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図書館の本を破壊しないで 切り取りなどの迷惑行為に反対

 

図書館の本のページを切り取ったり、書き込みをするなど、本を破壊する人々が少なくない数、世の中にいる。

そのような話は驚きではあるが、現実に起きていることだ。それも、日本各地の図書館で頻繁に起きているのである。各地の図書館のホームページを調べてみると、図書館の司書たちがそのような破壊行為に頭を悩ませていることがわかる。それは公共物の破壊、かつ、他の利用者のことを忘れた自己中心的な迷惑行為だが、どうして、そのようなことが数多く起こるのだろうか。

 私が初めてそのような事例に接したのは、

中学生のとき

だった。私はよく放課後に、図書館の立ち入り禁止コーナーに入って、そこにある本を眺めるのが好きだった。もちろん、司書の先生の許可をもらってのことだが。そんなある日のこと。私は偶然手に取った宇宙に関する本をめくっていたら、異変に気がついた。某ページが切り取られていたのだ。そういう物を初めて目の当たりにして困惑した私は、その本を持って受付カウンターに行き、司書の先生を呼び出した。そして、そのページを見せると、先生は今までにない表情を見せたのだった。あの悲しそうな顔は一昔前のことだから薄れてはいるが、今も私の心にある。一体誰がなぜそのようなことをしたのか、切り取られたページには何が印刷されていたのか、わからない。

 切り取りだけではない。あれは

大学生の時

、図書館で人体の生物学に関する本を調べていた時のことだ。臓器などの図解のページを見ていたら、何やら本に違和感を感じたのであった。ページが飛んでいるのである。より正確に言えば、その本の一部が何ページかなくなっていたのだった。それは違和感で気がついたのか、ページが飛んでいるから気がついたのかは、今では記憶が定かでない。それに、それなら本の落丁、つまりあるページが欠けたまま製本された可能性もあっただろう。だが、私はある情報から、それが人為的に破り取られたと結論した。それは、それらページが女性の下半身に関する部分だったのを、私は目次を調べて知ったからだ。その部分に興味を抱いた男が、そこを破り取ったので、そこだけ欠けていたのではないか。シャーロック・ホームズが好きな私はそう結論したものの、図書への破壊行為を目の当たりにして、嫌な気分になった。

 それから20年以上経って、私は

ロンドンの大学

に留学した。そして、母国語ではない英語で一生懸命レポートを書いて提出するのが、日々の課題になった。それで、参考となりうる本を探しに図書館に行ったのだが、それで驚いた。多くの本に書き込みやアンダーラインがあったからである。それらを調べると、文章の要点をまとめた箇所などに多く線があることがわかった。また、書き込みは英語とハングルと中国語と思わしき漢字、それに日本語でも書かれていた。私は日本人として、そのような行為を恥ずかしく思い、また、どこの国の人間でもそういうことをするのだと感じて、あきれてしまった。とにかく、それくらい、アンダーラインや書き込みがあちらこちらの本で見受けられたのであった。大学の図書館なのだから、社会常識をわきまえた大人たちが利用すると思いたいが、そうではなかったようだ。

 帰国した私は都内某所に落ち着き、やがて

地元の図書館

を訪ねるようになった。大きくはなくても、静かで、一通り本が揃うその図書館は滞在するだけで気持ちが良かったが、やがて、ある注意書きに目が行くようになった。それは資料の切り取りや書き込みを注意する言葉であった。ということは、この図書館では、図書の切り取り行為などがたびたびあるらしい。

 そのような破壊行為は、私の身の回りだけではない。ネットで調べると、

図書の破壊行為について多くの図書館が頭を悩ませていることがわかる。

キーワード 「図書 切り取り」「図書館 本 破りとり」などで検索すると、多くの図書館の事例が表示されたが、それらが氷山の一角だと思うと、私はめまいがしそうだ。図書の破壊行為は日本各地の図書館で珍しくないのであるから。本への書き込みや、水に濡らして本を痛めた。糊付き付せんの使用によるページの痛みなど問題行為は多いが、どうして、各地の司書を悩ませるほどの破壊行為が起きるのだろうか。我々日本人の公共マナーは恥ずかしいレベルのようだ。

 

世の中、図書感想文を書く人は無数にいる。だが、図書を傷つけないで、と世に問いかける文章を書く人間は少ないはずだ。

だから、私はその一人になろう。どうか、私たちの文化財・公共財である図書を痛めないで、と。私はそう訴えたい。

終わり

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