【鬱れぽ|特別無料版】鬱で出かけるとこうなる#018
両親とお出かけをした。鬱のまま。
両親が嫌いなわけではないが、好き嫌いがだいぶズレているし、両親は私の鬱を知ってはいるが理解しているわけではない。
長時間出かけるのは多少心もとなかったが、両親の愛情に応えようと思った。
家族のために、という言葉を打ってみて、自分の心が痛むことに気付く。
なんて偽善的なフレーズだろう。
そして自己犠牲的。
そんな偽善的で自己犠牲的で鬱な自分と、
できる限り穏便に出かけてきた成果をここに残す。
まずは今日の流れを箇条書きで。
【家族3人伊豆ドライブ行程】
・朝9時自宅を出発
・目的地も決めず、まずは南へ向かって走る
・道中先輩から誘われたZoom説法に耳だけ参加する
・1時間半くらい走ったところで道の駅「いず つきかせ」に停車
お手洗い超キレイ。
出店がひとつあって、鹿とイノシシのジビエ串焼きを食べた。
大阪出身のおばちゃんが注文してから火にかけてくれて、非常にほどよい塩加減と火加減ですごくおいしかった。
母は肉が食べられないので、鹿と猪を、父と半分ずつ食べ比べた。
鹿は牛ヒレのようなあっさり感。
猪は豚ロースぽい感じで、ちょっと臭みがあった。
個人的には鹿のほうが好きだ。
ちなみにお酒の宛で一番大好きなのは馬刺しだ。
・道の駅伊豆月ヶ瀬を出発して、国道136号沿いに土肥を目指す
・が、136号線上で大きな交通事故があったようで迂回。
・帰宅後にニュースになってた
・414号線を走って松崎町へ
・松崎町道の駅「はなのさんせいえん いずまつざき」停車
・趣ありすぎな神社を発見。参拝。
最近「大山祇命」様によくお会いする。
・お昼時だったのでそのまま「天城山房」というお店でうどんを食べる
・道の駅で目についた土肥金山を目指して再び414を走る
・途中でガソリンを入れる
・走りながら土肥と清水をつなぐ駿河湾フェリーが目につく
・母が「フェリー乗ろう」とはしゃいだので、土肥金山をサラッと通過してフェリーに乗る
・県民割引で半額乗船
・普通乗用車と大人3人で5千円くらい
・15時。土肥港出港。
・久しぶりに船で海の風を感じる。
・500円払って特上エリア?を満喫する。珈琲が1杯サービスされた。美味。
・清水まで70分。両親とも表情こそ乏しいが楽しんでいたと思う。
・知らんけど
・ひよんなことから船に乗れたことは嬉しいことだ
通常時の自分なら今日の100万倍の感度で幸せを謳うことだろう
なんせ鬱なもんだからいくらテンションが上がろうとも、冷ややかな自分が常に無表情でこちらを見ているのだ。まるで監視しているかのように。
・清水港からはShizutetsu(ちょっといいスーパー)を経由して帰路
・17時半頃帰宅
・各々片付けなどする
こういう時父は一切家事には触れない。母はそれに苛立つが言葉ではなく態度に示す。挙動が雑で暴力的になる。それが嫌で必死になって母の家事を先回りして手伝ううちに家事ができるようになった。不幸中の産物。
・翌日がゴミの日なので自室のゴミ集めと、猫のおトイレ掃除
・入浴
・夕食
・19時半自室へ
・note記録
・20時から大学の先輩と電話の予定
・だったけれどもキャパオーバーになって延期してもらう
・noteで自分と向き合う←イマココ
特別大きな喧嘩もなく、穏やかに帰ってこれて一安心。
ところどころ両親のバチッと感は癪に障った。
ちょいちょい涙がこみ上げては、両親に余計な気を使わせたくなくてどうにかして引っ込めてた。
無職なのに、なんで私、船に乗せてもらえるんだろう。
なんの役にもたってないのにどうして私、こんなに優しい両親の娘役をやらせてもらえるんだろう。
こんなに尽くしてくれる両親なのに、どうして私は鬱だなんて甘えて、無職なんかやってるんだろう。
こんなに平和な世界で、望めばなんにでもなれる、できる世界にいるのに、どうして私は生きたくないんだろう
自分の中の鬱が、常にそうやって自分を見ていた。
ひと月前に比べればだいぶ復活してきたかと思っていたけど、
やっぱりまだ鬱っぽい。
車の窓から、長い間顔を出しっぱなしにしていた。
涙もごまかせたから。
そのせいで目が痛い。
先輩との電話を断わったことは、先輩には申し訳ないが、無理に電話するほうがなにか起こりそうだったし、自分のタイミングを大事にできたのでセルフラブを褒め称える。
電話する予定だったのは、自分と似た境遇がいくつかある大好きな先輩だ。
鬱になる前はしょっちゅう電話したりZoomしたりしていた。
先輩だからもちろん気は使うけれども、
博識で社交的で、ひとつ言えば7つも8つも理解し合える間柄。
そんな先輩にも関わらず、今私は電話することを躊躇し、そして諦めてしまう。
先輩と電話することを想像して、何を言えばいいかわからないなんて、自分でも意味がわからない。
無意識でやっていたことをあえて意識的にやろうとしたらできない、みたいな状況というか。
「いつもどっちの足から歩きだしていますか?」
と聞かれたときに、
「あれ?どっちだ?自分てどうやって歩き出してたっけ?」みたいな。
厳密にはちょっと違うんだけど。
鬱の時、
私の心は、前向きな発言や考え方を拒絶する。
本当の本当にありのまま話してしまうのは、
サイコパスと思われてしまいそうですこぶる怖い。
そんな自分、人に見せたくない。
幼い頃にありのまま振る舞って、
私はさんざん人を傷つけてきた。
今でも息詰まると爆発して、
自暴自棄になって自分も他人も傷つける。
それならせめて今は、
安全な距離感を保っていたい。
今日は鬱ながらに一生懸命やれた。
自分を褒めたい。
そして抱きしめて頭を撫で回して、こう言うんだ。
「よーかったねー!!!えらいえらい!!うまくやれたじゃん!!」
幼い私、5歳位だろうか。
私は喜ぶ。
「うん!!私頑張ったよ!!無事に仲良く過ごせたし、パパもママも喜んでたと思う!!やったよ!!ほめてー!!」
きっとこうやって、
大人の自分と、
子供の自分と、
自分の中で愛していくのを繰り返していけばいいんだと思う。
そして鬱は、自分を守るATフィールドなんだと思う。
常に冷ややかな視線でじっと自分を見つめている自分は、私を心配しているから監視しているのだ。
「おい、またそうやって自分よりも他人を大事にするのか」
「おいら見てるからな。お前が必要以上に自分を犠牲にしないように。」
鬱は敵じゃないんだと思う。
だって鬱は自分が作り出したものだし。
自分を守るために。
自分を愛するために。
だから鬱は味方。
自分を守る、自分の力。
は〜。
疲れた〜。
おつかれ〜自分〜。
読んでくれたきみもおつかれ。
読んでくださったあなたもお疲れさま。
今日もゆっくり、眠れるといいね。
またここで会いましょう。
願わくば、ウチもソトも微笑んだ自分と。
サポートしてくださったあなたに、私が住んできた各地でのおすすめの名店をご紹介。長野、大阪、富士。夕陽がきれいな場所か、美味しいコーヒーが飲める場所か。どれに当たるかはお楽しみです。