着たいものを、着たいように。
着物教室に通う動機になった初心を持ち直して、これからもお気に入りの着物を大切にしていきます。
亜麻
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