見出し画像

最も重要なこと、「愛国者学園物語」

 私がこの小説「愛国者学園物語」で主張したいこと、それは、日本人至上主義と、子供たちへの愛国心教育に対する疑問である。それを語るために、愛国者学園という架空の学校を舞台に、それに関わる人間たちを登場人物にして小説を書こうと試みているのだ。

 私がここでいう「日本人至上主義」とは、自分たち日本人と日本文化を最上のものとし、外国人や他国の文化を見下す言動のこと。そのなかでも特に、神道と皇室を絶対的な存在として崇拝し、それらに疑問を持つことを許さないこと。そして、特定の愛国的感情、つまり愛国心を他者に強要することである。

 私は今の日本社会を自分なりに観察して、この「日本人至上主義」や「日本人至上主義者」が、日本社会に少なからず存在していることに気がついた。日本人や日本文化を過度に賛美し、外国人や海外の文化を侮辱するその態度は、多文化で多様な社会を大切にする21世紀の価値観とは正反対だ。そのような主義や主義の支持者たちは男尊女卑で、反LGBTQでもある。だが、日本人至上主義に疑問を持つ、あるいは、それを報道するという動きは日本社会にほとんど感じられない。

 誤解のないように付け加えたい。
私は神道そのものには反対はしない。私は宗教活動をほとんどしない人間だが、神道も仏教もそのほかの主要宗教もその存在に反対しない。私が反対するのは、特に日本古来の神道を過度に賛美し、他人に強制することや、靖国神社のような特定の神社に参拝しなければ、まともな日本人ではない、などという排他的な考えだ。

 また、私は皇室の存在に賛成している。私は「彼ら」が日本の文化を受け継いできたという意味で、皇族が日本文化の保護者、あるいは継承者だと思い、その存在を好ましく思っている。では、私が反対することは何か。それは、不敬罪の復活のような、皇室に疑問を持つ言動への弾圧、それに、国民に皇室への敬意を強制することである。

 そして、愛国心について。私は、それ自身をおかしなものだとは思わない。しかし、日本人にとっての愛国心とは、祖国日本を海外の侵略者から守る軍事的な精神、そして、美しい祖国を愛する郷土愛の2つではないだろうか。私が「恐れる」のは、21世紀の日本で、軍事的な精神だけが過剰に評価されることだ。その結果は、徴兵制度の復活であろう。日本の保守的な人たちには、徴兵制の復活を主張する者が少なくない。学者にも政治家にもそういう人たちはいる。

 大量破壊兵器がこれだけ発達した今の時代に、兵士の数を増やせば戦争に勝てると思い込むのは、馬鹿げていよう。徴兵された人間たちがいかに頑張っても、核ミサイル一発には敵わないのだ。それがわからないほど、21世紀の日本人は愚かなのだろうか?

 また郷土愛と言っても、それが具体的に何を表すのか。あるいは、子供たちに何を教えるのかは、社会で充分な議論がされているとは私は思わない。どうせ、昔の偉人の自慢話を延々と読むか、それを暗記させるだけではないのか? あるいは、明治時代の戦争の話、日本海軍がバルチック艦隊を撃破したとか、そういう話で、いかに日本人が素晴らしいか、自己陶酔するだけだろう。

 では、これらの話題がどうして学園物の小説になるのか。それは、日本人至上主義を土台にして愛国者学園が成り立っているからだ。愛国者学園は、国際協調と社会の多様性を守るためではなく、日本人至上主義を叫ぶ人間を育てるための学園なのである。

 私はこれらの問題に、小説という形で自分なりの反論を試みる。お時間があるときに目を通していただければ、うれしい。

大川光夫です。スキを押してくださった方々、フォロワーになってくれたみなさん、感謝します。もちろん、読んでくださる皆さんにも。