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バルベルデの悪魔          愛国者学園物語90

 美鈴はかつて青年海外協力隊の一員として、南米のバルベルデ共和国に滞在し、管理栄養士として、現地の人々への栄養指導などを行っていた。そんな彼女は現地の人々と交流するうちに、かの国の歴史を深く知ることになった。それは、一般的に知られていることとはだいぶ異なる、そして、はるかに苦い現実だった。

 美鈴はバルベルデの日本大使館で出会った、マイケル・ゴンザレス米空軍中将と、その親友ジェフ・ラトレイユのお眼鏡にかなって、ホライズン・メディアに入社した。そして、ファニー・ミン・ジョフロワと協力して「私はルイーズ事件」を出版し、世の中に知られるようになった。その次の仕事が、「バルベルデ のジャングルにて」の出版だったわけだ。

 美鈴はあの本に、あの国での楽しい思い出だけではなく、バルベルデ人たちの対立についても盛り込んだ。あの国では、ジャングルを開発せよと叫ぶグループと、自然保護派の激しい衝突で、少なくない人々が@された。そういう話が形を変えて、シュワルツェネッガー主演の映画「プレデター」に影響を与えたらしい。実際の出来事を、エイリアンと特殊部隊に置き換えて制作したという噂がある……。

 美鈴はそのような話に、ページを割いたのだけれども、その章は不評だった。それを読んだある芸能人が残酷だ、面白くないなどと言ってけなしたので、彼女のファンたちがそれをあちこちにリツイートして広めたこともあった。それを知った桃子叔母は怒ったが。
「美鈴さん」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事を」
「心はバルベルデ に飛んでいたかな」
「いえいえ」


「あの残酷な話を書いたのは大変だったと思うけど、あの国の理解には必要だと思うよ。あれを批判した@@@@@は漫画ばっかり読んでいる馬鹿なんだろう。そんな奴がどうして、美鈴さんの本を読むんだ? あのコメントもどうせ、アクセス数稼ぎのためのやらせだろう。あんな奴の言うことなんか真に受けないほうがいいよ」
「ええ」

美鈴には、自然保護を主張する人間が、敵対者を@すなんて信じられなかった。だが、両者の激しい対立には様々な問題が絡んでいた。美鈴はそれを詳しく書きたかったが、編集者から「楽しい話題」に集中するよう指示され、「辛い話題」を減らさざるを得なかった。だから、今、それを話せることは彼女にとって、待ちに待った機会だった。

「例えば、開発派には親米の人間が多く、保護派には共産主義者が多かったのです。貧しかったバルベルデには、共産主義政権を求める国民たちがいました。それは、まさに世界の縮図であり、米ソ冷戦の構図がそのままこの国にありました。自由主義対共産主義の激突は朝鮮半島、南北ベトナム、それに東西両ドイツなど世界各地で起きていましたが、それがバルベルデでも火花を散らしていたのです。そして、その結果はおぞましいものでした」

 「バルベルデの共産化を恐れた米国は、米陸軍特殊部隊、通称グリーン・ベレーをこの国に送り込みました。数多い隊員の中から、バルベルデ人が親近感を抱くよう、ヒスパニックで、スペイン語話者の隊員が選ばれました。彼らはバルベルデ軍の軍事支援を担当するという名目で派遣されましたが、実際は、彼ら自身が対ゲリラ戦や対共産主義作戦、心理戦争を展開したのです。また、この国の米軍基地から、米軍とCIA(米・中央情報局)のグループが周辺国へと出撃し、数々の秘密作戦を行いました。


 チリやアルゼンチンの軍事政権は悪名高かったので、その監視にはこの国を拠点にするのが好都合だったと言われています。当時の作戦のいくつかは、米国の情報公開制度で明らかになったものの、大半は今も機密扱いです。私はある作戦の資料を入手したことがありますが、資料は黒塗りだらけで、これといった情報は得られませんでした。

 米国はバルベルデでも、ベトナムと同じようなことをしていたわけです。それで、この小国に似つかわしくない、米軍の大部隊が駐屯することになり、基地周辺の街は降って沸いた米軍景気で賑わいました。また、米国は軍事支援だけではなく、この国に親米政権を樹立させて、共産主義勢力を一掃したつもりでした」

 「ですが、美しい自然に囲まれた南米の小国には、大きな火種が残っていました。それが宗教です。バルベルデに持ち込まれたキリスト教と、先住民の原始宗教の対立は、何百年も前から続くものでしたが、それが20世紀に火を吹くとは、誰も予想出来なかったと思います」

 「数百年前、スペインから来た、キリスト教カトリックの宣教師たちは熱心でした。彼らは未開の部族を教化すると称して、ジャングルの奥深くにまで入り込んだんです。そして布教活動を繰り広げたものの、長年崇めてきた神を簡単に捨てるほど、バルベルデの先住民たちは愚かではありませんでした。お互いの感情の行き違いが、小競り合いになり、ときには@者が出ました」

 「その報復と称して、スペイン軍が先住民の村を攻撃し、多くの@傷者を出すほどの出来事になりました。でも、本当の悲惨はこれからでした。軍人たちの体についていたウイルスや細菌が広まったのです。それが原因で、そういうものに抵抗力がない先住民たちは、あっという間に倒れ、多くの人が@にました。

 彼らが大きな犠牲を出したことを知ったスペイン人たちの反応は様々でした。ある者は先住民を馬鹿にし、ある者は良心の呵責を感じ、布教を諦めたんです。そのような衝突と疫病流行の繰り返しは他の国でも頻発していたので、宣教師たちは方法を変え、時間をかけて、布教活動をすることになったそうです」


 「そして、20世紀後半になりました。悪名高いフェルナンド・ガルシア中佐が、バルベルデに大事件を引き起こしたのです。

 『笑顔の悪魔』ことガルシアは、1956年に、県会議員の息子として生まれました。父親は男尊女卑的、白人至上主義的な言動が多く、それがガルシアの精神的成長に大きく影響したという説があります。彼は粗暴な若者として育ちました。ハンティングに行くと、面白半分に動物を撃ち殺すので、父親すら彼に手を焼いたそうです。それに加えて、彼は、先住民の血筋の人間を侮辱することを楽しんでいたと語る人々もいました。

 父親はそういう息子の気性を変えようと、キリスト教カトリックの精神を息子に叩き込みました。その甲斐あって、少年は神への愛を熱心に語る若者に変身し、父親は満足したそうです。表向きの彼は頭が良い好青年で、女子学生の人気も高く、誰も彼を疑いませんでした。父親譲りの巧みな弁舌もあり、彼の周囲には多くの若者が集まりました。そういう二面性、表向きは人気者だけれど、裏では暴力的な性格が、あの大事件を悲惨なものにしたことは間違いないでしょう」

 「18歳になったガルシアは首都の大学に進学して、政治学を専攻したから、いずれ父親の跡を継ぐのだろうと思われていました。彼は勉強以外にも、水泳とハンティングに情熱を注ぐ日々を送っています。しかし、大学2年生のとき、先住民を面白半分に撃ったという疑惑が持ち上がり、警察の捜査を受けました。刑事に尋問される間、ガルシアは首にかけた十字架を触りながら、いらいらしていたと記録されています。父親が警察に圧力をかけたせいか、疑いは晴れたものの、疑惑の真相はわかっていません。

 その後、父親は彼をイスラエルに行かせました。キリスト教の聖地エルサレムや、キリスト生誕の地ベツレヘムなどを見るためです。聖地を巡った彼は、以前のような活気は影を潜め、静かで素敵な笑顔をたたえる青年になったと言われています。しかし、ある人は、彼がキリスト教によりのめり込み、エルサレムの帰属をめぐって対立する、パレスチナに対して、ひどい言葉を浴びせたのを目撃しました。彼はキリスト教過激派だと、その人物は述べたそうですが、誰もそれを信じませんでした」

 「ガルシアは、大学卒業後、バルベルデ陸軍に入隊しました。士官学校でも、その後も、軍人としての彼の勤務成績は良かったので、彼は陸軍の特殊部隊であるレンジャー・スカウトの一員になることを夢見るようになり、周囲の人間も、それが実現するだろうと思っていたそうです。

 入隊後3年が経ち、特殊部隊選抜課程に応募出来るようになったので、彼は挑戦しましたが、思わぬ現実が彼を待ち構えていました。ガルシアに、精神鑑定で問題ありの判定が下されたのです。彼には、テストの結果に問題があったとだけ伝えられ、特殊部隊の一員になる夢は消えました。予想外の出来事に彼は打ちのめされました。それは彼の25年の人生で初めての挫折でした……」

続く

これは小説です。

バルベルデは映画「プレデター」「コマンドー」などに登場する架空の国です。私はそれらをもとに、自分のアイデアを盛り込んで、この文を書きました。 


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