夏やすみ、古墳とミュシャと、装身具
子どもの頃にいた街には、歴史スポットがたくさんあった。少し足を伸ばせば、古墳や遺跡の発掘現場も多かった。
遺跡から出てきた装身具を見るのが大好きで、博物館に陳列された石の勾玉や金色の耳飾りを眺めては ため息をついていた。電車を乗り継ぎ古墳を目指して歩き、長い夏休みを過ごしていた。
「古墳女子」というワードが生まれる前から、私はれっきとした古墳女子だった。
そういえば、かの有名な『仁徳天皇陵』も今は教科書などの記載が『大仙古墳』となっているそうで、呼び方で世代がわかってしまうかもれない。
その『仁徳天皇陵・大仙古墳』がある大阪府堺市には、あまり人に知られていないおすすめスポットがある。
みんな大好き、アルフォンス・ミュシャの小さな美術館だ。
仁徳天皇陵の最寄り駅とは一駅違いの目立たないところにあり、とある年の夏休みに訪れた。
絵画に詳しくない人でも、彼の作品をどこかで一度は目にしたことがあるだろう。また、お店の看板や漫画の表紙絵など、ミュシャのスタイルを真似て描かれたものも多い。
芸術とデザイン性とを併せ持った作風だと思う。
「ミュシャ風」と誰が見ても分かるということは、単なる真似やパクりというものを超えて、それだけ身近で愛されている証拠かもしれない。
ここの所蔵品で、私がどうしても見たかったもの。
それは『蛇のブレスレット』だ。
女優サラ・ベルナールが演じる舞台のポスターをミュシャが手がけ、そこに描かれたブレスレットを実際に宝石商が仕立てたという。
オパールでできた蛇のうろこ、赤い目はルビー。
ブレスレットと指輪が鎖で繋がれており、繊細だけれどドラマティックなデザインだ。
ミュシャは画家でありながらジュエリーデザインもしていたことになる!
ジュエリー本やミュシャ関連のコラムなどで紹介されていた、わりと有名なブレスレットだが、日本で…しかも大阪で所蔵されていたことに少し驚いた。
しかも、この美術館は平日ならば混雑することもなく、私が訪れた日はほぼ貸し切り状態で、思いっきりゆっくり見ることができた。
それから、ミュシャといえば…
あまりにも有名な『黄道十二宮』
『黄道十二宮』のタイトルの通り、古くから占星術と宝石類は深く結びつけられてきた。
私はいわゆる「パワーストーン的」な売り方を好まないので、普段から石のパワーを安易に語ることはないのだけれど…
ミュシャが描いた装身具のデザインからは、宝石に もともと備わっているプリミティブでドラマティックなものを感じずにはいられない。
水晶の原石をそのまま用いたチャームであったり、赤いゴロンとした石はアルマンディンガーネットだろうか、その隣には立方体の結晶もぶら下がっていて、石そのものの魅力が伝わってくる。
昔の人々も石にどのような意味を持たせて身につけていたのだろう、このティアラを実際に制作しようと思った宝石商がいたんじゃないかな、と、想像するのもまた面白い。
水晶のクラスター風の髪飾り(かんざし)が完成したときに、どういうわけか既視感があって、でも誰かの作品や商品を参考にしたわけでもなく…
ふと思い至ったものが、このnoteに書いた、かつての夏休みだった。
子どもの頃から今もなお、見聞きしたり触れたり実際に足を運んだりしたことは間違いなく蓄積されていて、ものを作ることでアウトプットされる。
それは他の誰にも作り出せない私の世界なのだろう。
そして、他の誰かの世界やクリエイティブにも触れてみたい。それは、その人が今まで生きてきた軌跡のようなものだから。
8/19(土)に東京のスタジオなでしこの花にて開催されるイベント『おしゃ会3rd』に、作品を持っていきます。
当日、いろいろお話ししましょう!
https://oshakai.mystrikingly.com/