大好きな仕事に別れを告げた理由
昨日2021年10月21日木曜日。
私は大好きだった仕事を辞めた。
もっと極めたい、うまくなりたい、知りたい、と思える仕事だった。
率直に言おう。
嫌いな人と一緒にいたくないから辞めた。
誰かを悪く言うのは気乗りしないが、びっくりするほど幼稚な人々がそこにはいた。
私の仕事は、家具屋で家具を販売する仕事だった。
幸か不幸か、16回も引っ越し経験のある自分にはうってつけの仕事だった。
人見知りもしないし、人の話を聞くのも好きだし、人と出会うのも好きだ。
最初こそ会社のシステムを覚えるのに苦労はしたが、お客さんと過ごせば過ごすほど、楽しい時間は増えた。
「今日はちょっと下見にきたんです」
「そうなんですね!じゃあ、もう一回会えますね。笑」
そんな冗談を交わしながら、お客さんと一緒に、お客さんの次の生活を考える時間は、純粋に楽しかった。
サイズ、機能性、納期、家族との好み、ペットとの相性。
お客さんがどんな生活をしていて、どういう暮らしをしたいのか、いつお引越しで、いつまでに間に合わせたいか。
ひとつひとつ見ていくうちに、お客さんと打ち解けて、ちょっとしたこぼれ話をしてくれたりする瞬間が大好きだった。
もちろん業務は接客だけではない。
季節に合わせて売り場の展示を入れ替えたり、価格変更があればプライスを差し替えたり、細々としたこともいろいろあった。
覚えることはいっぱいあったし、
上場企業で大きな会社だっただけに、システムも複雑なことが多かった。
そういうのも含めて、接客と作業、業務そのものは楽しかった。
だから本当は、続けたかった。
もっと商品知識を増やして、他社製品のことも研究して、トータルコーディネートができるようにインテリアも勉強して・・・。
引越し経験が豊富なだけに、家のことを考えるのは苦ではなかった。
でも、人間関係でつまづいてしまった。
悩みに悩み、適応障害になってしまった。
適応障害になってしまったことは、自己責任だ。
自分の考え方、生き方の問題でそうなってしまったのだから、原因になったその人を責めることはできない。
でもでもでも。
本当は責めたい。
「あんたがもっと言い方に気をつけてくれれば!!」
「なんでもっと私を信頼してくれないんだ!!」
「失敗しちゃ悪いかよ!!」
そういう自分が、日に日に大きくなっていって、自分を潰した。
怖い思いをした、嫌な思いをした、そういうエピソードはいくつかあるが、まだ晒すには早い。
でも、格別に美味しいネタとして、私の中で熟成させるつもりだ。
めちゃくちゃおいしいネタ。
あのときは本当にどうしていいかわからないほど怖かったけど、いつか絶対どこかでネタとして披露したい。
そういう意味では、感謝だ。
私は仕事を辞めた。
嫌いな人を、やりすごすことができなくて。
心はまだ、痛い。
そして、とてもさみしい。
もうお客さんと出会えないことが。
本当に濃ゆい職場だった。
嫌いな人もいたけど、
好きな同僚、好きな社員もいっぱいいた。
どうかみなさん、お元気で。
幸せでいてください。
ひとまずのところの、追悼退職noteでした。
サポートしてくださったあなたに、私が住んできた各地でのおすすめの名店をご紹介。長野、大阪、富士。夕陽がきれいな場所か、美味しいコーヒーが飲める場所か。どれに当たるかはお楽しみです。