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人に相談できない僕たちは、自分で自分を救うことにした。

人に悩みを打ち明けるのが苦手だ。

これまで、そうすることによってこうむってきた不利益が利益を上回っているからだと思う。

人に話すというのは、相手の時間を使わせてもらうこと。
自己肯定感の低さから「僕たちなんかの悩み相談で人の時間を奪うなんて」と遠慮してしまう。

それになにより、悩みは弱みになりうる。
人に弱みを見せたくない、握られたくない。
相手を信頼しようと決めて、最後の頼みとまで思いつめて、ありったけの勇気をかき集めて相談したのに受け入れられなかった、むしろ傷つくような言葉を投げかけられた傷はあまりに深い。

心を開いて傷つけられた経験が重なるほど、心を開けなくなっていく。

それで僕たちは、自分で自分を救うことにした。

第1段階 気持ちを体の外に出す

思考の中で行きつ戻りつし、ぐちゃぐちゃと止まらない思いつきや自己批判や願いや悩みを、紙に書きだしている。

初めて切実な思いでやり始めたのは主が中学2年生か3年生くらいの時。
受験のストレス、今後の人生への不安、学校での悩み、考えていること等々を思いつくまま書いた。
あえてノートは分けない。卒業までにノートは7冊にもなった。
今ならSNSの裏垢に上げるとか、スマホのメモ機能を利用するとか、紙とペンを使う以外にも様々な方法があると思う。

悩みを紙の上に吐き「出す」ことで悩みと思考に一覧性が生まれて、浴槽の栓を抜いた時みたいに思考が紙の上という出口に流れ出す。
人に「話す」ことは気持ちを「手放す」のと同じことだと言われるように、紙に向かって書き「出す」ことも、自分の体の中から悩みを排出することだ。

とりとめのなかった思考の流れは文字として書き留められ、流れていかない。
後から見直して客観的に自己分析することさえ可能になる。まあ書きだした時点で気分が落ち着くことも多いのだけれど。冷静さを得られるのは強い。

とはいえ、書き出した思考はしょせん自分のうつしみだ。鏡に映った自分と対話しつづけてもいずれ行き詰る瞬間がくる。
僕たちはそのせいで危うく自分を殺しかけた。

そこで第2の段階に進む必要が生じる。

第2段階 外から情報を集める

僕の最大の相談相手は本、書籍だった。

娯楽のために小説を読むのでも、漠然と新しい知識を得るために読むのでもない。
目的をもって本を探し始めたのは高校2年生の時だった。

当時僕たちは進路に悩みを抱えていて、自分が進もうとしている道が正しいかどうかわかりかねていた。

(自称)進学校には大学に進もうとする級友たちと、入学試験を見据えて組まれたカリキュラムと、「みんな大学に進むものだ」という雰囲気が充満していたから。
そんな中で僕たちは進学せず、小説家として食っていこうと道を探っていた。

それまで一緒に自己啓発やスピリチュアル系の本を読んで「心の声に従おう」とか話し合っていた親ですら「それこれとは別。大学には行った方が」などと言い出したので本当に味方がいなかった。
当時の僕たちの心は大学を志向していなかった。

そういうわけで大学→就職→結婚→出産云々という流れによらない、多様な生き方をしている人たちを本の中に見つけようとしたのだ。

僕たちは読んだ。

部活の先輩に薦められた『ニートの歩き方』を。

古本屋で偶然目に留まった『15歳から、社長になれる』を。

同じ著者の『こんな僕でも社長になれた』を。

学校の図書館にあった、いろんな働き方と人生にまつわる本を。
読んで、読んで、読んだ。

不思議なもので、悩みを持って書棚のあいだをぶらついていると、その時の自分に刺さる本の背表紙と目が合うものなのだ。


そして無数の本のおかげで視野が広がりつつあった僕たちは、唐突な気づきを得た。

僕の周りには「大学に行こうとしている人」か「大学に行ったことのある人」しかいない。

両親はともに教職系(つまり大卒)で、級友たちは進学先を検討中。
そして高校で働く先生たちは、教職員であるからには大卒である(教員免許を取るためには高校より上の学校に行く必要があるので)

だから僕たちは行き詰りを感じていたのだった。
多様な人生は目に見える範囲ではなく、本の中にあった。
逆に本から顔を上げた僕の周りには「大学に行かなかった可能性」を選ばなかった人たちこそがいたのだ。

「心の声に従っていい」ことも「大学に行かなくても/有名大学を中退してニートになっても楽しく生きられる人生の存在」も、全部本が教えてくれた。
僕は人に相談する代わりに本に支えられて進路を決めたし、この道で本当に良かったと思っている。


そしてこれは余談だが、本によって僕が自信をつけた後、高校の先生たちの中にも大学→教員ではない道を経験したことがある先生が何人かいたことを知った。

一般企業に就職したけれど、やっぱり先生がやりたくて大学に入り直した人と知り合うことができたのだ。

手放しで「大学に行かなくても、いいんじゃない?」と言われたわけではないけれど、「教師は大学を薦めるものだ」という思いこみを打破するきっかけになってとてもありがたい出会いだった。

第3段階 本当は自分のやりたいことを最初から知っていた

模試の成績が及ばなくても、この高校を受験する。

人生のどこかで高卒であることが不利に働いてもいいから、大学に行かない。

進路はじめ人生のいろんな決断を振り返ると、思うことがある。

僕たちは最初から、この決断を心の奥底に持ち続けていたのではないか、と。

決意を表明できなかったのは、自分に自信がなかったから。
無数の選択肢の中からどれかを「選ぶ」ということは、同時に他のすべてを「選ばない」ということだ。

もしも選ばなかった方がベターだったとしたら、取り返しがつかなくなるのではないか。潜在的にそれを恐れていたのだと思う。

僕たちが選ぼうとしているこれは逃げや甘えなのではないかとか、内在化された「こうすべき」「こう生きるべき」から外れてはいけないとか、周りに賛成してくれる人がいなくて不安だとか……。

様々な理由が重なって、自分で自分を支え切れていなかった。でも本当は、答えは最初から自分が持っていたのだ。

人は他人の在り方に向かって様々なことを言う。
けれど誰も、僕たちの喜びや葛藤や後悔に対して責任を取ってはくれない。口を出して終わりだ。

僕にとってはノートに書きだして自分を客観視し、本によって決意を裏付けることが助けになった。今でも同じ方法をやり続けて生きている。

それでも何かを「選ぶ」たびに何かを「選ばない」選択をしなければならない。
選択と決断から逃れられないのなら、すべての批判と反対を振り切って、自分の思った方を取れば良いんじゃないか。

死ぬ時に最も後悔するのは、「やったこと」より「やらなかったこと」とも言うじゃないか。

だから自分が「こうしたい」と思ったことが、自分にとっての正解なんだと思う。
周りに賛成し、応援してくれる人がいなかったとしても、構わない。自分のそばに最後までいるのは自分だから。自分以外にありえないから。

自分が堂々と立つために必要なものはすべて使おう。決意に裏付けが必要なら、探しまくろう。全力をかけて自分の「この生き方がいい」を取りに行く、それがすべての根源にある選択なのかもしれない。



Jessie


参考文献

ひとりキャンプに行く身軽で自由な先輩が、それとなく進路の話題を出した時に薦めてくれた本。
深い話まではしなかったが、持論を押し付けることもなくただ本を紹介してくれた距離感に感謝しかない。
京大に入ったのにニートとして生きているという「もったいない」と言われそうな道は、しょっぱなから僕たちの固定概念を気持ちよくぶっ壊してくれた。

古本屋で偶然目についた1冊。思えばあれはきっと運命だ。
著者の家入さんの優しく飾らない語り口とかわいいイラスト、来歴にとても励まされた。

上の『15歳から、社長になれる』で家入さんをもっと知りたくなり読んだ本。この本に出会うまで、「逃げ」は僕にとって決定的な敗北と死を意味した。でもそれは自分を追い詰めすぎだった。
「逃げるは恥だが役に立つ」が放送される数年前の出来事。僕の世界に革命を起こした本だ。

家入さんが始めたという理由で、ペパボ、CAMP FIRE、ろりぽっぷが好きである。

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