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私を読書好きにしてくれた人たち

今でこそ、家族からすら「本当に本が好きなんだね!」と驚かれるほど活字中毒の私。

しかし最初からそうだったわけではなく、むしろ子どもの頃は文字を読むことが嫌いで仕方ありませんでした。


子どもの頃、絵本は「読んでもらうもの」。
当時の私には「世話される・手をかけてもらう=愛情を向けられている」という謎の信念があり、年齢や成長に応じて「そろそろひとりでやってごらん」と言われることが大嫌いでした。

自分でできることが増えていくほど、大事にされなくなっていく感じがして。

文字を自分で読めるようになることもそのひとつで、できれば読めるようになりたくなかったのです。
この思考のクセが過去世の経験によるものらしいと気づくのは、もっとずっと後のこと。

当時はとにかく自分で読み書きできるようになるのが嫌で、
「読むのが遅くて効率が悪いから」「読めない字があるから」などと思いつく限りの理由を並べ、自分ひとりで読むことを回避しようとしていました。

変化が訪れたのは小学1年生の時のこと。

入学後に学校探検という時間があり、校内をあちこち見て回っていた時のこと。
図書館の本を借りる方法の説明を受けた時、おもむろにクラスメイトのひとりが言い出しました。

「ねえねえ、誰が最初に100冊本を借りられるか、みんなで競争しようよ!」

当時、日本人学校に通っていた私のクラスメイトはたったの4人。
他のみんなは乗り気なのに、私だけ「イヤだ」と言ったり、サボる・ズルをするなんてことは考えられませんでした。

それに生来の競争心がかき立てられたこともあり、内面では直也が「めんどくさい・読めるようになりたくない」という傍らで、翔が「やりたい!」と言って乗っかり、100冊競争が開幕してしまったのでした。


そこで出会った「11ぴきのねこ」シリーズや「こまったさん」「わかったさん」シリーズは、後年まで記憶に残る印象的な作品たち。

シリーズ全制覇(しかもフェアプレイ精神を発揮して、借りた冊数稼ぎだけせずちゃんと全部読む)して100冊までの道のりを歩むのに、大変お世話になりました。

私の貸し出し記録100数冊のうち、30冊くらいは「こまったさん」と「わかったさん」です(笑)。


結局「最初に100冊読んだ人」の座はクラスメイトに持っていかれてしまいましたが、今度は「みんなで100冊読もう」に目標がスイッチし、私ものろのろと100冊を達成。

そのころには私の読書嫌いも軽減したうえ、親友から「読めない漢字は意味を推測しながら読む」という画期的な(!)読書術を教わったこともあり、私はすっかりひとりで読むことのうまみを知っていたのでした。


当時はありとあらゆる滅茶苦茶をしたので、当時を知る人々には恥ずかしくてとても会えませんが、振り返ればあの5人クラスは精神性と文化感度が高く、日本の学校とは違うベクトルでおもしろい体験ができたと思います。

濃い人間関係と軽いフットワークの中でいろんなことができました。
ふつうの1年生ではありえない頻度で調理実習をしたような記憶があります。おもしろかった。


ひとりで本を読むたびに、読めるようになったきっかけをふと思い出して、心がなごんだりするのです。



画像はPixabayからお借りしています。

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