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僕の興味関心は、誰かの無関心【僕とパーツの人生紀行】

僕たちパーツはひとつの体に同居していながら、性別も性格も興味関心の方向も、まったくもって違っている。

例えば僕は、育児や保育系の本を読むことが好きだ。インテリアに大したこだわりはなく、無難なデザインで、問題なく使えればそれでいい。

一方「パニック少年」は僕と同じ本を、子ども目線や、主が子どもだった頃の記憶と比較しながら読む。ままごとセットを中心に、おもちゃも好きだ。いつか和室の隅におもちゃを飾る棚を置きたいと思っている。

↓たとえばこういうの

「繊細」は断捨離、ライフスタイル系の本を好んで読む。丁寧な職人の仕事で作られたモノが好きで、燕三条の琺瑯製品が欲しいと思っている。インテリアに並々ならぬこだわりがあって、特に北欧風の、モノが少なくてナチュラルな空間が好きだ。

「監理者」はビジネス書を愛読している。お洒落な文房具、ブルックリンスタイルやインダストリアル系のインテリア、デスク周辺を格好良く片付けるツールが大好きだ。

他にも、本はあまり読まないパーツ、建築に興味があるパーツなど、僕たちはまったくばらばらな方を向いている。


そうすると不思議なことが起こる。

誰かがより強く表に出ている時、あるいは「ブレンド化」している時、自分の持ち物のなかに「どうでもいい」ものが発生するのだ。


僕の目にはビジネス書が「興味のないもの」として映るし、おもちゃは単なる「かわいらしいもの」だが、手元に置きたいと思うことはない。眺めれば満足だ。

「パニック少年」にとってはビジネス書とかっこいい文房具こそが「興味のないもの」である。おもちゃがたくさん置いてあるのが好きだから、なんでも断捨離されそうになるのは困る。

「繊細」にとって育児系の本は「少し興味の外にあるもの」だ。

同じように監理者にとっては、育児系の本も、職人技のモノたちも興味の外にあるものである。


主はこんまり師匠の「ときめく片づけ」を実践しているから、主の部屋にはときめくものしか置かれていないはず。

ところが上のように、パーツたちによって「自分がときめくもの」と「他のパーツがときめいているもの」(自分は興味がないけど、表が入れ替わったら手元に置いておきたいと思うもの)があらわれる。

特に主の本棚はジャンルがバラバラだし、インテリアのテイストを誰に寄せようか決め切れず、日によって家具に愛着を持ったり、買い替えを検討したりする。(実行したことはない)

以前の主にはブレンド化の自覚がなく、
「昨日まであんなに熱中して読んでいたのに、どうして今日はこの本に興味が持てないんだろう」とか
「どうしてこんなに幅広い系統のテイストが好きなんだろう、部屋がカオスになる」
などと困惑していた。

今はこの状態に理由が見つかって納得している。対処法は模索中だ。

人は未知のものを恐れるが、理由や相手の事情を理解すれば、すんなり受け入れられることもあるのかもしれない。

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