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あの世に持っていけるもの

紫陽花が咲くと思い出す。
大正生まれの祖母がこの季節に亡くなって、すでに数年が経った。100歳の大往生だった。
悲しみの感情とは別に、“大きなひとつの時代が終わった”…と、そんな感覚だった。

おばあちゃんは、私が作った金の指輪をつけて旅立った。

「死んだらあの世にはなんにも持っていけないよ」
…と言う人は多い。「だから、この世でモノに執着するな」という、戒めのような意味をこめているのだろう。

でも、本当にそうだろうか。モノは、特に指輪などジュエリーというものは、人の思いを乗せることができる。モノを超えたものになり得る。
あの世にだって持っていける。

これは、そんな話。


(以下、私の祖母の葬儀エピソードが長文で続きます。このような話が苦手な方はご注意ください。)



長寿社会で100歳のお年寄りなんてもう珍しくはないのかもしれないが、祖母と会った人は皆、その闊達さに驚いていた。

病気知らずで施設に入ることもせず、介護不要で生活していた祖母。
SMAPの大ファンで、DVDを買い集めていた祖母。
亡くなる直前は軽い夏風邪をひいていて、年齢的にも念のために入院していたのだった。
風邪をこじらせたとは思えないほど、入院中も元気でよく喋り、食事もちゃんと口からとっていたのに…。
まさかまさかの訃報だった。

「きっとこのまま120歳くらいまで生きるだろう」
「日本の長寿記録更新するんじゃない?」
…などと噂されていたが、これが人の寿命というものなのだろう。


祖母のエンディングノートに記された通り、葬儀は身内だけの家族葬にした。
会館の広い和室を用意してもらい、支度からお通夜、葬儀、出棺するまでのすべてを家族とともに過ごせるのだ。この説明を聞いて、陣痛や出産、赤ちゃんとの対面、産後の処置までを移動しないでひとつの部屋で行えるLDRという産科のシステムを、私は思い出していた。


死ぬことと産まれることは、対になっている。
生と死は、同じように尊いものだ。


和室とはいえ葬儀場。冷たく寂しげな場所かと思いきや、畳のいい香りがする旅館のような部屋だった。祖母の身体は布団に寝かされ、まるで旅先でちょっとお昼寝を…といった雰囲気だ。
また、祖母は花が好きだったから、できるかぎり多くの供花を用意してもらった。勢いよく咲いた百合の花が凛々しく、その白さが眩しかった。


やがて、祖母の身支度のために納棺師の女性が来た。とても感じの良い、驚くほど手際の良い方だった。
私は『おくりびと』という映画を観ていないのだが、ご遺体の肌や下着が見えないように…当人に失礼のないように着替えさせる技など、その仕事から目が離せなかった。
なるほど、まさに旅立ちのお手伝いだ…。

素顔の祖母に死化粧を施していくのを、皆で見守る。納棺師さんは生前の顔を知らないので、遺影を見ながら再現するのだそうだ。
「もう少しだけ、眉の間を狭く描いてもらえますか?」
と私が伝えたところ、
「あ、もしよかったら、お化粧してあげてください。そのほうが喜ばれますから。」
と、メイク道具を渡してくれた。まったく予定していなかったけれど、こうして、最後のお化粧を私がしてあげることになった。それまで泣く暇もなくあれこれ用事をこなしていた私だったが、ほんのりチークをつけてあげながら、涙が止まらなかった。


最後に両手を胸の上で組ませる。
「指輪は外されますか?ちょっと抜けにくいみたいですが…」
生前と変わらない祖母の手に、18金の指輪。それは、私がジュエリー制作を始めて間もない頃に作ってあげたものだった。金をたっぷり使い、さざ波のような模様が一周しているデザインだ。

祖母の世代は結婚指輪という習慣がなかったそうだが、誰かからのプレゼントだったり自分で買ったものだったり、いつも何らかの指輪を左手薬指につけていた。
若くして未亡人となった祖母も、何か思うところがあって、お守りのように指輪をつけたかったのだろうか。
ここ15年ほどは、私が作ったものをつけっぱなしにしていた。

しかし、大きく関節が張り出していて、指輪は簡単には抜けそうもない。
「いいんです、無理に外さないで、もうそのままで…」


お通夜には思ったよりも多くの弔問客があった。祖母の実年齢を知らなかった方もいたようだ。
「そんなお年だったとはねぇ!もっとお若いとばかり思ってましたよ。」
「こりゃ綺麗なお顔やなぁ…100歳とはねぇ。昔も相当綺麗な人やったでしょう?」
お世辞だとしても、嬉しい言葉だった。私自身の手でお化粧してあげて、本当によかった。


葬儀は滞りなく終わった。
葬儀場を出たときには雨は止んでいたが、山の中腹にある火葬場は森に囲まれ、霧が立ち込めていた。
モノクロにぼやけた景色の中、あちこちで咲き乱れている紫陽花だけがやけに鮮やかだった。祖母のために咲いているのだ。

「指輪はどうされますか?」
最後のお別れのとき、火葬場の係員にも訊かれた。
いいんです、このまま持っていってもらうことにします。

そして、祖母の身体はお骨だけになった。



「こちらが喉の部分、仏様の形といわれていますが、最後に拾っていただきます。こちらが肋骨や背骨、それから…」
係員が部位を説明し、親戚縁者が交代しながら長いお箸でお骨を集めていく。
「こちらが指のお骨ですね、細いですが綺麗に残っています。」
「あぁ、長いわね。おばあちゃんは指が長かったから、お骨もそのままねぇ。」
叔母がため息と一緒に呟いた。
「胸の上で両手を組まれていましたが、火葬される間に両手が離れて広がるので、横のほうに指のお骨があるんですよ。指輪は溶けましたね。」
係員が丁寧に説明してくれる。
「ほぅ、全身よく残っているねぇ!」
叔父も感心したように言う。100歳を超えているというのに、祖母のお骨は白くしっかりとしていた。

「火葬の温度って、どのくらいですか?金の融点より、かなり高いでしょうか?」
こんな質問をする遺族は珍しいかもしれないが、私が訊ねると係員は快く答えてくれた。
「だいたい1200度ですね。」
「そうなんですね、金の融点が1000度ちょっとだから…」
「はい、他の物と一緒に燃えてバラバラになりますし、金色でもなく真っ黒になりますね。」
「じゃあ、このあたりの黒いのが金でしょう。」
私がお箸でつまんだ塊は、きっと誰が見ても金だとは分からないだろう、いびつな形の、煤けた塊だ。

「眼鏡や金歯などそのまま火葬される方はわりといらっしゃいますし、皆さんお骨と一緒に納めようと探されますが、形は残らないんですよ。」
「プラチナなら融点1700度くらいだから、形も残るんでしょうか。結婚指輪だとか…」
「そうですね、ただ結婚指輪だと皆さん形見ですから、あらかじめ外されるようですね。」

「あっ、この黒いのも金じゃない?」
従兄弟も祖母の足元あたりから小さな塊を見つけた。
「はい、おそらく金ですね。お棺の中で弾け飛ぶんですよ。」
「まあ、あちこちに飛んでるのね。」
「これもティッシュに包んでおいて!」
「宝探ししてるみたいだねぇ…」
「これ集めてもういちど何か作れるのかしら。あなたが作った指輪なんだから、あなたが持って帰るのよ。」


時間をかけてお骨を拾いながら、いつの間にか皆が笑顔になっていた。


「あぁ、こんなこと言ったらバチあたりかもしれないけど、指輪のおかげでちょっと楽しかったわ。こんなにじっくりお骨を拾ったのは初めてよ。」

私も、自分が作ったものがきっかけで、こんな経験をするなんて…思いも寄らなかった。


おばあちゃんは指輪を身につけて旅立っていった。
よかった。持っていってくれて、私も嬉しい。



※この記事は過去に ShortNoteにて公開したものに加筆修正したものです。


※追記:この記事が『今日の注目記事』にピックアップされました。
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