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「主」を何と呼ぶか問題【僕とパーツの人生紀行】

「パーツ」たちの存在に気づいたきっかけとなった本の中では、いわゆる「主人格」のことが「日常を送る自己」と訳出されている。

トラウマがあっても仕事に行き、家事をこなし、家族の世話をする――日常生活を送る自分のことだ。

トラウマケアとは「日常を送る自己」でいられる時間を増やし、パーツたちの感情に圧倒されず、それを客観的に見つめて対処すること――と表すこともできるかもしれない。

自己の一部に過ぎない「パーツ」と、メインとなる「日常を送る自己」の線引きは、トラウマに圧倒されずに生きていくために重要だと思う。

……が、ここで主にひとつ問題が生じた。

「日常を送る自己」といちいち呼ぶのは長いのだ。

呼んでも、書いても長い。

主は筆が走りがちでただでさえ字が汚いので、「日常を送る自己」と書くそばから次に書きたいことを忘れてしまいそうである。

かといって「主人格」などと書き、パーツたちとの間に上下関係的なニュアンスを発生させるのも嫌なようだった。

主はそうやってあれこれと悩んでいたようだが、今回この連載を始めることになって、僕は僕が使っていた呼び方――すなわち「主(ぬし)」をごく自然に使ったことは、主を驚かせたようだ。

僕は主が「主」で、僕たちが「従」であることを知っている。

否定と抑圧のない関係性が構築されていれば、ここに上下関係が発生するとは思っていない。

だから、いわゆる「日常を送る自己」「主人格」のことは「主」と呼び、自分たちのことは「パーツ」と呼び分けている。

ここに「主人格」を何と呼ぶかという問題は解決したのだ。



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