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静かな墓苑 愛国者学園物語 111

 二人はしばらく黙っていたが、美鈴が先に氷を割った。

 「靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑には、大きな『差』がありますね。広大な敷地を持つ靖国神社は観光客や修学旅行生も多く訪問するせいか駐車場も広く土産物店や食堂などもありますけど、個人の庭のような千鳥ヶ淵は寂れた(さびれた)感じがします。宗教施設である靖国神社が祀る戦没者は神として崇められる人ですが、無宗教施設である千鳥ヶ淵に眠る無名戦没者はそうではありません。それに、靖国神社では『みたままつり』などのイベントが多いですね。神に奉納するから祭りも多いのかもしれません。千鳥ヶ淵ではイベントというか式典はあっても、靖国神社ほどではなさそうです。

 

 靖国神社では、境内で戦没兵士の遺書などを展示し、彼らがいかに素晴らしい人間であったかを参拝者に伝えようしています。日本に残された家族を思い、妻に子供たちのことを頼み、祖国のために戦うなどと書かれていました。一見、立派な文章だと思えました。でも、ああいう場所で展示するのですから、特別に出来の良い文章を選び、戦没者たちが立派な人だと参拝者に示す意図があるのかもしれません。靖国神社に限らず、政治的、宗教的、軍事的な目的で人を賛美する言動には、どのような意図がその背後にあるのか考える必要があります。「素晴らしい」「立派だ」「見事だ」「後世にまで伝えたい」という言葉を鵜呑みには出来ません。最後に付け加えますが、私には戦没者を馬鹿にする気持ちは一切ありません。ただ、遊就館という博物館の展示について、意見を述べているだけです。

 また、遊就館の展示には、彼らは素晴らしい人間だったのに、戦争で命を奪われた。だから、悪いのは敵だ。そんな主張が根底にあるように私には感じられました。それに、東京裁判で裁かれた政治家たちは「昭和受難者」という肩書きで展示され、紹介されています。それはまるで彼らが無罪なのに、外国のせいで処刑され受難した不幸な人々かのようです。そういう展示を見ていると、彼らを讃える靖国神社がいかに素晴らしい神社か、ここに神として祀られている人々がいかに立派な人々か、そういう気持ちに『なる』か『させられる』。そう感じました。

従って、靖国は護国の神々の聖地で、千鳥ヶ淵はほとんど展示がない無名者の墓。だから、行く価値もない。複数の日本人至上主義者たちがそう主張する文を私は見たことがあります。それどころか、誰も行かないような千鳥ケ淵の墓苑を潰して、戦没者を靖国神社に合祀しろと言う意見まであるんです」
美鈴はチューハイを一口飲んだ。

 「千鳥ヶ淵戦没者墓苑にはわずかな展示物と昭和天皇と上皇陛下の詩、御製(ぎょせい)の石碑があるだけで、無名戦没者の生き様を後世に伝えるような博物館はありません。その公式Webページは、靖国神社のものと比較すると、だいぶ簡素な作りです。それに驚くべき話が2つありました。ひとつは、あるタイ人が墓苑の英語版Webページを自費で作成して公開しているという話です。墓苑を管理する環境省や遺骨を収集する厚生労働省は、その人にきちんとお礼をするか感謝の意を示したのでしょうか。
もうひとつは深刻な話でした。墓苑の奉仕会会長の話がそのWebページに出ていたのですが、奉仕会の会員や、墓苑に足を運ぶ参拝者の数が年々減っていると言うのです。戦没者の家族も高齢化していることもその原因の一つだとか。靖国神社に祀られている戦没者の家族も同じ状況にあると思いますが、どうしてこうも違うのでしょう」

 西田は初めて口を挟んだ。
「人の集まり方が違うと?」
「ええ。靖国神社は明治天皇が関わっているから、今も人が集まるのか、それとも、戦没者の生き様の展示が人を呼ぶのでしょうか。祖国のために命を捧げた英雄たちだから、人々の関心をひくのかしら。墓苑は無名戦没者の墓だから、無名の人間に関心を持つ人は少ないのでしょうか。こんな違いを口にしたところで、社会は何も変わりはしませんが、やはり気になります」
「はっきりおっしゃい。貴女が話すことは、私たちだけの秘密だ」

 美鈴はためらった。
「……同じ戦没者なのに、どうしてこうも扱いが違うのでしょう? 宗教が関わらないと、戦没者は立派な人として扱いを受けられないのでしょうか。どうして墓苑は寂れているのでしょう。それは墓苑が無宗教の場所だからでしょうか?」

「こういう答えが良いか分からないが言おう。人生は理不尽なものだ。不平等が当たり前だ、と言ったら、美鈴さんは怒るだろうね?」

「いいえ」
弱々しい答えだった。


「それは私の言葉じゃないんだ。ケネディ大統領の言葉だよ」
「え?」

「彼が大統領の座にあった時、ある記者がこういう質問した。
今、ベトナムでは米軍とベトナム人の間で激しい戦闘が起きている。それなのに、西ドイツに派遣された米軍人たちは戦闘とは無縁の日々を送っている、大統領はこれをどう思いますか? 
ケネディの答えは簡単だった。
Life is not fair. 人生は不平等なものだ。
それだけだった。記者たちは何も言い返せなかったそうだ。


それはともかく、私は貴女とは意見が異なる」
美鈴の心が硬くなった。

「たしかに、千鳥ケ淵戦没者墓苑は大きくはない。だけど、皇居の目の前にある。そういう意味では、貴重な場所にある墓苑だね。
それに、歴代の天皇の御製だっけ? 歌の石碑もある。
加えて、毎年、皇族方が参加される式典も開催されている。
総理大臣をはじめ、大臣たちも足を運んで花を備えている。
自衛隊の隊員たちも式典に参加するし、子供たちの合唱団による歌も披露されている。
訪問者が座ることが出来る東屋(あずまや)には、ここを訪問した政治家たちや、皇族の写真が飾られていた。立派な生花を飾るスペースもあったよ……。
決して、侘しい場所でもないし、戦没者たちは見捨てられたとも思えない

神社や寺のように宗教的に飾り立てる必要はないよ。静かな墓苑でいいんだよ。千鳥ケ淵戦没者墓苑は無宗教の施設で、宗教に関わらず、無名の戦没者を受け入れる場所なのだから。管理人だってちゃんといるし、草木はちゃんと手入れがされている。寂れてはいないと思うが?」

「ええ」
「あなたを責めているわけじゃない、それはわかってね。靖国神社と千鳥ヶ淵の墓苑を比較するだけ、エネルギーの無駄だ。施設の成り立ちや性質が異なるのだから。靖国神社には愛国者学園の子供たちのような熱狂的な『ファン』がいるから良い場所で、千鳥ヶ淵にはそういう人たちがいないから、悪い場所だ。そんなことを言う人間がいたとしたら、貴女はそれに同意するの?
「いいえ」
「そうでしょう? どちらが良い悪い、公平だ、不公平だの問題ではない。ケネディの言葉を絡めて、戦没者のことを言うのは変だったかもしれないが……。今日の私は頭がうまく回ってないな」
「いえ」
美鈴は顔を上げて答えた。
「付け加えるけど、遊就館は、国家のために命を捧げた『偉人』たちの博物館だよね。靖国神社がそういう偉人たちを神として祀る宗教施設なのだからね。偉人たちの館なのだから、『戦争の問題点』なんか展示は出来ないでしょ? それに、もし、旧日本軍の問題点ばかり展示している博物館がオープンしたら、関係者たちはあっという間に@@@@@じゃないの」

 美鈴の顔が怒りに包まれたのをそのままにして、西田は話を続けた。
「遊就館の展示のように英雄たち、神社が祀っている神々のお顔の写真ばかりを見るのは、良くないと思う。

 日本の戦争の歴史において、特に酷い史実を忘れてしまいそうだから。自爆作戦である、神風特攻隊、特攻潜水艦回天を考えた人間たち。膨大な人間たちを戦場で死なせた指揮官たち、特に、兵士たちに充分な食料も医薬品も与えずに餓死させた連中。それに、沖縄のひめゆりの少女たちや鉄血勤皇隊(てっけつきんのうたい)のように、子供を戦場に駆り出した人間たちのことを忘れてしまう。


 それらをどこか1つの博物館だけで展示し伝えることは無理だとしても、それを伝え、教訓にすることは大切だよね。そこで、美鈴さんのようなジャーナリストの出番なんじゃないの? 貴女がその怒りや疑問を書いて公表すればいいのだ、違いますか?」
美鈴の表情は暗かった。

続く

写真は今年6月下旬に私がiPhoneで撮影したもの。千鳥ヶ淵戦没者墓苑の話で、あるタイ人が英文のウェブページを作って公開していることと、参拝者などの数が減少していることについては、墓苑のウェブページからその話を得ました。

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