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全部ウソだから死んだほうがマシなのに生きている私達

全ホモサピエンスのみなさん。

私達の生きているこの世界。

実は全部ウソ。全部思い込み。ですって。


でもだからこそ今、生き残ってるんですって。私達。



サピエンス全史ってむちゃくちゃ分厚くて字ちーっちゃくて、読むのにめっちゃ時間かかる&理解に労力つかう。


けど、全私が敬愛するMr.サラタメ大先生。


超っ絶わかりやすく説明してくれて、

すぅんなりスッキリできるので、一見の価値ありだから。

まじで。見て。ホントに。うん。


でこの、信じることで生き残れた。



この生き残れたって表現。


まさに今うつ病とかなんとか精神疾患で困りまくってる人にはヒットするかどうか微妙な表現なんだけど。


死にたいってことは、死ねてないってことじゃない。


死にたいけど、死ねないから、どうにか生きていて、あわよくば生き残れたら・・・と無自覚ながら思っている状態。



そんな自分たちが、どうやって生き残っていくか。

否、どうやって死に向かっていくか、と言うべきか。


そんな我らにもうひとつ、

むぅえっちゃくちゃヒントになりそう、もっかい聞いてみよう、

って思った動画がふたつある。


もうひとつ、って言い出したのに、

ふたつあるとか言い出しちゃう自分も最高ね。


一個目はこれ。

「うそによって生き残った=思い込み力」についての動画。

もうなんかいかにも宗教的と言うか怪しげなトップ画にアレルギー出そうになるけど(鴨頭さん編集者さんごめんなさい)、この動画でも「信じればいいだけなのか」って話をしてくれてる。

でも、かもさんの動画は、元気がある程度ないと聞けないから要注意。

服薬注意。元気レベル低すぎちゃう人が見ると副作用でるから。反動。



そんでもひとつは再びサラタメさんの動画。



もうこっちは最高のトップ画をキメてくれてる。

まさにこれよね自分に必要なマインド。

マインドって言葉もアレルギー出そうになるよね。笑



『夜と霧』


私これずーっとなんかの童謡とか童話だと思って一回も手にとったことなかったんよね。


でも思い返して気付いた。

私が書店で歩き回るのって大抵、自己啓発書とか新書コーナーなんよね。

ほんとにこれが子供向けの本だったら、

私が「いつも見過ごす」なんてことは起こらない。


だって子供向けの童謡が自己啓発書コーナーとか新書コーナーにはあるなんてこと、ありえないから。ほぼ。


でもなんでこの本を知ることになったかというと、

たまたま数日前に、サラタメさんの再生リストをYouTubeのアプリにオフライン保存したんよね。車で聞けるように。

その再生リストがこれ。


上に挙げたサラタメさんの動画は、両方この再生リストに入ってるんだけど、他の要約動画もめっちゃおもしろい。興味深い。インタレスト。

オフライン保存したら無限に聞けるからぜひどうぞ。

やり方わかんない人はGoogle先生に甘えて。


そんでそんで話戻すわね。


『夜と霧』


結論はサラタメさんが言ってるとおり。

「死んだほうがマシなのに生きてみた」


この一文、ホントに的を射てると思う。


これを鬱状態的に言い換えるとこうなる。


「死んだほうがマシなのに生かされてる」


最近のはやり言葉で言えば「自分軸」か「他人軸」か。

『7つの習慣』的に言えば、「主体的かどうか」。


適応障害でも鬱でもなんでも、

なんだか突然自分のことが制御できなくなってしまった、というのは、自分で自分の人生をコントロールできないんだ、と思い込んでしまったがために発生する。(Jerry解釈ね)

もちろん無自覚でだ。

日々の小さな自分への嘘を積み重ねていくうちに、からだのほうが「もうあかん」って教えてくれる。

でも小さな嘘は、小さいのだ。

小さいから見つけにくい。

だからビョーキになったとき、そのかさぶたを一枚一枚全部治していくには時間がかかるし、そもそもの原因を探らないまま、ただただかさぶたを治療していたって、かさぶたはどんどん増えていく。


適応障害の場合、一旦職場を離れる、とか、一旦〇〇から離れる、という目にわかりやすい対処をすることで、一時的にかさぶたが増えるのを抑えることができる。


でも人によっては、脳内に残った思い込みたちが、悲しいながらも、かさぶたを作り続けてしまう。




自分を守ろうとして。



かさぶた。傷。出血。発熱。


全部体が勝手に、自分を守ろうとして自動的に起こることだ。



痛みを感じるのもソレだ。



嫌なこと、嫌いなやつ、苦手なこと。


自分を守るために、発生する感情だ。




でもそれらだって、すべて思い込みでしかない。


『夜と霧』は、ナチスドイツのホロコースト(大量虐殺)で生き残った人が書いた本だ。


毎日毎日地獄絵図の中で暮らし、そんな中で作者がどう生き残り、なおかつその中で、精神科医として後々本にすることを志し、死んでいく人と生き残る人の違いを分析し、奇跡的に出版が実現した本。


比較するもんでもないが、

今の自分と著者の当時を思えば、自分とは一体どれだけ無価値で非生産的で怠惰な存在なのだろうと落ち込む。


落ち込むがしかし。


罪深いからこそ、生きていく価値もあるのかもしれない。



集中力が切れたので脱線した。


『夜と霧』では、生き残る人と死ぬ人の違いはこう結論づけられている。


「希望を自分の中に見出すかどうか」


いつかだれかが私を救ってくれる、とか、

いつか神様が導いてくれる、とか、

自分以外の何かに救いや希望を求めていた人ほど、

死ぬ確率が高かったそうだ。



反対に、まさに著者がそれであるように、

自分の中に希望を見出す者は、生き残る確率画高かったそうだ。


著者はその惨劇を、生き抜いて本にするんだと希望にした。


地獄絵図の中、自分の主体性を定めた。



だから私に必要なことも、主体性だけなんだと思う。


「なんのために生まれてきたんだ自分は。」


なんて言ってても、一生答えは見つからない。

与えてくれる人もいない。

いたとしても、それはいなくなればおしまいだ。


「わたしはこれをする。このために生きる。」


そう決めるだけなのだ。


それがあとで違和感を覚える決意だったなら、

あとで変更したって構わない。


一度決めたこと最後までやれなんて、

巷でちょろちょろ耳にするルール、

そんなものに縛られなければいけないなんて、

誰が決めたんだ。



あんただよ。



自分なんだ。



全部。



誰かがなにか言ってきたって、

親がこうしろと言っていたからって、

それを信じたのは自分なんだ。



変えていい。


自由だ。



もういっかい思い込みし直せばいい。



改めて問おう。




お前は、何をする。




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